途中から見たから確かではないかもしれないが、
先日の女子フィギアスケートの誰か、音楽にハバネラを使っていて
それがフィリッパ・ジョルダーノの歌ったものだった(と思う)
フィリッパ・ジョルダーノの名前知ったのはNHK FMの「おしゃべりクラシック」で
ハバネラとノルマからの1曲が流れた時、とても新鮮に聞こえて
CDショップでさっそく購入したのだった
感情表現としての音楽は、ある面、ポップスや流行歌の歌手が
歌った方が一般には伝わりやすいかもしれない
実は、中学の時習ったマダムバタフライの「ある晴れた日に」は
ソプラノの有名な歌手の歌ったものよりは
森進一が、お正月隠し芸大会で歌ったそれの方が
ずっと自然に心に響いてきた
それで、「いい曲じゃん」と思い直して再度聞いてみると
ソプラノの歌も「こんなのもありだな」と
聞けるようになった
さてフィリッパ・ジョルダーノ
1枚目のCDには
1. 歌劇「ノルマ」 ~清らかな女神
2. 歌劇「サムソンとデリラ」 ~あなたの声に心が開く
3. 歌劇「トスカ」 ~歌に生き,恋に生き
4. 歌劇「カルメン」 ~ハバネラ
5. 歌劇「ジャンニ・スキッキ」 ~私のお父さん
6. アヴェ・マリア
7. 歌劇「椿姫」 ~さようなら過ぎ去った日よ
等のクラシックの名曲が入っていて
初めのうちは本当に楽しめた
そう、初めのうちは、、、
ある時気ままに「トスカ」 ~歌に生き,恋に生き、を
フィリッパ・ジョルダーノで聞いて、その後マリア・カラスで聞いてみた
物事は比較によってよく分る、という事がここでも明らかになった
カラスの声は、強靭な楽器みたいで、マイクを使わないでも遠くに響く
よく訓練された感じがして、音色も深々していて個性的で
フィリッパ・ジョルダーノのほうはポップス風で聞きやすく
その分感情も分りやすい表現だった
どちらがよいというのではない
いろんな表現の仕方があるものだと思うだけだが
改めて感じたのはクラシック畑の人の職人的な凄さだ
もっとも、その分聞き手の方にも、それなりの準備がいるかもしれない
残念ながら今はフィリッパ・ジョルダーノの方は
あまり聞かなくなってしまった
聞いても聞き流してしまっている
一方、カラスの方は、滅多に聞かないのはやはり同じでも
聞くときは不思議と毎回真剣に聞いてしまう(気がする)
何故かな?
単に好みの問題?
それとも一般化できるような
ちゃんとした理由があるのだろうか?
先日の女子フィギアスケートの誰か、音楽にハバネラを使っていて
それがフィリッパ・ジョルダーノの歌ったものだった(と思う)
フィリッパ・ジョルダーノの名前知ったのはNHK FMの「おしゃべりクラシック」で
ハバネラとノルマからの1曲が流れた時、とても新鮮に聞こえて
CDショップでさっそく購入したのだった
感情表現としての音楽は、ある面、ポップスや流行歌の歌手が
歌った方が一般には伝わりやすいかもしれない
実は、中学の時習ったマダムバタフライの「ある晴れた日に」は
ソプラノの有名な歌手の歌ったものよりは
森進一が、お正月隠し芸大会で歌ったそれの方が
ずっと自然に心に響いてきた
それで、「いい曲じゃん」と思い直して再度聞いてみると
ソプラノの歌も「こんなのもありだな」と
聞けるようになった
さてフィリッパ・ジョルダーノ
1枚目のCDには
1. 歌劇「ノルマ」 ~清らかな女神
2. 歌劇「サムソンとデリラ」 ~あなたの声に心が開く
3. 歌劇「トスカ」 ~歌に生き,恋に生き
4. 歌劇「カルメン」 ~ハバネラ
5. 歌劇「ジャンニ・スキッキ」 ~私のお父さん
6. アヴェ・マリア
7. 歌劇「椿姫」 ~さようなら過ぎ去った日よ
等のクラシックの名曲が入っていて
初めのうちは本当に楽しめた
そう、初めのうちは、、、
ある時気ままに「トスカ」 ~歌に生き,恋に生き、を
フィリッパ・ジョルダーノで聞いて、その後マリア・カラスで聞いてみた
物事は比較によってよく分る、という事がここでも明らかになった
カラスの声は、強靭な楽器みたいで、マイクを使わないでも遠くに響く
よく訓練された感じがして、音色も深々していて個性的で
フィリッパ・ジョルダーノのほうはポップス風で聞きやすく
その分感情も分りやすい表現だった
どちらがよいというのではない
いろんな表現の仕方があるものだと思うだけだが
改めて感じたのはクラシック畑の人の職人的な凄さだ
もっとも、その分聞き手の方にも、それなりの準備がいるかもしれない
残念ながら今はフィリッパ・ジョルダーノの方は
あまり聞かなくなってしまった
聞いても聞き流してしまっている
一方、カラスの方は、滅多に聞かないのはやはり同じでも
聞くときは不思議と毎回真剣に聞いてしまう(気がする)
何故かな?
単に好みの問題?
それとも一般化できるような
ちゃんとした理由があるのだろうか?