最近はパソコンに向かいながらCDをかけたり
車の運転しながら聞いたりで
何かをしながら以外に音楽を聞く事がなくなった
それはサティの言うように、音楽が家具のようになっているのかもしれない(?)
しかし、たまに音楽だけに向かい合って真剣に集中して聞いてみると
そこで得られるものは、とても同じものを聞いていたとは思えない程のものがある
それは別にクラシック音楽に限らずJpopでも歌謡曲でもJazzでも同じ事
表現に対する演奏者のこだわりや感情表現の濃さ、熱さが
聞こうとする意志を持った時に初めて僅かに感じられるようだ
思えば若い頃はそうした事が簡単にできた
何をしなくて音楽だけ聞いていても時間がもったいないとは思わなかったし
忍耐力もあって音楽に向かい合う事ができた
しかし今は、、、
なかなか気分が乗らないと集中できない
つまり今はシンフォニー1曲をまるまる通して聞き終える事なんかは
とてもできなくなっている
せめてお気に入りの楽章を引っ張りだして聞くだけだ
それもひどい時にはやっぱり本を広げて、
時間の有効活用しようなんて気持ち支配されている
自分の音楽体験は実演が聞きにいきづらい環境下にあるので
ほとんどがレコード、CDによるものだが
それらの記憶に残る体験は全部が全部集中して聞いた時のものだ
フルヴェンの第9、トリスタン
リヒターのマタイ、ヨハネ、ロ短調
クレンペラーの荘厳ミサ曲
シェリングの無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ
バックハウスのベートーヴェンの30.31.32番のピアノソナタ
クリュイタンスのフォーレのレクイエム
それからそれからブルックナーの8番もブラームスの4番も
モーツァルトの魔笛、クラリネット五重奏も17番のディヴェルティメントも
ロック系でもCCR.ピンクフロイド.ジャニス・ジョップリン.クリーム
フレディーキング.
Jazzでもマイルス.キースジャレット.ジョン・ルイスなどなど
残念なのは、あのとき感じた経験をもう一度!と聞こうとしても
なかなか集中して聞く精神状況になれない事だ
集中には慣れが必要なようだ
そういえば今はテレビでも集中してみる事ができない
だから、ながら視聴のできる、つまりいつでもやめる事のできる
クイズ番組くらいが見る対象になって
映画の地上波放送は忍耐できずにいつもパスしている
映画も音楽も、どうやら現地に行って体験するしか
集中する方法はないかもしれし、
それが現実的な方法ではあるのだけれど
音楽だけに向かい合ったり、必死に映画を見るような
昔の様な精神状態に戻れない今を少しばかり残念だ
ながら視聴やながら聴取は、一見便利で効率的みたいだけれど
自分にとってはそれだけに集中して得られるものの方が
好ましいようだ
車の運転しながら聞いたりで
何かをしながら以外に音楽を聞く事がなくなった
それはサティの言うように、音楽が家具のようになっているのかもしれない(?)
しかし、たまに音楽だけに向かい合って真剣に集中して聞いてみると
そこで得られるものは、とても同じものを聞いていたとは思えない程のものがある
それは別にクラシック音楽に限らずJpopでも歌謡曲でもJazzでも同じ事
表現に対する演奏者のこだわりや感情表現の濃さ、熱さが
聞こうとする意志を持った時に初めて僅かに感じられるようだ
思えば若い頃はそうした事が簡単にできた
何をしなくて音楽だけ聞いていても時間がもったいないとは思わなかったし
忍耐力もあって音楽に向かい合う事ができた
しかし今は、、、
なかなか気分が乗らないと集中できない
つまり今はシンフォニー1曲をまるまる通して聞き終える事なんかは
とてもできなくなっている
せめてお気に入りの楽章を引っ張りだして聞くだけだ
それもひどい時にはやっぱり本を広げて、
時間の有効活用しようなんて気持ち支配されている
自分の音楽体験は実演が聞きにいきづらい環境下にあるので
ほとんどがレコード、CDによるものだが
それらの記憶に残る体験は全部が全部集中して聞いた時のものだ
フルヴェンの第9、トリスタン
リヒターのマタイ、ヨハネ、ロ短調
クレンペラーの荘厳ミサ曲
シェリングの無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ
バックハウスのベートーヴェンの30.31.32番のピアノソナタ
クリュイタンスのフォーレのレクイエム
それからそれからブルックナーの8番もブラームスの4番も
モーツァルトの魔笛、クラリネット五重奏も17番のディヴェルティメントも
ロック系でもCCR.ピンクフロイド.ジャニス・ジョップリン.クリーム
フレディーキング.
Jazzでもマイルス.キースジャレット.ジョン・ルイスなどなど
残念なのは、あのとき感じた経験をもう一度!と聞こうとしても
なかなか集中して聞く精神状況になれない事だ
集中には慣れが必要なようだ
そういえば今はテレビでも集中してみる事ができない
だから、ながら視聴のできる、つまりいつでもやめる事のできる
クイズ番組くらいが見る対象になって
映画の地上波放送は忍耐できずにいつもパスしている
映画も音楽も、どうやら現地に行って体験するしか
集中する方法はないかもしれし、
それが現実的な方法ではあるのだけれど
音楽だけに向かい合ったり、必死に映画を見るような
昔の様な精神状態に戻れない今を少しばかり残念だ
ながら視聴やながら聴取は、一見便利で効率的みたいだけれど
自分にとってはそれだけに集中して得られるものの方が
好ましいようだ