得意のどうでもいいこと!
急に昔(天平から平安時代)のお公家さんや政治家は和歌を
歌わなばならなかったのは大変なことだな
恋愛も和歌で段取りを踏まなければならなかったし
面倒なことだ、、、
と思ったりしたが、
待てよ、これは案外実用的な面があるかもしれない
と思い直した
というのは、和歌でその人の人となり、教養、頭の良さなどが
分かるのではないかということ
見るひと、判断する人から見れば、その人が何をどのくらい深く
考えているかを分かるかもしれない
大津の皇子は、残された歌を見ると確かに賢そうな様子はうかがわれる
可哀想な崇徳院も百人一首に残された歌を見る限り
それなりの思考力はあったようだ(現実的な政治力はどうかわからないが)
もっとも公にされた和歌が本人の作ではなくて
誰かに(ゴーストライターに)書かせたものをかもしれないので
それで正確にに判断はできないかもしれないけれど
本当は住民投票や庁舎見直し、産廃の話より
こうした毒にも薬にもならないどうでもいい話が好き
やっと本来の自分に戻ってきた(?)
それともこれじゃ困る
ところで現代の政治家さんが和歌をよんだらどんなのが出てくるのだろうか
案外まともなのが出てくるか
それとも、和歌を考える余裕はないし、そんなものに意味を感じない
とつくりもしないかな