内閣が解散となって、テレビ局に連日各党の代表者などが登場している
今日も朝から日テレ系列で論戦を交わしていた
この手の番組でよく思うことは、各自、人の話を聞いていない
ということ
自分たちの主張の正しさを、自分の土俵に持ち込んで述べるだけ
そして、たまに同じ話題で討論することになっても
都合の悪い話は感情的になって反論するだけ
そういえば、老人の暴走と言われるあのひとも
自分の都合の悪い話は聴こうとしないタイプ
記者に向かっても、他の政治家さんに向かっても
その態度はあまり変わることはない(上から目線)
論旨が正しくても、もう少し人を尊敬する態度が必要
ところで橋下徹氏、さすがに話がシンプルでわかりやすい
誤解を恐れずに割り切っているところと
現状認識について他の政治家よりはリアリティがある
それは彼が旬の男となっているからかもしれない
そしてこの分かりやすさはあの小泉さんの
ワンフレーズポリティクスに似ているかもしれない
(それがいいかどうかは難しいところだけれど)
その中で多少疑問に思ったことが少し
金融緩和などをしてマクロ的に活性化を計ろうとしても
日本の企業は良くならないのではないか
パナソニックもソニーもサムソンの様な競争力のある
商品を出せないでいる
ここのところをクリアしない限り問題は解決しない
ここまで、その通りと思う
そこから先が疑問だった、
それは規制緩和すれば企業は新しい需要を生み出すような
商品を開発できる
だからがんじ絡みになった規制を取っ払うべき
しかし、規制を取り払えば全てが解決すると思うのも
どうなんだろう
なにか停滞の問題はもう少し別のところに有りそうな気がする
人間の欲望はキリがないからモノは圧倒的に不足している
生活に必要な物は既に手にしているからモノはこれ以上は過剰となる
こんな2つの考え方が存在するが
どちらが正しいかと言えば、それを解釈する人の立場で言い分があるので
白黒決着は難しい
この話をもとにして考えると
現在の日本はもう成長途上国のようなものに対する飢餓感はなく
満腹感にあふれているが、経済成長しなければならないので
マーケティング的に欲望の喚起を行い無理やり消費を強いて
その結果としての経済成長をしなければならないことになる
ほんとに欲しいものは無限に出現するものなのかな?
年金の話で老人は昔の老人と違って若いのだから
年金の受給は遅らせてもっと働いてもらおうではないか
一見まともに感じるこの考えも
果たして雇用環境が存在するのか?
が現実的に疑問が湧く
いやそれより、そもそも人はいつまで働かなければならないのか?
働けるうちは働く
しかし、この時の働くとは何を目的とするのか
老年になっても生活を維持するために働かなけれなならないとしたら
それは社会として良い社会なのか?
ハッピーリタイア
それは夢物語なのか
毎日が日曜、そんな毎日は何かを強いられてきたサラリーマンには
却って辛い毎日かもしれない
しかし、自分の時間を自分で使うようになる
その生き方が本当の生き方ではないのか?
「百万回生きた猫」
人は、本当にあの猫の様な最後を迎えられるのか?
そんな事に気づきもしない?
フロムの自由からの逃走が脳裏に浮かぶ
人間にとって自由は孤独を強いられつらいものとなる
だから何かに従属しようとする傾向がある
ここの魅力的な従属的な生活を振りきって、
老人の生活を本来の自分の生活をする
それを求めるのは西欧的なブルジョア的な考え方なのか
政治は現実的な方法論の戦いと考えれば
どの方法論が効果的かを考えるだけとなるはず
しかし、その前提となるビジョン・哲学が今の日本には
存在しているのだろうか?
いつものごとく話が横道にそれてしまったが
それにしても、何かスッキリしない昨今の政治だ