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映画「香川一区」を見て、あれこれ思うこと

2022年01月22日 10時52分59秒 | あれこれ考えること

映画「香川一区」を全国一斉公開の昨日、豊橋のユナイテッド・シネマに見に行った
オミクロン株の感染急拡大で心配だったが、見たい気持ちが押さえられず
とりあえず足を運んでみた
安心して良いのか、がっかりすべきか、観客は自分を含めて7名
これだけの数なら心配することはない(ように思える)

「新聞記者」を見るためにNetflixに加入したが
そこで「なぜ君は総理大臣になれないのか」が見られることを知って
急遽、映画の予習として見ておいたが、結果的にこの行動は良かった

「香川一区」の最初の方のシーンに50歳になった小川淳也氏の
決断の表明について迷う姿が描かれていたからだ
東大から官僚の道を選んだ小川さんは、そこでの経験を踏まえて政治家の道を選ぶ
それは「政治家になりたい」のではなく「政治家にならなくちゃならない」
という使命感に襲われたからだ
彼の経験した官僚の世界は省の利益、出世、および退職後の心配等が優先事項となって
国民の方を向いて仕事をしていないと感じた
一本気な彼はそれを直すには政治からとの思いに至る
32歳で香川一区から出馬した小川さんは、大谷翔平のように未来の自分の姿を予想・目標にあげた
そこには順調に地位の制作も達成していき50歳になれば引退するとされており
その節目になった50歳の現在、このことに触れずスルーしてこのまま政治家を続けるか
それとも何らかの形で昔の約束(予想)のことに触れるか、どのような態度を取るべきかが
彼らしい真面目な悩みとして映像化されている

その些細なことに悩む姿は冒頭にふさわしいシーンで、これは前作を見ていなかったら
このシーンの意味はわからなかっただろう

もう一つ最初の方のシーンで印象的なものがある
議員宿舎の窓に大根を植えた鉢が2.3ある
小さなものから少し伸びたものがあり、彼は子供のように驚きの声をあげる
「これ、スーパーで葉のついた人参を買って、その葉を植えたらこうなったんですよ
 (生き物は)すごいです」(こんなニュアンスのこと)
こうした生き物はすごいという感覚は自分も感じる
(例えば時々出かける豊橋のお墓の草取り、冬の雑草は上に伸びずひたすら根っこを
 延ばすことに集中して、その知恵(?)は健気というか驚きを覚える)

そのシーンに同席した奥さんが、
「農業政策などと壮大な話をする前に自分で人参を植えて
育ててみなさい(それを言ったのはお母さんあったかも知れない)」
と冗談半分に指摘したら、彼は家でそれを行ったらしい
でも、できたのはヒョロヒョロの人参ができただけ、、

このシーンは小川さんの性格をよく現している
岸田さんではないが、人の話をよく聞くということにおいて
(だが、チョンボが多い)

政治家を「先生」と呼ぶことが当たり前のようになっているが
この人は「先生」という言葉が似合わない
小川さんという呼び方がふさわしい
それは映画の真ん中あたりの、少しばかり深刻な山場のようなシーンで
極めて情けない人間風なところが見られるからだ

香川一区から維新候補が急遽出馬することになった時、彼は彼の理屈
(与党に対抗するには野党がまとまって戦うしかない
 つまり一本化するしかない、、もちろん、出馬の自由はあるのだが
 そこをよく考えてほしい、、)
を伝えるために維新候補のところまで出かけたのが
それが「卑怯にも出馬の邪魔をした!」とのニュースとなって
この一方的な評価はSNS上でも拡散してしまった
これには彼も相当落ち込んで、イライラして、彼は家族にその都度話をする
だが、それを聞いた家族は夜寝られない状況を作ってしまった
(本人は家族に話すことで救われて、眠れたらしい)

このイライラは度々付き合いのある表敬訪問をした田崎史郎氏にも向けられる
選挙区の候補者としての当事者意識と、客観的な(無責任な)意見とは
その真剣の度合いが違う、、と捨て台詞のように言い放つ

これは流石にマズかったと思い直して、その後で謝罪の電話を入れていたが
確かに言い方は節度を欠いていたが気持ちはよく分かる

少し話は逸れるが、田崎氏とは監督の大島さんと定期的に会合をしてシーンがあった
(前作だったか今回だったか忘れたが)
そこで田崎氏はアルコールを口にしなかった
だが彼は安倍さんや菅さんの時もアルコールを口にしないのだろうか?
と勘ぐってしまった

この映画は小川さん賛歌ではないとしても、結果的にはそうなっている
ただし良いところばかりでなく情けないところも映像化している
ただそれだけでなく、日本の民主主義を考える切っ掛けにもなっている
(自らが主体的に活動することの目覚めを呼び起こしている)


いったい監督の大島新さんは、なぜ小川さんの映画を撮ろうとしたのか
きっかけは大島さんの奥さんと小川さんが高校の知り合いで
そこから何の気なしにカメラを回していたらしい
ところがそうこうするうちに、このクソ真面目な直球一本槍の人間が
このまま埋もれているのはもったいないと感じて
前作「君はなぜ走路大臣になれないのか」編集したらしい

何の気なしに撮りためておいた映像とか記録
決して表には出ないそうした物
それらは、実はとても大事な資料となりうるのではないか
先日NHKの番組にこれと繋がりそうな番組があった
それは戦前にかかれていた庶民の日記とか記録をいくつか集めて
その中にかかれた言葉をAIで分析し、時代の雰囲気がいつから変わったのか
を類推する試みを紹介するものだった
当初は厭戦気分が広がっていたが、ある時から庶民の日記にも
戦争に対する肯定的な言葉が増えていく
それは何がきっかけだったのか、庶民はどう感じていたのか
庶民の日記・記録が今の時代に役立っている
(この意味で自分のこうしたものの、きっといつか役立つと思う)


話は戻って、小川さんの「本気」を、少し信じがたいと思うのはごく自然のことだ
政策秘書の方も最初はこの「本気」がそのまま受け入れなかったようだ
彼は職業としていろんな代議士をいくつか仕えてきたので
言葉には表向きの言葉と実態があるのは理解している
ところが一緒に時間を過ごすうちに、この人は「本気」なのだと
実感するようになる
それは感情から入っていく共感で、彼は政策秘書の最後の数年を
小川さんと充実感のある仕事に取り組むことになる

映画の印象はどうしても断片的になる
香川一区は映画だけでなく、テキスト媒体として和田静香さんの
「選挙活動、ビラ配りからやってみた、香川一区」もある
こちらも経験済みだが、さらに選挙期間中は小川さんのSNSチームの
配信する動画もよく見ていたので、自分の選挙区より詳しくなった
それらが一緒くたになって頭に浮かぶので、どれがどこからの情報だったのか
頭の中の整理ができていないでいる

テキスト媒体と映像媒体の違いなのか
それとも制作者の視点・感性の違いなのか
同じ香川一区を扱ったものでも和田静香さんのとは少し違う視点なので
これは映像・書籍に2つ経験したほうが良い

和田さんの本の最後の方に書かれた「妻です」「娘です」のタスキの問題
選挙終盤のタイミング的には「この時いうか?」で
和田さんのその指摘も少なからず家族にもショックを与えたようだし、
その時の話し合いは決して穏やかなものではなかったらしい

だがその後がすごい
緊張感が支配したその後の予定には、
小泉今日子、和田静香、小川淳也のライブ中継が入っていた
自分はそれをライブで聞いていたが、そのような出来事があったとは
少しも感じさせないものだった

結局タスキの問題は、妻(娘)の文字の下に個人名を入れた映像が
流れることになった

このタスキ問題は当事者だけでなく、多くの人の関心をひいたようだ
少し前、小川さんと同級生のジャーナリストがツイッター上でアンケートを実施した
それは「妻です」「娘です」のタスキをどう思うか?
という問で、自分もアンケートに答えた

こうした答えがないような問題は、お互いが相手の立場も考えながら進めていくしかない
そして、そういう過程こそが自分たちが自分たちの手で何かを変えていったり
作っていくことに繋がる

そこまで大げさでなくても、この映画とか書籍は、多くの人の目に触れると良いな
と切に思う








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