昔、強引に「幸せの定義」を考えたことがあった
そして、それは今でもなかなか気にいっている
「幸せとは一日に一回でも家族と一緒に食事ができること」
食事をする時に漂うなんとも言えない雰囲気、子供が大人になってから
思い出す何かに守られていたような感覚
大げさなことではなく、庶民の幸せって、こんなものじゃないか
(どこかの市で家族で食事をしようという政策を行ったところがあったような記憶がある)
もう一つ、これも少し気に入っている考えがある
それは判断に困ったとき
「それは子どもたちにとって良いことか」
を基準にして考える事
全部が全部これが使えるわけではないが、大事な問題となった時
かなり使えそうな気がするが、、、