一口に欧米と言われるが日本は圧倒的に米の影響が大きい
現在、毎朝のように話題になっている大リーグの大谷
アメリカはまるで大騒ぎの様になっていると報道されるが
ヨーロッパのスポーツ界はそれどころじゃない
多くのヨーロッパ人の関心事はサッカーのユーロ選手権だ
レベル自体はワールドカップよりも上に位置するようで
まるで代理戦争のようなガチンコの戦いが見られる
前回のワールドカップ出場を逃したイタリアもオランダも
名誉挽回で必死の様相
イタリアはまずまずの戦いをしているようだ
死の組と言われるドイツ、フランス、ポルトガル、ハンガリーは
ドイツ対フランスは、ドイツのオウンゴールでフランスの勝利
ロナウドのポルトガルとドイツは2−4でドイツの勝ち
フランスはハンガリーと1−1の引き分け
ポルトガルはハンガリーに3−0で勝利
つまりは決勝トーナメント進出は最終戦ドイツ対ハンガリー、
フランス対ポルトガルの結果次第
国民にとってはハラハラのいち日になる
ところが、スポーツメディアはこの報道はほとんどない
現在のスポーツの報道は大谷の活躍の影響が大きいいが
時々欧米と一括にされるアメリカとヨーロッパには
結構大きな考え方の違いがあるような気がする
ゲームの中のタイムという概念が(ハーフタイムは除いて)
ヨーロッパ発のスポーツのサッカーにはない
ところがアメリカ発の野球、バレーボールには存在する
ここで思うのはアメリカ発のスポーツは監督の影響はかなり大きいということだ
野球ではバントとかヒットエンドランとか盗塁の指示まで行うらしい
サッカーでも監督の影響は大きくて、結果責任として成績不振の場合は首となるが
監督の日常の仕事は試合の前段階としての練習、あるいは選手の選択(それもポジション変更も含めて)
そして一旦試合が始まってしまったら、そこでは選手自身が考えたり、
練習で身につけて自動的にできるようになったプレーをするしかない
つまりは始まったら責任は選手自身にある
そしてそれこそがプレイしている選手のやりがいとなる
(子どものサッカーコーチをしていた時、野球に行かなかった運動神経の良い子は
野球は自由にできないから嫌だ!と言った)
チームプレーと簡単に言われるが、日本は上からの指示によるそれで
アメリカのそれに似ている気がする
ヨーロッパは自己主張を前提として、その自己主張をバランスよくするための交通整理
のような監督の指示が存在するだけ
ヨーロッパに出かけたサッカー選手の多くが、個の力のアップをしないとやっていけない
と感じるようでそれを声にしているが、それは単に技術だけの問題ではなく判断
しいては生き方まで及ぶものの様に思われる
(そしてそれこそが自分に欠けていたものと実感する)
ということで思考傾向としてはヨーロッパ依存の大きい自分は
最近の日本の出来事をつらつら見るにつけ、、なんだかなぁ~
日本人は個が確立していない!と思ったりする
自分の考えを述べることはある時は摩擦を生むかもしれない
だから相手の顔色をうかがって、なるべく穏便に物事を処理しようとする
でも残念ながら、もうその方法では処理しきれなくなって、
根本から自らの頭で考え直さないとあかん状態のような気さえする
不満の多いメディア人も真に個の確立ができているか、、ちょいと不安
(何故、匿名記事が少ないのだろう)
とにかく不満が多い毎日(大谷が頑張っていても)