パンセ(みたいなものを目指して)

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選挙前に思うこと

2021年09月25日 09時26分52秒 | あれこれ考えること

新城市は来月の市長選、市議会議員選挙を控えて何やら騒がしくなってきた
最初は市長選は立候補者が一人、市議会議員選も立候補者が定数きっかりで
無投票で終わってしまう雰囲気っだったが、ここに来て市長立候補は2人
市議会議員は定員18人のところ21人が予定されている(事前説明会では)ようで
とりあえず、無投票の最悪事態は避けられたようだ

無責任に最悪事態は避けられたとしているが、当人、あるいは家族にとっては
生きるか死ぬかのような気持ちでいるから、その心労は察するが
客観的に選挙があることは良いことしたい
(中には落選運動をしたいくらいの候補者がいるので)

先日、ある現職の議員が、近所の人を伴ってやってきた
もちろん公選法の戸別訪問の違反はしないようにしている
「あれ!」
玄関先でお互い声が出た
「ここが彼の家か!」
時々話したことのある議員はそう思った違いない
その様子を見た近所の付添は
「あれ、知り合い?」
と不思議そうな様子だった
知っている間柄なら話は簡単ということで、話は大してすることなく
名刺だけ置いて帰っていった

昨日のこと、現職の別の議員を隣の家で見かけた
一緒にいて話しかけて来たのは姉の同級生だった
(手伝う羽目になっていると)

人と人の結びつきは、不思議なものだと感じる
というのは諺では「類は友を呼ぶ」とあるが
自分の知っている姉の同級生はイメージ的に
その議員を応援するタイプではなさそうだったからだ

前回も同級生がある議員の応援をしていたが
イメージ的に組み合わせが意外だったので
どういう繋がりがあるのだろう、、と不思議に思えたものだ

自分の知っている彼らは自分からの見方でしかない
彼には彼らなりの生き方や生活があり、その生活のなかで多くの人と接して
総合評価をされることになる
その中で一番大きそうなのは仕事の関係だろう

仕事の関係で知っている人物を、それだけで全人格的な判断力を要される
任務を全うできる人物として思い込んで良いのだろうか、、と思ったりするが
現実はそのくらいの知識でも、判断材料を多く持っている方に入るかもしれない

せめて最悪の事態にならにようにと、多くの人が判断する選挙という機会
それが国も市も、なんだか危ういことになっていると感じてしまう

面倒くさいが、より良い選択をするための要素は間違いなく情報だ
その情報は向こうから勝手にやって来る垂れ流しの報道と
こちらから探っていく、それ故に自分好みを集めやすい情報がある
ただ現実を見れば、向こうから勝手にやって来る情報が圧倒的に多い
そしてそれは空気を作る
その空気は感染する

今月の100分de名著は「群集心理」で、見逃してしまったと思ったが
危うく見た3回目には、群衆をコントロールする方法が紹介されていた
それは「断言、反復、感染」
このうち断言は、根拠やエビデンスなどは関係なしのシンプルな言い切り
そのほうが感情を煽り効果的とされる
反復の効果は現実社会でも実感する(現在の総裁選の報道がそれ)

報道の量で群衆は支配される
これは残念ながら多分事実だ
これは良くないとわかっても、すぐさま制度的に変更はできないだろう
となると、少なくとも大量の勝手にやってくる情報に振り回されないようにする
と自覚することが、せめてもの抵抗のように思えてしまうが
それで間に合うのか、、も心配だ

新城市でも勝手にやって来る情報は行政の報告で、問題点を指摘する内容は
その気になった人にしか届いていない
(市民が記者クラブに情報をリリースしても取り上げてもらえない)

とまあ、不安が多いが、人の世は少しずつ良くなっていく、、とする
考え方が、果たしてそうなのか、、と思うこの頃
(仕方ない、できることをやってくしかない)




 

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