今日は「音楽の聴き方」と言う本の話
ではなくて常々思っていることの再確認
時々思うこと、それは自分は音楽を聴いているのか
それとも演奏を聴いているのか
どっちなんだろうと考えてみる
実際の話、演奏されなければそこに音楽は実在しない
のだから、演奏を聴いていることになる
そしてその演奏というものは楽譜が同じものであっても
演奏によって随分印象が異なる
それは、もしかしたら作曲者が想像した以上の世界を
演奏家が生み出すかもしれない
作曲者は曲の一部分しかその良さを自覚しておらず
演奏家と言われる人によって初めて多面的なチェックがなされ
その曲に命が吹き込まれることになるのかもしれない
しかし、ここまでの話は頭の中で振り返ってみただけのこと
実際には音楽を聴いていて思い浮かぶことが
曲よりなのか演奏の違いよりなのか
その多く浮かぶ方を聴いていることになる
初めて聴く曲は、演奏を聴いているというより
曲自体の印象をあれこれ考えたり想像することが多い
たくさんの演奏を聴いていないので比較対象できないからだが
それでも多く聴いた曲でも曲を中心にあれこれ思い浮かぶこともある
第1回目のラ・フォル・ジュルネで
ベートーヴェンのエロイカを聴いた時に
この曲を作り上げた時ベートーヴェンは嬉しかったんだろうな
と感じたし、それ時の思いを今の今でも覚えている
初めて聴く曲は作曲者のメンタリティ、音楽の言わんとする事に
どうしても関心がいく
だからそんな時はメシアンのような現代音楽でもそれほど抵抗感なく
聴くことができる
だが音楽をより楽しむにはやっぱり多くの種類の演奏を聴いて
比較できたほうが良い
そうすることによって曲自体への理解にも繋がりそうだ
曲の理解とは何だ
との定義付けはさておいて
より楽しむには多くを聴いたほうがいいということ
しかし、聴くときはニュートラルな精神状態で聴いて
演奏の比較ばかりに関心を持たず
その音楽の流れる空間に身を任せ
頭に浮かぶ想像、妄想に浸るのが幸せなこと
それが自分の音楽の聴き方
(これはクラシック分野の話、
ロックやジャズはも少し違った聴き方をするかも知れない)
ではなくて常々思っていることの再確認
時々思うこと、それは自分は音楽を聴いているのか
それとも演奏を聴いているのか
どっちなんだろうと考えてみる
実際の話、演奏されなければそこに音楽は実在しない
のだから、演奏を聴いていることになる
そしてその演奏というものは楽譜が同じものであっても
演奏によって随分印象が異なる
それは、もしかしたら作曲者が想像した以上の世界を
演奏家が生み出すかもしれない
作曲者は曲の一部分しかその良さを自覚しておらず
演奏家と言われる人によって初めて多面的なチェックがなされ
その曲に命が吹き込まれることになるのかもしれない
しかし、ここまでの話は頭の中で振り返ってみただけのこと
実際には音楽を聴いていて思い浮かぶことが
曲よりなのか演奏の違いよりなのか
その多く浮かぶ方を聴いていることになる
初めて聴く曲は、演奏を聴いているというより
曲自体の印象をあれこれ考えたり想像することが多い
たくさんの演奏を聴いていないので比較対象できないからだが
それでも多く聴いた曲でも曲を中心にあれこれ思い浮かぶこともある
第1回目のラ・フォル・ジュルネで
ベートーヴェンのエロイカを聴いた時に
この曲を作り上げた時ベートーヴェンは嬉しかったんだろうな
と感じたし、それ時の思いを今の今でも覚えている
初めて聴く曲は作曲者のメンタリティ、音楽の言わんとする事に
どうしても関心がいく
だからそんな時はメシアンのような現代音楽でもそれほど抵抗感なく
聴くことができる
だが音楽をより楽しむにはやっぱり多くの種類の演奏を聴いて
比較できたほうが良い
そうすることによって曲自体への理解にも繋がりそうだ
曲の理解とは何だ
との定義付けはさておいて
より楽しむには多くを聴いたほうがいいということ
しかし、聴くときはニュートラルな精神状態で聴いて
演奏の比較ばかりに関心を持たず
その音楽の流れる空間に身を任せ
頭に浮かぶ想像、妄想に浸るのが幸せなこと
それが自分の音楽の聴き方
(これはクラシック分野の話、
ロックやジャズはも少し違った聴き方をするかも知れない)