「間違いを認めるのは難しい!」(特に行政)
最近特に身にしみて感じること
人間だからミスは発生する
それが起きた時「仕方ないな、、」と同情的に思えるものも
開き直って弁明をすると(彼らにとっては説明責任を果たしているらしいが)
同情は怒りに変わることはある
地元新城市では学校給食共同調理場の計画が2年以上遅れることになった
その理由が情けないことに、建設現場は市の所有地と思い込んでいたが
実は一部県の所有地が含まれていたので、その部分の扱いをクリアしないと
前に進めなくなった
市の所有地と思っていた土地に県の土地が含まれていたことに行政は
「何時」気づいたか?と遡って追求されることが6月議会であったが
官僚や職員の定番の答えで、適切にステップを踏んで行ったという形しか答えない
行政の正当性を担保するのは、手続がきちんとなされていることだ
これこれのことを終えて(多分)文書に残されて、それを確認した上で次の段階に移る
ところが今回は、行政がどんな説明をしようが現実に計画は2年遅れになり
実施設計の再委託分の費用負担は増える事実は変えられない
ちゃんと適切なステップを踏んで行った
今後も適切に進めていく、、、
と答えても、結果としてありえないミスが発生したことは間違いない
多少緊張感が欠けて進めてしまったせいか、
それとも他の怪しい理由があるのかどうかは知らないが
起きてしまったことに対する責任は間違いなく行政にある(いくらかの費用は無駄になってしまった)
責任には結果責任、説明責任、道義的責任があると言われる
いくら説明(弁解)されても、起きてしまった事実に対する責任はなくすことはできない(と思う)
だが、この責任を謝罪という形で行政が表明するのはとても難しいことのようだ
ごめん!当然市のものだと思いこんでいたのが、あとで調べたら県の土地が含まれていた
本当に申しわけない、、、
こんな感じで謝罪があれば、しょうがないなあ、、お金が勿体ないのは頭にくるけど
次からは気をつけて欲しいとなりそうだが(少なくとも自分は)、
依然として自分たちは間違えていなかったと言い張ると却って不信感が募り
この事業に何かあったのではなかったのかと良からぬ想像さえ浮かんでしまう
と言っても、自分の間違いを認めるのは行政に劣らず自分でも難しいことは感じている
どうしても自己正当化をしたがる
つくづくこのような人間が集まっている社会は面倒な集団だと思ったりする
もう少し、ゆるいところで、うまく回っていかないかな、、と切に思う
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