パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

トレジャーハンター

2008年01月15日 20時43分28秒 | Weblog
昨日は、高校サッカーの決勝があったけれど、何となく気乗りしなくて
朝早くから(ファーストショーは安いので)映画を見に行った
見たのは「トレジャーハンター」しかも吹き替え版
洋画は字幕で見るもんだと思っていたが、こうして
吹き替え版を見てみると最初の違和感が抜けると案外いけるものだ

見終わってみると
インディー・ジョーンズじゃないか!
というのが同行した人の意見
全くその通り!
(でもインディー・ジョーンズの方がゆとりがあって面白かった)
なんだか物語のネタが無くなってきてるようだ
リンカーン暗殺者の日記という部分はいつの間にか
秘密じみた話から宝探し、単なるご都合主義の謎解きに変って
いつものカーチェイスで破壊願望をかなえてから
クライマックスにしつこく盛り上げてハッピーエンド

この手の映画にあれこれ求めてはいけないかもしれないが
正直なところ「しまった!」が実感
途中で、これでもかの障害が同じパターンで
先が読めてしまって飽きてしまった

そして、あまりにも簡単に謎解きができて
ご都合主義で現実離れして
(始めから現実離れしているのは判っているけれど)
なぜだか今回はそういうものだと思い込む事ができなかった
ロンドンで派手にぶっ壊した車たちの後始末はどうしたのか?などとか
どうでもいい事が気になって仕方なかった
そういえば007の時も同じ様な考えを持ったが
徐々にこれらのアクションを単純に楽しむ事ができなくなってきたのだろうか
どうせ現実離れしているのなら自分には
ハリー・ポッターや指輪物語みたいな方がいいかもしれない

それにしてもハリウッド映画
火薬とカーチェイスというわかりやすい
映像効果の上がる派手っぽいことばかりやっているけど
なんだかなあ、、、

こんなんだったら
「アース」の方を地味だけど選べばよかったかな?
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ながら族よりは、集中して向かい合う方が、、、

2008年01月13日 11時24分57秒 | Weblog
最近はパソコンに向かいながらCDをかけたり
車の運転しながら聞いたりで
何かをしながら以外に音楽を聞く事がなくなった
それはサティの言うように、音楽が家具のようになっているのかもしれない(?)
しかし、たまに音楽だけに向かい合って真剣に集中して聞いてみると
そこで得られるものは、とても同じものを聞いていたとは思えない程のものがある
それは別にクラシック音楽に限らずJpopでも歌謡曲でもJazzでも同じ事
表現に対する演奏者のこだわりや感情表現の濃さ、熱さが
聞こうとする意志を持った時に初めて僅かに感じられるようだ

思えば若い頃はそうした事が簡単にできた
何をしなくて音楽だけ聞いていても時間がもったいないとは思わなかったし
忍耐力もあって音楽に向かい合う事ができた
しかし今は、、、
なかなか気分が乗らないと集中できない
つまり今はシンフォニー1曲をまるまる通して聞き終える事なんかは
とてもできなくなっている
せめてお気に入りの楽章を引っ張りだして聞くだけだ
それもひどい時にはやっぱり本を広げて、
時間の有効活用しようなんて気持ち支配されている

自分の音楽体験は実演が聞きにいきづらい環境下にあるので
ほとんどがレコード、CDによるものだが
それらの記憶に残る体験は全部が全部集中して聞いた時のものだ
フルヴェンの第9、トリスタン
リヒターのマタイ、ヨハネ、ロ短調
クレンペラーの荘厳ミサ曲
シェリングの無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ
バックハウスのベートーヴェンの30.31.32番のピアノソナタ
クリュイタンスのフォーレのレクイエム
それからそれからブルックナーの8番もブラームスの4番も
モーツァルトの魔笛、クラリネット五重奏も17番のディヴェルティメントも
ロック系でもCCR.ピンクフロイド.ジャニス・ジョップリン.クリーム
フレディーキング.
Jazzでもマイルス.キースジャレット.ジョン・ルイスなどなど

残念なのは、あのとき感じた経験をもう一度!と聞こうとしても
なかなか集中して聞く精神状況になれない事だ
集中には慣れが必要なようだ
そういえば今はテレビでも集中してみる事ができない
だから、ながら視聴のできる、つまりいつでもやめる事のできる
クイズ番組くらいが見る対象になって
映画の地上波放送は忍耐できずにいつもパスしている

映画も音楽も、どうやら現地に行って体験するしか
集中する方法はないかもしれし、
それが現実的な方法ではあるのだけれど
音楽だけに向かい合ったり、必死に映画を見るような
昔の様な精神状態に戻れない今を少しばかり残念だ

ながら視聴やながら聴取は、一見便利で効率的みたいだけれど
自分にとってはそれだけに集中して得られるものの方が
好ましいようだ
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小言あれこれ

2008年01月11日 21時39分34秒 | Weblog
確かに年齢を重ねるにしたがって、
テレビは見なくなるは
タレントさんの名前は覚えられなくなるは
新しい音楽に関心が無くなってくるは
若い人の対して何やら文句言いたくなるやら
つまり、普通のおじさんのパターンを実感しているが
もう一つ以前と違って際立ってきたのが
自然とか生き物に対する愛おしい感覚や
古いものを大事にしたいとか、
そのもの自体が凄くいいものに思えてしまう感覚だ

今日も以前から狙っているアンティーク家具(囲炉裏風のもの)を眺めながら
「やっぱり日本人は、そして歳をとってくると
 木とか自然のものが良くなってきますね」
などと相づちを打ちながら会話が弾んだ
最近欲しいものが無くなってきた自分だが
この家具屋さんで見かけた囲炉裏風なもの、
昔の扉を再利用した古木の色合いのついたて
栗の木を塗装せず、曲がった部分は一本の木を加工した椅子
こうしたものは本当に手元に置きたいみたいな気分になっている
確かにそれらは一般的に言って安いものではない
だが、それらはこれからも、いやこれからの方が価値を持ちそうな類いであった
木という素材は柔らかく、やさしく、どこかしら心なごむ感覚を導く
しかしながら売れ行きは、今は価格ありき!で
高価格のものは一部のマニア以外にはなかなか伸びないのが実情だろう
本当はランニングコストという考え方をすれば
自然素材の職人の仕事からなる家具は長持ちするし
飽きもこないし、直して使えたりするから、
かえって安くつくのだろう
それでも大勢は、エコが叫ばれている割には大量生産、
大量消費になっているのが実情だ
こんな時代だからマス商品に追われて職人さんたちも
仕事自体は楽しくてもイザ生活となると
食べていけないみたいな事になっているらしい
だから心配なのは、もうこれからはこんな自然素材を
自由に使いこなした家具を作る職人がいなくなってしまう可能性が
冗談どころではなくなってしまう
今いる職人さんはいい歳をした人たちばかりで、やがて目が弱くなって
細かな仕事はできなくなっていく
後継者は経済的に生活が成り立たないからいなくなる

こんな話は家具だけでなく建築にでも見られそうだ
伝統的な工法によるものの方が
最近の数ヶ月で出来上がり、できたとたんから価値が下がっていく家よりも
長持ちしそうだ(つまり安くつきそう)
西欧のように、家をその家族だけでなく社会の財産として
誰かが上手く引き継いでいけばいいのだが
それでもこんな風にするには初期の金額が大きすぎるから
実現は難しいのだろうか

つまるところ今日の言いたい事は
職人さんの手仕事になる類いのものは大事にしてほしい!
ということだ
文化的に価値がある!というのではなく現実に生活の上で
大いに役立ち、人の生活を潤いのあるものにしている
若い人は新しいものだけでなく
古いものにも、(ブームにのるのではなく)関心を持ってもらいたいものだ









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「子供は風の子」じゃない?

2008年01月10日 20時53分19秒 | Weblog
またまた少年サッカーの話
明らかにサッカーは冬のスポーツで
夏の大会には全く閉口するが
冬も風の強いのには参ってしまう

ところで昔「子供は風の子」と言って
自分も幼い時には、冬でも結構薄着で外に出て
凧揚げ、ドッジボールなどした様な記憶があるが
今の子供たちは、本当に「寒がり」が多い

練習を始めようにもユニフォームの上にジャージ
その上にコートを着込んで寒そうなそぶり
走りにくいからコートは脱ぐように言って
ようやくスタート
もっとも中にはやたらと寒さに強い子もいて
短パンTシャツで、見ているこちらが寒くなって
何か着たら!と思わず言ってしまう様な子もいる
しかし、どちらが多いかと言えば明らかに「寒がり」の子

なにかで、今の子供に寒がりが多いのは
生まれたその時からあたたかい部屋に置かれて
寒い環境を知らずにいるため
寒さに対する適応力を育てる事ができなかった
などと言ってたが、またもや好環境が
動物としての野生、逞しさを奪う事になっているようだ

楽な環境にいる事はありがたいが
幼い時やしかるべき時には、ある場面に於いては
厳しい環境に敢て置くことが必要な気がしてならない
(もっとも、その子供に対する愛情が存在する事が大前提ではあるが)

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親御さんは最高のサポーター

2008年01月09日 20時35分20秒 | Weblog
この間の日曜の全学年でのサッカー公式戦での事
サッカーを楽しむ事が一番の目的になっているので
選手は上手い下手のかかわらず、一応全員ゲームに出場できるが
普段子供たちの練習状況を見る事ができない
親御さんたちの熱狂ぶりが凄い
特にお母さんがたの興奮、応援は
傍目に見れば、実は彼女らが一番楽しんでいるのではないかとさえ思われる

しかし、その応援はとんでもない言葉が飛び交う事も多い
「シュート!」
大声で叫ぶのはいいのだけれど、ハーフウェイラインの辺りから
そんな事を言われても子供たちの力ではとても無理だ
そして、シュートが外れたとき、シュートを際どく防いだ時のため息
シュートが決まった時の喜びようは、男にはチョットできないテンションだ

こんな風にお母さんがたは喜んでいるが、
実は子供たちも劣らず喜んでいるのかもしれない
というのは、このサッカーの大会は各チーム頑張った子供に
個人賞としてメダルを与えているのだけれど
そのメダル受賞対象となる子供が、
いつもの練習の様子と違って、普段は今イチの子が
アレッ!と思うくらい活躍する事が多い
それはこの間の試合でもそうだった
練習ではそれほどゲームに積極的に参加していなかった子供や
集中力のなかった子供が、不思議とあの日は頑張れていた
フト思い返すとその子供には親御さんが応援、観戦に来ていた
そうか、親御さんが見に来ているのか、道理で!と
ここでまた、応援の力、肉親のそれの凄さを改めて
知らされる事になったのだが
子供たちはやっぱり親御さんたちにはいいところを見せようと
する気持ちが働くのだろうか?
それとも気持ちが安定するから頑張れるのだろうか?
どちらにしても、子供たちも親御さんが来てくれるゲームは
いつものゲーム以上に楽しいもののようだ


こんな現象は小学生まで!と思われがちだが
どうしてどうして案外中学生でもそんな傾向が見られる
大きくなってもかわいいもんだ!
と思うと同時に、応援の力は想像以上に大きいものだと
改めて納得した次第だ
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休み(お正月)の過ごし方

2008年01月07日 21時51分03秒 | Weblog
曜日の関係で、今日7日が仕事始めになったところが多いようだが
ご多分に漏れず自分もそのひとり
年始の挨拶に続いてお互いに出る言葉は皆
「休みの間(正月は)なにしてた?」
の問い
そしてこの問いの答えも割と多かったのが
「なんにも、、、」
「食っちゃ寝てばかり」
ニュースでは海外旅行なども報道されていても
実際はこんな人数の方が圧倒的に多いだろう

考えてみると、このなんにもしない
怠惰な生活こそが休みの真骨頂ではないだろうか
確かに何か目的があって過ごす休みも
充実感はあるだろう
しかし、なんにもしない事を目的とする様な休みは
少しばかり、馬鹿になってしまうのでは!
の恐怖心はあるものの気分転換には最適ではないだろうか

ヨーロッパ人の旅行の時間の過ごし方や
海辺での様子を見ると
彼らはそれこそなんにもしない
ただ寝そべっているだけだったり
ロッキングチェアーに座って本をいつまでも読み続けている
そんな光景が目に浮かぶ
日本人はどうもこれができないみたい(?)
なんにも目的を持たずにダラダラと旅するのは
もっとも苦手とするところで、記念写真をたくさん撮るために
滞在時間も程々ですぐに次の目的地に移動してしまう
これが時間の効率的な使い方だろうか(?)

お正月は、お祭りの日と同様に
飲んべえにとってありがたい事に
日中からアルコールが公然と認められる
(一年の計は元旦にあり、との社会通念とは矛盾するが)
いつもガミガミの奥方も、この期間はどの家でも(?)
仕方ない!と許しているようだ、、、
しかし、実際のところ日本中でこんな生活を送る事ができているとしたら
それはそれで国としては豊かな生活を送っている事にはならないだろうか

豊かな生活
それは必ずしも物質的な所有だけではないだろう
おだやかな時間消費!
目指すべき目標はこの辺りにありそうな気がするが
しかし、これも一歩間違うと流されてしまいそうで
なかなか充実した生活を送るのは難しい
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連休最終日

2008年01月06日 17時57分48秒 | Weblog
過ぎてしまえば、あまりにも早い時の流れ
今日はもう連休最終日
そして今年の少年サッカーの初蹴り
しかも全学年のゲーム

幸い穏やかな天候で助かったが
やっぱり昼を越えたあたりから腰が前に曲がらくなった
一応念のためコルセットはしていったのだが、、、
腰だけでなく背中も痛くなって
本当に参った
もう良くなる事はないのだろうか

年に3回行われるこの大会は
全員が楽しむためのもので
勝負は負けるより勝った方がいいが
どちらかと言えば普段選ばれない子のための大会

自分の担当は1年5人と2年10人の2チーム
このくらいの学年だと前に行く力が強い子が圧倒的な存在感を示す
皆で固まりになるのは当たり前で
これは口で言っても夢中になれば周りが見えない年頃なので仕方ないが
自分たちのチームの邪魔を自分たちがしている
つまりドリブルで前に進もうとしても
味方がそこで待ち構えて進むコースをふさいでしまったり
ドリブルコースに接近して味方がドリブルをしにくくしているのは流石に困る

そこでハーフタイムに、君らはこうなんだよ、と説明するが
そうか!と言葉を出して納得の様子も
いざゲームが始まってしまうと元の木阿弥!

それでもボールに触らなくても2、3人の
運動神経のいい子だけに任せて
変にフォーメーションをカッチリして勝ってしまうよりは
俺が俺が!の方がまだいいだろう
(まずやってる本人たちが楽しそう)

それにしても気づく事は、やはり利き足しか上手く使えないということ
ドリブルでかわすにも右足のインサイドで方向転換をするので
利き足でない左の方ばかり行ってしまい
最終的には上手く蹴る状況ができないでいる
残念ながら自分らのチームは
練習時間のの多い他のチームのようにはいかないので
現実的に有効な策として
利き足でない方の足のレベルアップを計るようにしているが
上手くできない子供たちのイライラが募るばかりで、これもまた難しい
しかし、こうして試合の中で利き足でない方が上手く使えると
利点が多いのを実感すると、多少は素直に練習に取り組んでくれるが
それも長くは続かない

結局今日は1年生のチームは1勝1敗
2年生のチームは2勝したが決勝の相手が3年生
体力、スピードの違いはいかんともしがたく0-2で負け
だが試合後も興奮した話ぶりで話しかけてくるところをみると
彼らなりに楽しい時間だったのだろう
そんな訳で、腰が痛くなった事を除けば楽しい一日だった

しかし、この時間になると
さざえさん症候群が襲ってきて、、、
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魔笛

2008年01月05日 23時03分53秒 | Weblog
久しぶりのオペラ観劇
題目は「魔笛」でプラハ国立劇場オペラによるもの
今日はオペラ観劇の経験がない人と出かけて
その反応も興味深かった

一昨年のラ・フォル・ジュルネのモーツァルトの時
一番好きな曲はという質問があって
その時「魔笛」と答えたくらい好きな曲だ
なによりも音楽が澄んでいて美しくて楽しい
特に1幕のパミーナは生きているから鈴の鳴るあたりは
とても楽しい
前に魔笛を実演で見た(聞いた)時、ほんとにメルヘンチックで
心が弾んだ
勿論夜の女王のアリアもアクロバティックだし
パパゲーノの人間くさいところが聞き物だったけれど
時間をおいて改めて久しぶりに聞いてみると
前とは大分印象が違った
といっても相変わらず音楽の力はすばらしい
話自体は支離滅裂で人を好きになったり絶望したりと
感情が極端に振れているが
それでもその気持ちになった人間の感情が
雄弁に表現されている
そして今日はパミーナ役のマリエ・ファイトヴァーが
声質も若々しくよく前に出ていて
とても良かった
これは初めてオペラを経験した同行者も同じ意見だった

少しばかり残念だったのは夜の女王
あの曲自体難しいし、ホント声のサーカスみたいなところがあって
上手くいけば拍手喝采で楽しめるけれど
今日は少しばかり一番高いキーは苦しそうだった
同様にザラストロの低音も出ていたとは言いがたかったかな?
しかし、要は欠点探しよりも楽しめたかどうか
ということ
その点では充分楽しめたといえる
やっぱりモーツァルトは凄いや!
必要最低限で非常に効果的で、そして
音楽が生き生きしていて、、、
ベートーヴェンの理想主義的な、秩序だった世界もいいけれど
モーツァルトの均整のとれたハートフルな音楽も
真に人間らしくていい

ただ今日気になったのは字幕のこと
舞台両サイドにあったのだが
どちらを見ようかしらと
変に迷ってしまって最初舞台に集中できなかった

もっともどんな演奏会も最初のうちは
自分のほうも演奏家のほうも調子が出ていないこともあって
集中できないことが度々あるのだけれど、、、

同行者は圧倒された!
とまではいかなかったようだけれど
それでも、また別の演目を見てみたい!
とも言っていたので
それなりに楽しめたのかも
自分は隣の様子を気にする余裕なく
充分楽しめたが、、
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初詣

2008年01月04日 08時58分07秒 | Weblog
元日には近所の氏神様
そして昨日は(3日は)暇に任せて、古くは大岡越前や渡辺華山
今ではイチローが参っているという豊川稲荷に初詣

天気がよかったせいか、まずまずの人出
(もっとも毎年行くわけではないので、比較できたわけではないけれど)
本殿に行くまでは30分くらい渋滞で待たされた
しかし、自分もそうだけれど大半の人がお賽銭を投げ込んで
ちょこっとお祈り、願掛けをしてそれでおしまい
まるで病院の診察みたいな状況だ
(待つだけ待たされて診察は2.3分?)

それにしても、そういうものだとは言うものの
現世利益にたいする人の欲望は
あれだけの人を見ると呆れてしまう
お願いばっかりされて、神様も大変だ!
フト、こんなお願いばっかりでいいのかな?
と考えた
普通は願掛けが成就した時には、お礼参りするのが当たり前で
その年のうちに初詣のお礼参りに行くのが本来の姿らしいが
どれだけの人がそれを行っているのだろう
もう少し感謝してもバチは当たらない気もするのだが、、、

ずっと前、此処の初詣に来た時に見かけた着物姿は
昨日は4組だけだった
若い女性が2組、おばさんたちが2組
本当に少ない
着付けが面倒だし動きにくいからだろうが
特に若い女性なんかは夏祭りの時の浴衣と同じで
目立つ事請け合いで、変なファッションするより良いと思うのだが、、、





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食ったり、飲んだり、そしてサッカー

2008年01月02日 22時13分58秒 | Weblog
一年の計は元旦にあり!
を習って、節約に努めた二日間
つまり買い物(出費)はしなかったが
何にもしない日々を過ごしたということ

しかし、食っちゃ寝、飲んじゃ寝、では
良い二日間ではあったがこの先一年が心配かも?
もっとも、こんな怠惰な生活が公に許されるのは
そんなに滅多にないことで
ある面、これぞお正月!なのかもしれない

さてサッカー天皇杯
鹿島の守りは安定していたというか
組織だってすばらしかったが
若干不安なのは、最近のJリーグ
質の低下が見られるような気がすることだ
確かに全体的なレベルは上がってきているかもしれないが
ここぞ、という時の選手の質がイマイチの様に
思えてならない
内田のシュートすばらしかった
これから伸びていく選手の
運とか未来を予想させる一発だった
そして鹿島の二点目
あのシュートは日本人にはめったに出来ないシュート
ブラジル人のシュートの正確さを感じさせる得点だった

今日の高校サッカー 佐賀北VS中京
トーナメントの怖さが如実に現れた試合
多分リーグ戦かなんかでやっていけば
中京のほうが確率的には勝つだろうが
この試合にかける佐賀北の集中力、
やれる!といった気持ちの乗り!
それらは上手いけれどたくましさに欠ける
中京を上まったようだ

それにしても真ん中にいて
中央から一人で打開していくFWは
この時代にはもう無理なのだろうか
せめてしっかりした守備の体制の中でも
ボールを中央で前に力強く運んでいける
選手が多くなってほしいものだ


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