パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

昇竜しだれ梅まつり

2015年03月18日 19時44分22秒 | 旅・旅行

新城市からさほど遠くない浜松市の引佐町
そこにある奥山高原の昇竜しだれ梅まつりに出かけた

2011年に一度出かけているので今回は2度目
前回はまだ早く寒かったが今日はぽかぽ陽気
しかし人出は前回よりも少なかった

撮影スポットの水車の近くにも人は見られず
梅は五分咲きよりも少し咲いた感じ

順路に沿って坂道を登る
水の音が心地よい

 

ひと通り歩いたところで休憩所で梅茶のサービス
そこで何も買わなかったが、美味しくいただきました

写真だけではわからない
そこに行って初めて分かること
それは梅の香り、
駐車場に着いた時から梅の香りが漂っていた

いつも思うことだが、三遠南信
いわゆる三河と遠州と信州は頭で感じるよりも近い 
行政のくくりよりはもっと自由な行き来があったのだろうと
容易に想像できる

それにしても温かい一日だった
車の窓は半分開いての運転
ところが来週は寒の戻りがあるとか
それが済めばいよいよおまちかねの春の訪れだろうか

 

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賃金アップはスキルアップだけで可能となるか

2015年03月17日 20時25分08秒 | あれこれ考えること

先日の蓮舫さんの参議院での質問で扱われるまでもなく
日本のシングルマザーの就業率は全世界でも高い方にも関わらず
その収入は下の方に属すると言う事実がある

その為に、より高級な賃金を得るべく仕事に関するスキルアップを
図るための施策に相当の予算を計上するとあった

しかし、実感は頭で考えた遠い話で
現実を反映していないと思えて仕方ない 

問題はそこにではなく、働いても少ない収入しか得られない
賃金体系にある(働くスキルと言うよりは)

様々な事業を支えているのは実は現場
その現場の仕事は残念ながら置き換え可能なため(だれでもできるため)
その仕事は重要視されない
そしてその結果低賃金となる

現場を馬鹿にすると事業が回って行かないことが
これからは出てくるかもしれない
すき家しかり
ネットの販売でも配送のドライバーが不足して
円滑に廻っていないとか話を聞く 

まずは最低賃金のアップ
そして非正規、正規が同じ仕事であれば同一賃金にすべき
これが一番即効性もあり現実的な気がする
もっともこれは企業側がなんやかんやと理屈をつけて
反対しそうだ
本当はこれを実現できてこそ政治の力と思うのだが、、 

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よく見れば蜂が飛び回る桜かな

2015年03月17日 19時50分28秒 | 徒然なるままに

天気予報通り、とても暖かいぽかぽかした陽気だった
昼ごはんに出かけた店の前には早くも桜が満開の様相

青い空とくっきりとしたコントラストは
理由もなくいい気持ちになれる

少し注意してみると蜂が飛んでいる
はじめは一匹だけと思ったが
そんなことはなく数匹が忙しく場所をあちこち変えながら
蜜を集めている

こんな普通の出来事がとても感動的に
不思議なことのように思えてくる
蜂は何のために生きているとか考えることはないかもしれない
でも、目前の出来事にひたむきに取り組む
その姿勢はとても健気で愛おしくさえ思えてきた

ところで、蜂関連の食品は愛用している
蜂蜜はもちろんのこと、ププロポリス、
そして一時期はポーレンも
蜂くんたちにとって横取りする自分たちは
厄介な憎むべき存在?

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新城市議会傍聴(その2)

2015年03月16日 08時34分44秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

先週の水曜日、2回目の新城市議会の傍聴に出かけた
そもそも議会自体がどのような段取りで進んでいくのか
分かっていないが、前回の市議会を踏まえて
もう少し突っ込んだ現実的な話が聞けるものと
思っていたが、そういうものではなかった

第1号議案から第78号議案まで
あるものは質問を交え、あるものは質問なしに
次の委員会に進められていく段取りの確認作業のようだった

たくさんの議題が粛々と進められていくが
質問があるような議題は確かに聞いて確認しておいたほうが
いいような内容だった

先日新聞にも掲載されたが、新城市の特別職で非常勤の報酬等について
質問があってなかなか興味深かった
ここでいう新城市の非常勤の特別職とは今回は地域自治区の
自治振興事務所長のこと
このひとの報酬の算出の根拠の説明を求めたもの

ところで、その前に地域自治区というものがわからない
たまたま3年前に自分たちの区の役員の仕事をすることになり
その時にこの地域自治区をいうものができるようになる
と説明を受けたが、現実的な運営は区長さんを始めとした
数人で運営されるので、細かいところはわからない
とにかくシステムが変わったというくらい

市としては各自治区にお金の使い方を考えてもらって
無駄な出費を出さないようなシステムなのだろうが
どうも具体的なイメージができない
地域自治区はもうひとつ交付金事業の審査もあった
各地区に割り当てられた交付金を申請された事業の審査を行って
認められたものにはお金を提供するというもの
これも機械的に(我々の地区では)区長さんが
その審査の役員となっているだけで任期は短く
実際には市民には伝わっていないのが現実

その分からない仕事の事務所(自治振興事務所)の事務局長が
今回生まれたわけだが、質問に「一体何をするのか?」とあった
窓口と業務の管理、
なんだかわかったようなわからないような
報酬の根拠は
この仕事は市職員では副部長職に当たる
そこで年収を時給換算にして、非常勤の人の働く時間に乗じて算出
事務局長の選び方、資格等は
コミュニケーションスキルがあり、市の実情もわかっている人で〈だったかな、、)
とにかくふさわしい人を選んだ
誰が選んだのか?
これは市長の権限によって選んだ

新聞には誰々が何々の事務局長に専任されたの数行だが
現実には少し含むところもあるような行動と勝手に納得した
(ここで何を含んでいるかは表にしない)

市の仕事、行政の仕事で一番の問題は
実は何をやっているかわからない点
わかろうとしない庶民に責任があるのかもしれないが
それでもわかろうとして取り組み方も、取り組んだところで
なかなか障害が多い

今回市議会を傍聴すると出てくるのは
法律の条文と第何項と言う言葉
この言葉のオンパレードで一般人には何のことかわかりにくい
つまり現実的には庶民が議会の内容を真に理解するのは難しい
ということで、庶民の代表として専門的な知識を有していると
思われる代弁者、代議員を選出して庶民の代わりをやってもらおう
と考えたうえでの議会制民主主義ということなのだろう

さてこの庶民の代表・代弁者は今度は本当にその知識と
市民目線での活動をしているか?
が今度は問題になる
〈多分国に当てはめても同じこと)

市議会で決まったこと、検討していること、やろうとしていること
それらを目にする機会はあるのか
議員だよりというものが定期的に発行されているし
市の広報にも掲載されているというが、、、

結局、行政は請求主義ということ
庶民や請求者が段取りにしたがって請求しなければ
行政が自発的に何かをすることはない

つまり、わかりやすく市民に伝えるということはしない
ただ、伝えるという過程を踏んでいるだけ

なるほど、大半は堯舜の政治のように何も気にならずに
暮らしていければそれだけうまく行っていると
考えることはできるが、こと問題が起きた場合には
庶民は少し考える必要がある

さて、まだいろいろあったが
一旦全て終了した時点で住民投票についての
臨時の提案が二人からありあった

ひとつは常設型の住民投票のシステムの変更
住民投票の条例の制定
合併特例債の延長を求める意見書

住民投票を求める署名活動を行ったが
現実的であるとおもわれた常設型の住民投票に関する法律も
実際行ってみるといろいろ良くない点が見つかった
まずはハードルが高過ぎる
エアコンの設置の有り無しで行われた埼玉の住民投票と比べ
3分の1はあまりにも高いのではないか
これは市民が主役の基本条例に反するものではないか
検討して欲しい

5日間で9000もの署名が集まった
住民投票を行うという判断をしないか

合併特例債の延長を国に請求する意見書をださないか

おおまかに言ってしまえばこんな内容
提案理由の発表があった後に議員からの質問があった

まずは最初の常設型の住民投票に関する法律の改正
確かに3分の1の署名はハードルが高いのは実感
だが今回住民投票を行うとしたら費用は2000万円必要とのこと
頻繁に住民投票をいうことになれば、それはそれで問題

今回の提案は新市庁舎の再考を求める住民投票については
そのシステムに不備があるように思われる
市民が自由に選ぶことができるようにとありながら
意見に対する判断は○を書くだけの選択肢になっており
×を選ぶ事ができないが、自由ではないのではないか?
秘密投票となっているが無記名ではなく秘密投票とした理由
(鳥取県の例を参考にしただけでほとんど無記名と同じ意味との解答)
そもそも時間的に間に合うのか
一から見直しではない、現状の案をベースに縮小をもとめるもの
普通は決められた範囲内でこなしていくのが普通の社会
間に合うかではなく間に合わせる

ということは間に合うと解釈されるが
その上で合併特例債の延長とは先程の間に合うとの意見と
整合性がないように思えるが、、

その他色いろんな意見がでた

しかしそこで気になったのはこうした議会では
決してより良い案を創りだそうという機会ではないということ
素直に耳を傾ければ相手側の良い意見があれば聞き入れても
良さそうな点もプライドというか、一旦口に出してしまった言葉への
責任かどうかは知らないが、最後は意地の張り合いになってしまっている

普通に考えれば合併特例債の延長を求めることは
単に保険をかけるくらいの意味ではないのか
国に安易に求めてはいけないから慎重に扱わなければならないのか

言葉の上での整合性は
必ずしも実生活での知恵に繋がっていない
結果責任の政治家は、想像力を持って判断すべきと思うが、、

正直まだ議会のシステムはわからない
多分細かな検討がなされる委員会なるものが
あるのだろうが、それは公表されるのか

それにしても自分にとっては
今回の住民投票に関する活動は無関心でいた市政への
関心を高めた意味では大きかった

自分と同じような人も増えただろうか


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新城×若者

2015年03月15日 19時15分55秒 | 徒然なるままに

黒いバックに新城×若者
と書かれたポスターが市内の色んな所で見られた
一体なんだろうと詳しく読んでみると
本日15日に文化会館の中ホールでなにやらイベントが有るとのこと

それで内容もわからないまま出かけてみた
大ホールでは瀬川瑛子と原田悠里のコンサートもあるせいか
駐車場は満車、少し遠いところにいかざるを得なかった

中ホールは約半分くらいの埋まり具合
さてその内容は、「若者政策キックオフ」と名付けられ
来年度から始まる若者が中心になって活動する活動の紹介と
そのメンバーの募集

来年度から実質動き始めるらしいが既に準備期間の
今年度もあれこれ取り組んでいて
新城市を活性化するための4つの提案などが
発表された

この発表会、やはり素人、初めてというせいか
MCも進行もPAもギクシャクして
決して円滑というわけではなかった
しかし、初めて何かを行うということはそういうこと
要はこの経験をどうのように活かすか
ということ

新城以外の土地から新城に住むようになった人から
新城の印象など対話形式で30分ほど

活性化するために行動したいこと4つ
それらが、現時点での彼らの力、感性で発表された
軽トラ市で3on3!できるようにしよう
フットサル場を作ろう!
図書館の2階をリノベーションして楽しい空間にしよう
青少年会館をもっと有効に使えるようにスタジオ等に改修しよう

少しばかり生活感から離れた発想が伸びやかで屈託なくていい

ただ残念だったのは客席は若者よりは年配者が多かった
これが若者がいっぱいだったら良かったのだが
これは次への課題か
最初から何もかもうまくいくなんてことはない
ただ言えるのは、このイベントに当事者として参加している人は
とてもよい経験をしているということ
物事は経験でしかつかめない事がある
彼らはその何かをつかむチャンスを得ているのだから
運の良い人たちなのだろう

そして我々歳の入った連中は彼らをおおらかに
大きな視野で見守ることにしよう

若者には「失敗する権利がある」
彼らには失敗を取り返す十分な時間がある
彼らに期待することにしよう

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決定力だけでなく

2015年03月14日 21時05分15秒 | サッカー

シュートにつながるクロスの精度が悪い
それが今日のグランパス対ヴァンフォーレの試合の感想
甲府の守備がいいというよりはグランパスの攻めの雑さ加減は相変わらず
左右からのクロスがぴったり頭に合うことはないし
途中で引っかかったりして得点の香りはしない
(ゲームは甲府が1-0の勝利)

このクロスの精度の悪さは代表でも同じこと
流石に調子のいい時の長友は良かったが
評判の良くなった内田でも最初アシストってあったかな
と思わせるほど、、
内田のアシストってどうも印象にない
フリーランニングは良かったかもしれないが
パスが良かったという印象は何故か無い

そして決定力は相変わらずふかすシュートが多いし
守備側が攻めこまれてカットしたボールを前につなぐ時
プレスがかかった状態でのパスの精度
これもイマイチ

日本ではサッカーだがフットボールと言う国のほうが多い
そして日本はこの競技はレッグボールというくらい
フットの部分のことよりレッグに代表される部分のほうが大きい
戦術が重要視されるイタリアは前提として現実的な止める、キープする
パスするといった技術は高い

ここの部分が少し不満
ドイツのように華麗さはなくても
やるべきことがクソ正確にできるというのは
現実的には上手いということだと思うが
日本はどうもトリッキーな思いつきのプレーを評価しがち
この基準がそろそろ変わらないかな
つまりうまい選手と言う定義を変えたほうがいいのでは
中村俊輔のプレーはファンタジスタというより正確なキックのこそ
その本質はあったように思う
ミスが少なくこじんまりというのではなく
どんな時も正確に戦えるメンタリティを持った選手
それが真にうまい選手なのでは

それと気になるのがボールを奪取する能力
これを鍛えないともう一歩上にはいかない
この部分は対人プレーでボールを取るプレーの練習をもっとしなくては
つまり育成時代のあたりから人と人との距離が近いプレーを
たくさんこなさないと身につかないのでは

体で覚えるしかないことを
あまりにも頭で理解して実用化しようとするが
残念ながらそれには今壁にぶち当たっている感じ
やっぱり体験、積み重ねのちからは馬鹿にできない

 

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レアチーズ餅

2015年03月12日 21時17分28秒 | 徒然なるままに

甘いものが結構好きだ
多分アルコールよりも
昔は何処に美味しいものがあると聞けば
フットワーク軽くあちこち出かけた

流石に最近はそんなことも無くなったが
先日岡崎に出かけたついでに
本宿の葵園でレアチーズ餅を購入した

薄い餅にさっぱりしたレアチーズが覆われている
いちご大福の中身がレアチーズに変わったもの
と言ってしまえばどうってことないかもしれないが
これがなかなか美味しい
日本的な餅と西洋のチーズ 割りと相性はいいようだ

ところでいちご大福の話題が出たが
東三河でが豊川の亀忠のそれが美味しい
大きないちごが主役でお菓子というよりは
より美味しいイチゴの食べ方みたいだ

このお菓子好きはどうやら昔からで
約40年前のドイツに行った時の日記、出納帳を見ていたら
毎日のようにコーヒー・ケーキの項目があった
いろいろ節約しなければならない時だったのに
今こうして振り返ると随分大雑把な節約の仕方だった
と思わざるをえない

最近は和菓子のほうを食べる機会が多いが
コーヒー豆をミルで粉砕するところから始めているので
ケーキとの組み合わせも良いかも

コーヒーとケーキ
紅茶とケーキ それらのベストな組み合わせ
何か法則があるのだろうか
頭でっかちに知識を詰め込むより
まずは実践の味見かな

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他人の経験を自分のものにはできない

2015年03月10日 19時56分09秒 | あれこれ考えること

つい少し前、中国人の爆買いが話題になっていた
今一つの日本の景気を支えるものだとか
購買客を外国人に求めるのは新しいビジネスチャンスだとか
言われていたが、そのトーンの中にどこか素直に捉えていない
気配を感じたのは自分だけだろうか

お金に任せて買いまくるのは品がないとか、、

しかし、これはかつて日本人もやっていた
ヨーロッパのブランド店へ大挙して押しかけ
嵐のように買い上げていって
その為にブランドを育ててきた人々のひんしゅくをかった
それどころか、あまりにも一般化したブランドは客離れまでしたとか

中国人の食品偽装
これだって日本人は昔やっていた
いや昔どころか今もやっている

観光地での大騒ぎ、落書き
これも悲しいかな日本人も実績がある
ハイデルベルクの学生牢だったかに日本人の観光客が
落書きをして、そのせいで同じ日本人ということで
自分が冷たい目でみられた事もあった

電車に乗るのに列を作らない中国人と言われるが
昔の日本人も似たようなもの
名鉄電車に乗る時にまだ冷暖房がなくて窓が開いていた車両
その窓から荷物を投げ込んで場所取りをしていた事もあった

結局悲しいかなどこの国も人も同じようなことをして
時間をかけて訂正していく

他の国、他人が行った行為を自分の事として真に参考にすれば
起きなかったことはたくさんある
中国のPM2.5は四日市ぜんそくを参考にすれば
もう少し考えようがあったはず

他人の経験を自らの体験と見なし
悪いことはしないようにする
これが効率的で言葉の上では当たり前のことに思えるが
現実はそういう訳にはいかない

結局他人の体験は他人の体験
自分が痛い目をするしか本当の体験にならないのが現実

時に想像力豊で他人の経験を、歴史を参考にして
自分をつくり上げることができる人が生まれるが
その人数は圧倒的に少ない
そしてその人たちの予言のような言葉は
多くの人に届かない

そこで一番心配するのが最近の社会、政治の行われ方
これはまるっきり昔の痛い経験を自分のものとしていないのではないか
そんな風に思えてならない

ドイツのワイツゼッカーの言葉
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」

日本は過去とか他人の経験を
自らのものにしていないのではないのか 
こうしたものを考慮しないポジティブな考え方と言うのは
ちょっと軽すぎるし、理性を感じない

危険な方向に舵取る世の中(と思えて仕方ない)
少しでもブレーキをかけさせなければ

 

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新城市議会傍聴

2015年03月09日 20時07分46秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

初めて市議会の傍聴を経験した
恥ずかしながら新城市の市議会所が何処にあるのかも知らなかった
そして議会運営のシステムが国会と同じようなものだとも知らなかった
(もっとも国会のシステムを知っているわけでもないが〉

傍聴席に出かけた理由は例の新市庁舎の再考を
求める住民投票について署名の結果を踏まえての
推移を知りたかったから

それで、予定された二人の質問の前の人の時間から
聴くことにした

なるほど、いろんな問題を話あっているものだ
と今更ながら実感
そして質問をする方の文章力、答える側の要点を把握する力
それらがよくわかった

答える方は予め質問がわかっているから答えやすいだろうが
今日の時点でも質問に短く適切に答える市の職員もいれば
聴いていてもイライラするような要点を把握していない状態での
答弁の人もいた
ぼんやりとぼかすのが技術なのか、本当に質問の意味を分かっていないのか
少し心配な面もある

さて住民投票についての署名が5日間で9000以上集まったが
それに対する意見は〈感想は?)
9000以上と行っても正式なカウントではない
選管の人がきちんとチェックした上で数を数え
議会で審議にあがった時点での意見は言えるが
いまは何かを言える状況ではない

前回の選挙で薄氷とは言え自分〈市長)が選ばれたということは
新市庁舎の問題も信託されたと考えている
しかし、9000程の数字の重さは感じているが
同時に9000人の人にも責任を持ってもらわねばならない
住民が関心を持ってもらうにはいい機会と考える

次の議員も住民投票の署名活動に走り回った人
住民投票の持って行き方として最初は常設型住民投票を選んだが
実際にそれで進めようとすると現実的な障害が多すぎる
この常設型住民投票のシステムは1昨年、時間をかけて作り上げた
新城市独自の方法だが、制度的に治すべきところはあるのではないか

この常設型住民投票のシステムは時間をかけていろんな可能性を考えて
作り上げたのだろうが、一つ考えていないことがあった
それが住民投票の実行の判断すべき市長の行動を問題として
住民投票にかけようとする場合のこと

それ以外は、なるほどと言えるシステムかもしれない
ところが当事者が問題となれば、
当事者は、分かった住民投票をしましょう
とは余程の人でない限り言わない

つまり当事者が係る問題はこのシステムではダメということ

常設型の住民投票の市システムは
市長が判断する前に市民自治会で討論され、
そこで住民投票は多くの人の意見になっていない
とか、騒いでいるのは一部の人みたいな解釈で
〈どちらもそんな解釈は無理がある)
そんな意見を踏まえて市長は参考にするのかと問えば
そもそも市民自治会は市長の諮問機関
つまり市長の意向を受けた討論をする場所
ここでも当事者に関する話以外なら良いが
当事者が絡んでは公平とはいえない

いろんな場合も考えただろうがシステムとして不備が見つかったということ
自分たちが最近つくったばかりだとしても
不備は不備、これをまともに機能させようとするなら
訂正すべき

国会も市議会も、知の戦い、バトルの面がある
冷静に筋道よく説明する能力は簡単には身につかず
優秀と感じさせる人でも長い時間をかけて身につけたものだろう
しかし人間は不思議なもので、流れすぎる言葉、美しすぎることば
きれい過ぎる言葉はどこか信じられないと思ってしまう

巧言令色鮮し仁

昔の人もそう思ったようだ

いずれにしても、この問題は
もう少し全市民的な納得が必要な案件のような気がする

ところで、市議会の傍聴は思いの外興味深かった
市の職員も議会に出る立場となるとそれなりの実力が必要で
こうした人の専門的な力は毎日の業務の蓄積とはいえ
少し感動するところがあったのも事実

次は水曜日にまた住民投票の実施についての質疑が行われる
時間を見つけて知の戦いを見に行くとしよう

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ブルックナーの交響曲2番

2015年03月07日 10時43分19秒 | 音楽

ブルックナーの音楽は指揮者が頭で理解しても
聞き手にはなにか伝わらないことが多い
それよりは、彼の作品を無条件に愛しているかどうかのほうが
重要と思えてくる

そんなブルックナー好きの指揮者と思われる
アイヒホルンの指揮する2番の交響曲を聴いた

むかしCDショップで試聴盤があってヘッドフォンで
このCDを聴いた時アイヒホルンはブルックナーが好きなんだと
思い浮かんだことを今でも覚えている
それは分析的というよりは響き自体に共感しているような
深くはなくても自然を彷彿とさせるようで、、

自分はこの曲が好きだ
有名な4番よりは気に入っている
2番だけではなく、1番も好きな方で
圧倒的な感動とはいかなくても、田舎の風景をイメージさせる
音楽や素朴な野心に満ちたつくりはどこか微笑ましい

これらの曲を実演で聴いたことがないのが残念
なかなかプログラムには上がらないが
名古屋でも聴く機会があったら絶対行ってみたいものだ

あと、実際に聴いてみたいのは5番も
これは実際に聞くと最終楽章は圧倒されそうな気がする

ゲテモノ好きとしてはブルックナーの交響曲を
オルガンにアレンジしたものを実際に聴いてみたいものだ
CDにはあるがどうしても音響的に限界があるので
ぜひともナマで聴きたい

またピアノ曲・室内楽曲(弦楽四重奏曲・弦楽五重奏曲)なども
プログラムに上る機会があれば出かけてみたい

 

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