パンセ(みたいなものを目指して)

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正確で、全体的な理解を投票者が共有できているか(新城市住民投票)

2015年05月08日 22時47分06秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

今日も時間を見つけて、新城市の住民投票の文言について
どの様な感想を持つか人に聞いてみた
内容はこちら↓
 

やっぱり、意味がわからないが圧倒的に多い
どう考えても一部の人の声とは思えない
実際に市役所にも意味がわからないと苦情も来ている
〈市役所に行って聞きました)
市役所の人は可愛そうです
彼らはこんなややこしい文案を決定した市議会議員の 
被害者かも知れません

ところで2月12日のブログで新城市長は住民投票について
こんなことを書いている

住民投票は、やり方によっては民主主義を発展させる重要な手段となるでしょうし、
将来的には今のように肩ひじ張ったものではない、住民の随時・直接の意思確認方法として
定着するかもしれません(電子投票システムなどが完備すればその可能性も大きくなるでしょう)。

私自身はそうなって欲しいという気持ちもあります。

しかしそこに進むにはなお多くの努力がいります。

とくに情報の非対称性や格差を徹底的になくす努力です。

案件に対する正確で、全体的な理解を投票者が共有していなければならないのです。

後になって「そんなことは知らなかった」「そんなつもりではなかった」というのでは害悪の方が多くなるでしょう。

直接民主制を良く機能させるには、住民の中での「熟議・熟考」が不可欠で、
1人1人の住民もその責任を負っていることが了解されていなければならないはずです。

民主制度の宿命で、どうしても最後に物を言うのは「数の力」です。
その数を構成する1人1人がその力の行使に直接の責任を負うのが直接民主制です。

なるほど、その通りです
しかし、肝心な情報の非対称性や格差を徹底的になくす努力
案件に対する正確で、全体的な理解を投票者が共有していなければならないのです
と言う文章に、現在新城市が置かれている立場を考えてみるとどうなのでしょうか?

案件に対する正確で、全体的な理解がなされているとは思えません
だから共有もされているとはいえません

その為に、市民まちづくり集会を行う
といいそうですが、実は新城市住民投票条例には市民まちづくり集会の項目があって
この集会は30日前までにすることになっています

(市民まちづくり集会)
第13条 市長は、住民投票の期日の30日前までに、
自治基本条例第15条に規定する市民まちづくり集会を開催しなければならない


時間をかけて、問題点と情報の共有化を図るためです
ところが今回「市民まちづくり集会」行われるのは
半分の15日前
これが本当に正確で、全体的な理解につながるのか大いに疑問があります
投票項目がわかりやすければまだしも
こんなクイズのような文言は正確に把握するのは時間と説明活動が必要です

そしてこのまちづくり集会を実際に仕切っているメンバーは
公募により人選といいますが、、、 

とにかく今回の一連の流れははっきり言って不自然です
そして腹立たしい気持ちが収まりません

なぜこんな住民投票案になったのか?
本当にみんなで話し合ってほしいと思います

ところで思い出しましたが住民投票案で
市長の出した条件は
1.わかりやすいこと 
2.18歳以上の投票とすること
3.市民まちづくり集会を行うこと

だったはずですが、1.は守られているのでしょうか?

市長は今の案でもわかりやすいと言っていますが
多くの市民は分かりにくいと言っています
とすると、市長の感性はは市民と違うことになります
そんな人に市政を任せて大丈夫なのでしょうか?
人生いろいろ、考え方いろいろで済まされる問題ではありません 

少し感情的になりましたが
圧倒的な事実は、この住民投票案は分かりにくいという点です
新聞記者の方もそんな感想を持ったようです 

本当にこんな案で住民投票が行われること自体が
腹立たしくてなりません

なにかいい方法はないのでしょうか? 

コメント
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