「民衆がものを考えないということは、支配者にとっては実に幸運なことだ」
「大衆は小さな嘘より、大きな嘘の犠牲になりやすい」
「嘘を大声で、充分に時間を費やして語れば、人はそれを信じるようになる」
「賢い勝利者は、可能な限り、自分の要求を幾度も分割して敗北者に課するだろう」
「弱者に従って行くよりも、強者に引っ張って行ってもらいたい…
大衆とはそのように怠惰で無責任な存在である」
「大衆の多くは無知で、愚かである」
この言葉を発した彼は、その時絶頂だったかもしれない。
確かにこれらの言葉はある意味恐ろしいほどの本質をついている。
だがそんなことは胸に隠しておいて表には出さないのが普通。
つい口が滑った!というところか、それとも信念として語ったのか。
これらの言葉が人間の本質とするならば、今日本で起きている事柄、
この新城市で起きている事柄は当てはまるだろうか?
そんな極端なことは起きていないよ!
考えすぎ!
拡大解釈しすぎ!
でも、
当てはまる!
なるほど!
と感じる人も少なくないのではないだろうか。
本当はどちらか?
さて、勢いに乗ってこの言葉を発したのは誰か?
君主論のマキャベリではありません。
彼は「わが闘争」を著した口ひげの人物です。
「市民力」が問われる今回の新城市の住民投票。
他の都市からも、そして後の世代の人たちからも批判されないように、
自分でしっかり考えて結論を出したいものだ