パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ポール・マッカトニーの歌詞

2015年06月14日 19時00分47秒 | ポール・マッカートニー

ジョン・レノンが凶弾に倒れたその年か
数年後に「イマジン」というドキュメンタリー映画が上演された
タイトル通りアルバム「イマジン」のプロモーションビデオを
中心としたつくりで、見た時は偉大な人物の喪失感が心に残ったが
いま思い返してみると、記憶に残っている部分は少し違う

 何故か本質とは関係無いようなところが心に引っかかって覚えている

小野ヨーコとの出会い
現代美術家の彼女との出会いはある作品から
右を見て、左を見て、下を見て
(なんだか子供時代のトイレのいたずらみたい)
そして上を見て(順番はこうではなかったかもしれないがこんな内容)
そこで最後に見つけた言葉が「Yes」(是)

この作品を見た時からジョンはヨーコに惹かれたという

もう一つ、心に引っかかっているのは
ジョン・レノンにある若者がインタビューだったか、質問をした時のこと
若者が「あなたはキャリー・ザット・ウェイトと言ったが、、、」
ジョンは「あれは僕じゃない、ポールだ」(こんなニュアンスのことを言った)

このキャリー・ザット・ウェイトとはビートルズの実質最後のアルバム
「アビーロードのあの素晴らしいメドレーの中の一曲」
ポールマッカートニーの日本公演で今年も一昨年も
最後の締めはゴールデンスランバーからキャリー・ザット・ウェイト、
そしてジ・エンドで終えている

若者が勘違いするように、確かに深い意味の有りそうな
キャリー・ザット・ウェイトは
ポールではなくジョンの作品みたいに思うかもしれない
でもポールの曲

そしてジ・エンドの素晴らしい歌詞
the love you take 
Is equal to the love you make

これもポールの作
穏やかで人間的には平凡な、
しかし音楽に関しては破格の天才ポールの 
言葉に残したメッセージ、本当に伝えたいことはこれ
だからツアーの最初と最後をこの言葉で挟んでいる

ところでメドレーでキャリー・ザット・ウェイトのところに来ると
思わず大声で歌いたくなる(実際にライブでは歌ってしまったが)
その気持ちよさ、歌いやすさ、肉体的な開放感は音楽の力そのものだ

ということで youtube にアップされていた武道館での
ゴールデンスランバーからキャリー・ザット・ウェイト、
ジ・エンドと続くメドレーを以下に

本当に素晴らしい 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横並びのメディア

2015年06月14日 09時14分30秒 | あれこれ考えること

新城市の住民投票に関して大きな転回点となったのが
マスコミの報道だったことは間違いないと思うが
少し気になったことがあったので(いつもの)独断と偏見で一言 

テレビのニュース番組に住民投票の告示日の翌日
一斉に紹介されたが
メーテレ・東海テレビ・中京テレビがほとんど同じような時刻に

出てた出てたと確認するのはいいが、
ふと何故同じような時刻なんだろうと思ってしまった 

そういえばこの手の事はよくある話で
リモコンでチャンネルを変えても同じニュースを
まるっきり同じ角度から撮ったと思われるような映像で
また同じようなコメントで放送されていることがある

芸能ネタでも誰かが来日したという話は独占ではなく
どのチャンネルでも扱われていたりする

同じニュースを同じ視点で全部の局が放送することに意味があるのだろうか
同じ視点ならひとつ以外は存在価値がないのではないのではないか
と思ったりするが、局の好き嫌いがあるから少しは仕方がないかもしれないが
なんとなく 納得出来ない思いが残る

テレビだけではない
新聞でも同じようなことがある
流石にお金がかかることなので、テレビのように新聞全紙を比較することはできないが
今回の新城市の住民投票に関しての扱いは 正直なところ
横並びの印象が強い
ニュースだから事実の紹介であって、そこに何か意見的な物を加えるのは
ニュースではないとの解釈もあるかもしれないが
ある新聞社が思い切って識者のコメントと言う形で追加し
批判的な記事を掲載したら、今度は日にちを空けて
やはり同じような体裁で記事を掲載したことがあった

横並びというのは記事の内容事自体ではなく
こうした姿勢のこと
誰かがやったことを、今度は安心して追従する
自分は先頭を走って何かをするわけではない

ある人は日本にある記者クラブという組織の存在が
こうした横並びの傾向に拍車をかけている
そして取材能力の低下を引き起こしていると説く

記者クラブの効率性はわかるけれど
そこで何か特権的な権利を持っていると勘違いして
自らの頭と足を使っての取材をしなかったら
将来に大きな間違いを起こすような気がしてならない

誰かがやったことを追いかけて
さも自分の意見のように話す
これは野球である解説書の言葉を聞いて
翌日自分の意見のように人に話すファンと変わりない

文句ばっかりになってしまったが
現実的なところ完全に公平・客観的な視点の確保というのは
難しいのだから それならそれで、ある立場からの意見をしたほうが
スッキリするし、そのほうが各々のメディアの存在価値もあるように思う

しかし、どうやら放送法とか新聞にもなにかそういった縛りがあるようで
歯が抜けたような報道しかできないのも現実らしい

市民・国民・われわれは結局のところ
情報リテラシーを自ら磨くしかないのかもしれない 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読みかけばっかり!

2015年06月14日 08時56分11秒 | 

新しくなった名古屋のMARUZENで購入したのが
新書の「アンナ・ハーレント 」
ハードカバーの「アインシュタインVS量子力学」
アントニオ・タブッキの小説「イザベルに ある曼荼羅」
そして文芸別冊の「モーツァルト」

これらは全部読みかけ(モーツァルトは楽に読めるのでほぼ終えているが)
そして別の興味から読みかけているのは
「大衆の反逆」 オルテガ著
(先日の中日新聞にある人がこの本を紹介していたので思い出して再読開始)
アンナ・ハーレントは いきなり翻訳とはいえ原本にトライするのは難しいので
人間の条件の入門書

しかし、この調子だとすべて読みかけで終わってしまいそう
昔は一冊最後のページまで行ってから次の本に向かったのが
最近は忍耐力が続かなくなってつい他の方に気が行ってしまう

自分でも少しヤバイと思っているが
困るのは小説などは登場人物や内容が一気に読まないと
思い出せないこと
エンタメのようなストリー展開ならまだしも、凝った構成になっていると
そして1ページいっぱいに段落もなく文字が詰まっていると
若い時のように読みこなすことができない

いかんいかんと思いながら優先順位をつけなければ!

今の気分的なものからすれば、一番は 「大衆の反逆」が最優先

とにかくまずは一冊を最後までいかなければ!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする