新城市議会6月定例議会
最終日(6/29)の本会議は各種採決
委員会に付託された条例案が結論の形となっていく。
幾らかの条例案が可決されたが、傍聴席も注目の議案は、まずは閉会中の継続審議の申し出の件
わかりやすく言えば、先日経済建設委員会において市道東新町桜淵線の廃止と認定が
継続審査となった件について、審議を伸ばしてよいかを問うたもの。
結果から言えば本会議でこれは否決、それですぐさま経済建設委員会に差し戻し、
審議をした後にもう一度本会議にかけられることとなった。
別室で行われた委員会では前回と同じ討論がなされたが、
議員の一人が付け替え道路の廃止と新たな認定に賛成したために前回の結果とは異なり、
委員会で市道東新町桜淵線は住民投票で市民から求められた結果と同じものとなった。
この委員会の結果を受けて再度本会議で、経済建設委員会が説明を行い質疑等をした後採決、
数人の反対者が出たが、あの問題となった急激なカーブの付替道路は廃止となった。
これで実質的に住民投票の意見が反映される第一歩となった。
そして安心して実務会議に臨む体制ができたというところ。
次に問題となったのは、(と言っても傍聴者の関心のある話題のことだが)
今回の住民投票の結果、及び住民投票にまでなってしまった過程の議会の反省を明確化するために
議長・副議長の解職の要請が討議された。
確かに個人攻撃的な要素は無きにしもあらずだが、この住民投票の騒動の責任を、
(住民投票に至ってしまった問題と、大半の市議が勧めた選択肢1が市民案に負けて、
議員は民意を正確につかんでいなかったのではないかという責任)形に表すことは、
少し厳しいかもしれないが、これも実社会では普通のこと。
これがなくてあの道の駅(もっくる新城)の場合のように結局誰も責任をとらず有耶無耶で終わってしまうならば少し問題がある。
個人攻撃が問題とするなら、少なくとも総括として明らかなモノをだれにでも分かる形として表現してほしいものだ。
これと関連して、ひところブームのように、そして他の地区に先駆けて制定した
新城市議会条例についての変更等についての動議が提出された。
新城市議会条例は存在するものの、その運用実態は条例の精神とは大きく離れているものであり、
今回の住民投票の経緯、結果を見れば見直しは、個々の議員の責任も含めて変更は必須であるとの立場から提案された。
しかし、これは賛成4人、反対13人で否決されてしまった。
ここで少し考えてしまったのは、議会での多数決の問題。
議会で物事を決めていくのは当たり前だが多数決。
だがその多数決であの分かりにくい選択肢による住民投票条例を決めてしまった事実を振り返ると、
議員さんの多数決を信用するしかない市民は、違っている思われる判断をしてしまうことに関してどう対処すればいいのだろう。
(まさかその都度住民投票をする訳にはいかない)
自分たちが選んだ議員さんだから仕方ない?
そもそも多数決を良しとする前提は、個々の議員が議会条例の精神に則って民意の正確な把握と反映が不可欠となっている。
その民意の把握が前回正確になされていなかったのでは!
との意見にも何ら具体的な回答を寄せず、結果的に多数決という数の力で反省の形も見せないとすると、
何か変だと感じるのは普通のこと。
結局政治は数だよ!
そんな声が何処かから聞こえてきそうな気がするが、
その数を確保するために如何に政治がおかしな方向に進んでいくかを考える時、
ちいさなこの地区で起きていることに関しては、そんな開き直った言葉で結論付けてほしくないものだ。
市民から託された思い・願い・責任、そうしたものを改めて思い出してほしい。
でないとまだ任期が2年以上もある議員さんに、
市民がどれだけ我慢しなければならないかという悲惨な状態になってしまう。