物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ピンクのシャツ

2010-10-15 11:34:30 | 日記・エッセイ・コラム

大学の同じ学部の以前の同僚でE大学の学長まで勤められたAさんが定年になった後で、在職中はピンクのシャツを着れなかったが、定年でピンクのシャツを着ることができるとどこかで書いていたのを読んだ。

私はネクタイが嫌いで、ネクタイをあまりしたことがない。これは工学部ではもう問題外の外である。私自身は怪しからんと叱られたり、注意を受けたことはなかったが、同僚の工学部出身の先生方が眉をひそめていただろうことは想像に難くはない。

これは、ある理学部出身の方を助手に採用するという話が教授会であったときに、履歴書の写真でこの人はネクタイもしていないとクレームがある教授からついたことがある。それでその人の採用の教授会の承認が1ヶ月遅れた。すなわち、この教授から見たら、私など度し難い奴だと思われていたんだろうなとそのときに思ったものである。

実はピンクのシャツと黄色のシャツを私はもっていて、これを在職中から時々着ていた。それはいま急成長をしている企業のユニクロで買ったものである。ユニクロでシャツを買うというのは私があまりお金がないことを示しているので、他に他意はない。ユニクロさん、こんなことを言ってすみません。

冒頭のAさんの話にもどると、Aさん自身は少なくとも見かけはともかく本質的には紋切り型の方ではなかったのだということがわかって面白かった。でも、ピンクのシャツを着たいという欲望を抑えて学長にまでなられたのだから、それはそれでよかったのであろう。


再、電子書籍

2010-10-14 11:31:48 | 本と雑誌

昨夕、電子書籍のことを調べたら、今年になってようやく電子書籍が話題になったせいか、無料で電子書籍をつくれるとかいうサイトを見つけることができた。「ブクログ」というサイトである。すでに3000冊の電子書籍をもっているという。

だが、3000冊はまだまだ少ないだろう。そういうこともあってだろうか。無料で電子書籍をつくれるというサービスもしている。また、電子書籍を出版するとかそれを販売することもできるという。関係した会社の取り分は30%で70%は著者の取り分だという。もちろん税金を払わなくてはいけないので、この70%全部が著者の取り分になるわけではないが、こういう会社が出てきたことは従来の出版社への強力なライバルが出現したことになる。

既存の考えにいつまでも頼っていては出版社はまったく生き残れないであろう。もちろんいつの世でもいいものは長く生き残り、商売としても成立し、経済的にも潤うものではあるが、印刷にかかる費用とか紙代とかは実は安くはないのである。もちろんこれらは印刷会社や出版社が暴利をむさぼっているということではない。仕組みとしてそれだけの費用がかかってしまうということである。

しかし、実は40万円とか70万円とか出版費用がどうしても支出できない年金生活者には電子書籍は「わたりに船」なのである。もちろん、既成の冊子体の出版でもかかった費用が長い目で見て十分に返ってくるのであれば、それは投資の一つとも考えられるが、利益を上げることはあきらめるとしても投資資金を回収すらできないことがわかっているので、どうも投資にはならない。


タイムラグ

2010-10-13 10:57:51 | 学問

今年(2010年)のノーベル賞化学賞の受賞と2008年の日本出身の科学者たちのノーベル賞受賞とを考えると日本の科学は花開いたと一般の人はとるのであろうが、これは単にタイムラグにしかすぎない。30年から40年前の業績にいま賞が与えられているのだから、過去の栄光を見ているに過ぎない。

科学においては実証されないと科学としての価値が確定しないから、受賞が何十年も後になるのは一般的に言ってしかたがない。

だが、いま賞をとっているから、日本の科学が花開いていると思うのは間違っている。現在若い科学者が赫々たる業績を上げているのなら、それを象徴する出来事といっていいだろうが、そうではないと思う。

少し頭のいい人は大学の現状に失望して大学に勤めないとも聞いた。それでもやはり大学で研究教育に精励する研究者はいるので、学問研究がまったく無に帰すということはないが、それでも若者に希望を与えられない、現状は本当は放置していていいものではない。

国の財政赤字や国民の年金問題、老後の社会福祉の不安、経済や産業の空洞化を見ている人はどこにその解決策を見出せるかに苦労している。

これからの産業分野として発展が期待される分野は医療、教育、介護だといわれているが、それらを生き生きと活性化できているかというとどうも怪しい。

医者は不足して各医者は疲労気味であるし、地方には医者不足である。もちろんときどきテレビとか映画とか新聞で取り上げられる先進的な地方があるのは事実だが、それはときどき称揚されるぐらいである。

もっともそんなことを道徳的に称揚してもらっても困る。制度として保障ができることが望ましい。そういう風に考えるとなかなか現在の問題は深刻である。また、それに立ち向かう人が居てほしいものである。


本を書くには?

2010-10-12 11:36:00 | 学問

優れた数学者であった高木貞治がこれも数学者の矢野健太郎に語ったところによると、「本は何を書くかではなく、何を書かないかを考えれば、いい本が書けるようになるよ」と言われたと矢野氏のエッセイにあった。

それでいうと私の数学エッセイでも何を書くではなく、何を書かないかが大切なのだろうが、そういう心境にはどうもはるかに遠く、いつもなんでも細かいことまで書いてしまう。というか思いつくことはなんでも取り入れようとする。そういうことが思いつかなくなったら、ようやくエッセイの書くことが終わりに近づくと感じている。こういうことではどうも達人の心境にはまだまだはるかに遠いことがわかる。

大学院の頃、研究して論文を書くときにはいつでも1.5倍くらい調べてそのうちの2/3くらいを書くという気持ちでと指導を受けた。実際にそのことが実行できたかは心もとないが、そういう気持ちで論文を書こうとしてきた。

そういう教育を受けたにもかかわらず、今に至るもどうもそのことが身についていないようである。いまさら反省しても遅いが、どうも知っていることや思いついたことを何でも全部書きたくなる。こういうことではどうしても達人の域からはほど遠い。

いや、凡人なのだから、達人の域に到達しようなどと考えるのがおこがましいのであろう。凡人は凡人のやり方で通すしかないのかもしれない。


北条の海岸

2010-10-11 10:55:40 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の日曜は久しぶりに妻と松山市北条の風見の里の出かけた。

夏にも一日この海岸に来たことがあったが、今日は「珊瑚礁」というレストランで遅い昼食をとった。ここは人工の浜辺で昔は狭い砂浜しかなかったが、いつのころからかかなりの海砂が入れられて、立派な砂浜となった。

瀬戸内海は一般に花崗岩からできた白い砂浜である。北條の海岸には近辺には南国の植物フェニックスが何本か植えてある。

一方首都圏の江ノ島あたりは黒い砂浜で、瀬戸内海の白いきれいな砂浜を見慣れた私などには汚く見えてしまう。実際に清潔でないかどうかはこの際問題ではなくてそういう印象をもってしまうということである。

瀬戸内の海は静かで昨日は波も大きな波はなく、水上スキーを楽しむ人、舟遊びをする人もいた。また、釣り船で釣りに出ている人もいた。

遠くにはタンカーらしき船や貨物船もかなり頻繁に行きかい、また島がたくさん見えて風景がすばらしい。

ギリシャのエーゲ海がすばらしいとのことをテレビや映画等で見るが、それに瀬戸内も勝っても劣らないのではないか。

こういうと、「また観光立国の宣伝か」とか思われて嫌だが、そういう意味でいっているのではない。どうも現在の社会はどうやって利益を生むかが主眼となっていて、どうもぎすぎすしている。いや、そういうことも大事なのだろうが、それ以外のこともあってほしいとの願望を込めている。

ここは夏には大勢の海水浴客でにぎわうところであるが、その賑わいは秋のいまはさすがにないが、それでも風見の里の道の駅には多くの車が来ていて、駐車スペースをかろうじて見つけた。

私はドライブも散歩も外出もあまりしない。それで、妻は不満なのかいつも誰か友だちとほぼ毎日どこかに出かけている。そのうちの半分以上は遠出ではなく、近くの医療生協病院の活動だが、それ以外にも友人知人を車に乗せて、近所の海岸や山に出かけている。

私は日曜日を除いて仕事場に出て、数学エッセイや読書その他の用をこなしている。それで体育の日の今日も仕事場に来た。


続々、平方根の近似値

2010-10-09 13:12:21 | 数学

昨日「平方根の近似値2」を書き上げたと思ったが、この作業中に、間違ってはいないが、書き方のよくないところを昨夜見つけた。

これは近似値の実際の計算に関してである。出発値のとり方がよくなかったのでとても収束がおそかったが、もっと収束の早い出発値を見つけた。出発値のとり方に関して一寸した誤解をしていたようである。それで今日はその改定をするつもりである。

この近似値の求め方を「バビロニアの算法」と私が勝手に名づけたが、これと「平方根の近似値1」で論じたニュートン法の求め方とは考え方はまったく別のように思えるのに、求める式は同じになった。これは何を示しているのだろうか。これはまた「へロンの開平法」といわれるものとも一致している。

対象が同じなら、その対象に迫る考え方はいくつもあり得るが、その結果は同じとなるという科学においてよく知られたことを表すのだろうか。

考え方は違うが、同じ結果を示すといわれる事実の、よく知られた例として量子力学のいろいろのヴァージョンがある。

マトリックス力学だとか波動力学だとか、はたまた経路積分による量子力学だとか、このごろはstochastic quantizationというのもあるらしい。

昔みたいにマトリックス力学だとか波動力学とかいう語は使われなくなったが、それでも考え方としてはいまもその痕跡が量子力学のテクストに残っている。

平方根の近似値に話題をもどすと、ニュートン法は平方根の近似値を求めることができるが、その方法は平方根でなくて、立方根を求めるときにも、はたまた一般の高次の代数方程式を数値的に解くときにも使える。だが、ヘロンの開平法やバビロニアの算法はこういうものには適用できそうにない。そこがちがうところだろうか。

だが、それぞれの考え方はそれぞれ別の応用をもっているのであろう。


日本人化学者ノーベル賞

2010-10-08 11:03:25 | 学問

このブログはphysicomathで数学と物理を主に取り扱うことを目指しているが、周辺の科学も取り扱うことも許してほしい。2008年の4人の日本生まれの科学者がノーベル賞を受賞したことは記憶に新しいが、それをさらに強めたようで喜びに耐えない。

鈴木章氏は2008年の4人の受賞のときに新聞で受賞の可能性がある人として名が上がっていたように思う。根岸英一氏の方も多分名が上がっていたのだと思うが、記憶に残らなかった。鈴木氏も名前は忘れてしまっていたが、北海道大学の名誉教授ということでそんな方が居られるのだなということが記憶に残った理由である。

日本人または日系の物理学の受賞者はいずれもなるほどと思う方々であったが、化学はそちらの方に詳しくないので、いろいろ優れた研究者がいてもあまり存じ上げない。

両氏のパーデュ大学での先生ブラウン氏もノーベル賞受賞者だそうであるので、先生がよかったので、ノーベル賞が取れたという印象があるのだが、これは一方では事実であるが、また一方では事実ではない。

新聞に鈴木氏が語ったところではホウ素を用いたカーボンの分子の結合は確かにブラウン先生の研究テーマだったらしいが、当時いた30人あまりのブラウン氏の学生や研究者はほとんどこの先生の考えを実現の可能性が少ないものと考えていたという。その先生の考えを実現したのは日本人の二人の化学者を含めて当時は少なかったという。だから、先生が偉かったから、ノーベル賞をとれたという考察はあまりに短絡した考えであろう。

自分の事を持ち出して恐縮だが、私の物理の先生はかなり有名な方であったが、その薫陶を得たはずの私は凡庸な物理学者にすぎなかった。だから、先生が偉くても必ずしもその生徒が偉くなるとは残念ながら言えないのである。先生が偉いだけではなくて本人の才能がなくては花は開かない。


再、平方根の近似値

2010-10-07 17:21:47 | 数学

「平方根の近似値2」のエッセイをいま書いている。およそ出来上がったが、これからがむしろ大変である。バビロニアで知られていた方法とかで相加平均、調和平均を使って求めるものである。

昨日、3529の平方根を計算してみたが、怪しかったので午前中に再計算をした。しかし、たまたま3529が素数であったためにこの反復による計算はあまり収束がよくなくて、10回のくり返しでやっとNewton法での計算で6回か7回の反復で得られたと同じ値が求まった。

秋山仁さんの本では小さな数値の平方根を求めていたが、大きな数になるとさすがに収束は早くはない。平方根の数値を求める方法はたくさんあるらしいが、以前からそれらを総まとめして見ようとの考えをもっていた。それが少しだけ前進したが、まだ全貌はつかめていない。

こういうことをやっているとドイツ語のクラスの要約をつくる時間が惜しくなる。だが、仕方なく午後はそれに時間をかなりとった。


あるドイツ人の述懐

2010-10-06 12:43:38 | 日記・エッセイ・コラム

あるドイツ人(東ベルリン出身)の話を10月3日の国際交流会で聞けた。彼はいま日本に住んで、千葉のある私立大学のドイツ語の教師として勤めている。

彼がいうのは東西ドイツが分割されたときに、西ドイツの方はそれほど賠償を支払うことが厳しくなかったが、ソ連からの賠償取立てがきつくて、ほとんど東ドイツが共産圏への賠償の支払いをした。このときの賠償額は西ドイツが支払ったものよりも数倍多かったという。

それで東ドイツが貧しかったというが、そういう出発点での歴史的ないきさつがあるという。それにしても、その後には東ドイツは勤勉な国民性によってかなり発展を遂げたことは知られているが、これは並大抵のことではなかったであろう。

もっともこれは西ドイツと比べれば相対的にはかなり貧しかったらしいが、それでも食べるのに困ったということは戦争直後を除いてなかったらしい。

それから1990年のドイツ再統一以来、西ドイツであった州からの援助が大きくあったと言われているが、これは税金では旧東ドイツに属していた州も同様に納めているということである。だから、西が東に対してだけ復興援助していたわけではないという。もっとも東の領域は西の領域の1/3であるから、西からの財政支援があったことは確かだろう。

現在、東にいた女性の多くは西の州に移っており、男性の多くは東の州に残っているという。それで失業率が高く10%を越えているという。また、収入が西の州と比べて数十%まだ低いので、それが問題だという。

そのほかのことも聞いたのだが、覚えているのはこのくらいである。


「ドイツは二十歳」

2010-10-05 16:27:02 | 国際・政治

10月3日に愛媛大学法文学部の大会議室において「ドイツは二十歳」国際交流の会があった。この主催は愛媛大学のRudolf Reinelt氏であった。日本人ドイツ人あわせて5人の講演があり、かつコーヒータイムにはドイツ風のお菓子とパンを食べることができた。

それぞれの講演は20分から30分くらいのあまり長いものではなかったが、中でもマルコ・シュルツェさんは唯一の旧東ドイツ出身のドイツ人で彼の話はなかなか聞き応えのあるものであった。

彼は日本語が上手で、日本語で話をされた。コーヒータイムにも彼が講演のときには話せなかったことを討論的に敷衍して話をされたのは興味深かった。

ドイツのパンとお菓子はEngelhardt(パンと菓子のドイツのマイスター)さんの生徒さんがつくったドイツ風の菓子とパンでそれをコーヒーと一緒に頂いたのはなかなかよかった。

ドイツはなんでも自発性の国でこういうイベントでもドイツの大使館からお金が出るということもなく、一般のボランティアの発意によるものだという。来年は日独交流150周年だという。それで松山でもそれに因んだ行事が計画されているというが、すべて民間のボランティアとしてそれらの行事がなされるという。

やはりこういうことは日本人も大いにみならうべきことであろう。私もなにか計画をしてみようかと考えている。


秋山仁の著作

2010-10-04 13:39:26 | 数学

秋山仁さんの高校数学の参考書を古書で最近少し意識して買い込んでいる。

4,5冊買ったのだが、私が文字タイルと呼んでいる、代数の式を長方形で表す方法があり、彼らと類似の方法は最近完成した、私のe-Learningのコンテンツでも用いた。

文字タイルは私が愛媛県数学教育協議会の学習会でこの25年以上学んだ結果で、亡くなった矢野寛(ゆたか)先生の見解の体現である。

そのことについて私のe-Learningのコンテンツのあとがきで書くべきだったのに、書いてないのであとがきを修正すべきだと思っている。

文字タイルの取り扱いは秋山仁さん一派も同じようだが、細かなところでは私たちとの違いもある。しかし、その違いはあまり大きなものではない。

2次3項式の因数分解を、私はこれらの式の因数分解とは、文字タイルの長方形をどうつくるかということだと捉えている。その縦、横の文字タイルの長さがそれぞれの因数になっている。

また、定数項を素因数分解した長方形を文字の2次の項の文字タイルに対して逆対角線上に配置する。そしてそれから2次の項の文字タイルの右横と下側に1次の文字タイルをどのように配置するかを考える。これが矢野寛さんが私たちに教えてくれた因数分解の仕方である。

この書籍、数研出版の「作って試して納得数学2」を文字で読んだのではなかなかわからないが、そういう考えの細かな違いがある。

だが、文字タイルの使用は他の高校レベルの本では武藤徹先生の本を除いてあまり見かけたことがないので、優れた本なのであろう。これがこの本を一瞥しての感想である。この本の「その1」の方はまだ手に入れていない。

さらに、別の本だが、「大数学者に学ぶ入試数学1A」の中に平方根の近似値の求め方で、バビロニアの算法という、調和平均と相乗平均と相加平均の間に成り立つ不等式を用いて、平方根の近似値を求めるという方法の説明がある。

この方法はいつかフォトランの解説書で読んだような気がするが、他では見かけたことがない。これについてはいずれ「平方根の近似値2」として数学エッセイを書くつもりである。

しかし、いろいろ本を買い込んでみてもなかなか新しいことは見つけられない。

残念である。ということは私のe-Learningのコンテンツを見る人も同じ感想をもつのだろうか。

(2012.2.24付記)  バビロニア算法による平方根の近似値に求め方についてはエッセイをすでにまとめていたが、最近ようやく愛媛県数学教育協議会の機関誌「研究と実践」に投稿した。

1年以内くらいでこれが誌上に出るだろうか。


広重の三段階論批判II

2010-10-02 12:51:06 | 学問

「広重の三段階論批判II」の原稿を「徳島科学史雑誌」の編集者にメールで投稿した後、それをプリントして持ち帰り、昨夜読んでいたら、いくつか気に入らないところが見つかり、ボールペンで朱を入れてしまった。

話がこみいっているので、なかなか筆をおくことができない。もっともこの論文は書くのに困難を感じて少しも進まなかった。締め切り間近になってこういうことが起こるのではないかと思って、6月はじめから暇ひまに広重の「科学史の方法」を読んで、メモをつくってはいたのだが、なかなか本格的に取り組み気が起きなかった。

これは取り扱う事柄が難しいということがあるのだろう。それでも仕方なく1ヶ月ぐらい前からそのメモをたよりにパソコンに入力をしていたが、とても仕事が終わりそうになく挫折していた。

ところが、締め切りの10月1日の1週間ぐらい前から本腰を入れて、文章を練り、考えをまとめようとしたが、なかなかまとまらない。それはいくつかの本をきちんと読んでそれを自分で判断しなければ、ならないことが多かったからである。

だが、それらは全部、現在できそうにないので、すべて宿題として「科学史の方法」の第5節の本文だけに的を絞った。それで昨日ようやく完成させて編集者に送ったのだが、あまりできがよくなかった。

それが、大幅な加筆になってしまった原因である。校正のときには大きな変更は許されないのでむしろいまならまだ修正は許されるであろうか。


ドイツ語コ-ス新学期

2010-10-01 12:54:41 | 外国語

私たちの自営の教室もR氏を講師として、9月30日に新学期が始まった。およそ2ヶ月の夏休み後の再開である。昨日から新しいメンバーが一人加わった。小児科の医師の、I さんである。白髪の I さんはかなりのお年であるので、おいくつかと失礼ながら尋ねたら、81歳とのことであった。私よりも10歳も年上である。旧制の高等学校で大分ドイツ語をやられた方らしい。

きれいなドイツ語を話されるが、「自分は聞くほうが苦手だ」と自己紹介のときにおしゃった。テープを聴いてそれを私たち全員で再現するという時間があるのだが、その時間を私たちはテキストを閉じてドイツ語を聴くことに集中する。だが、I さんにはR氏がテクストを見てもいいという指示をされた。これは適切な処置であったと思う。

クラスの後で、I さんが、楽しかったと言っておられたので、かなりのドイツ語好きとお見かけした。普通にはドイツ語を聞いてわからないと苦痛なものである。これは特にドイツ語を専攻している人には耐え難いところがあるようだ。

そこらへんが、私たちドイツ語の非専門家とはちがう。私たちはまったくわからなくても一語か二語聞き取れただけでも鬼の首を取ったように嬉しいものだが、専門家は少しでもわからないところがあれば、打ちのめされたようになってしまう。

正直言うと専門家でもすべてわかることはないのだと思うが、ご自分たちに課した基準がそれほど高いということであろう。だが、聞き取り力はすぐにはつかないものである。これは字で読んだら、すぐにわかるような言葉でも音声として聞くと、聞き取れないということが多いのである。

私などはおおよその聞き取り理解しかできなくて、正しく聞き取れているかといえば、どうもそうではない。だが、私はドイツ語に対する外国人であるのだから、うまく聞き取れなくてもしかたがないと思っている。少しでも聞き取り力が増すように一日一日研鑽を積むしかない。