【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

代表質問で、混乱続く自民は参・政審会長が異例の登壇「政治への信頼」衆・公明は「連座制を」首相「万博実施」「憲法改正」「扶養控除は次の税制改正で拡大」

2024年02月01日 18時13分54秒 | 第213回通常国会 令和6年2024年1月召集
[写真]国土交通省の前の付近から見た国会議事堂、7年前の2017年撮影。

 金融緩和と東京一極集中で東京23区の不動産が5年間で実質的に25%程度上がってしまったようで、交渉の時間がなく、国会傍聴取材の時間にあてています。

 大学前半からの知人である、村上明子・損保ジャパン幹部が経産省所管の独立行政法人「情報処理推進機構(IPA) 」の「AIセーフティー・インスティテュート(AISI) 」の初代所長になると、村井英樹・官房副長官が午前の定例会見で質問にこたえ発表しました。これに先立ち、読売、日経が写真付きで内定人事を報じました。共通の知人も数名以上いますが、私はもう来月からの50代で友達ほしくないので、村上さんのご活躍を草葉の陰からは拝見します。

 スガ首相以降散見されるのですが、代表質問の3日間の中で首相・自民党総裁の発言がトーンダウンすることがあります。スガさんのときはカーボンゼロ、岸田さんは憲法改正です。

【衆議院本会議 きょう令和6年2024年2月1日(木)】

 柿沢未途さんの議員辞職が了承されました。小選挙区選出なので補選になります。

 代表質問最終日。顔ぶれは変わりません。
 国民民主党は7議席となりましたが、登壇会派は維持。ただし、週あたりの登壇回数の紳士協定ができると思うので、5月過ぎの金曜の本会議では、支持者が「反対討論演説」してほしいのにできないこともありそうです。志位和夫さんは「議長」の肩書となっても変わらず登壇。但し、第50回衆院選で田村智子幹部会委員長が衆転(比例東京おそらく1位で当確か)するので、変わるかもしれません。

 馬場信幸・維新単独代表は、2025年大阪・関西万博と憲法改正を念押ししました。万博推進した兵庫8区の西村康稔・経産相が失脚。維新が公認を立てた奈良2区の高市早苗大臣が首相に万博延期を主張しました。首相は万博も、憲法改正も進める意向を維持しました。

 公明党の石井啓一幹事長は、物流2024年問題に加えて、政治資金の第三者機関の設置、旧文通費(調査研究広報滞在費)の使途公開と使い残しの国庫返納、代表者と会計責任者の連座制の導入を訴えました。これからは自民党の「中間とりまとめ」にはなく、立憲の「考え方」には入っている内容です。

 共産の志位和夫・中央委員会議長は、消費税の引き上げ分が法人税の減税分の穴埋めになったと主張。首相は、そのようなことはなく、社会保障税源に使われていると答弁しました。

 国民民主党の玉木雄一郎代表は、きょうは木曜日なのに憲法審査会が開かれなったと指摘。首相は「憲法改正についてお尋ねがありました。内閣総理大臣の立場からは、憲法改正についての具体的な議論の進め方等について直接申し上げることは控えなければならないと考えておりますが、自民党総裁としてあえて申し上げれば、憲法改正は先送りできない重要な課題であり、総裁任期中に憲法改正を実現したいという思いはいささかの変わりもありません。時間的制約がある中でも、一方でも議論を前に進めるため、党内の議論を加速させるなど、憲法改正の課題に責任を持って取り組む決意です」と述べ、きのうと比べて、やや後退した印象です。玉木さんは所得税の18歳以下同居親族の扶養控除の拡充を提案。首相は、ことし11月ごろにまとまる令和7年税制改正大綱では拡大する方向が決まっており、年齢ごとのバランスを勘案するとしました。

【参議院本会議 同日】
 代表質問1日目。
 立憲の水岡俊一議員会長は、阪神・淡路大震災で政治を志したと語りました。
 混乱のさなかの自民党は、福岡資麿・参議院政審会長が異例の登壇。福岡さんは衆議院佐賀1区で当選しましたが原口一博さんに歯が立たないとして全県1区の参議院に転じました。福岡さんは「政治への信頼を失わせてしまったことを深く反省した」とし、精力的に再発防止をしたのが政治刷新本部の中間とりまとめだと主張しました。が、自らが今週、茂木敏充派「平成研究会(経世会から改称)」を退会したことを語ることはありませんでした。

 現職のまま亡くなった維新の室井邦彦さんに対する哀悼演説が、青木愛さんからありました。配偶者の室井秀子元衆議院議員も傍聴席に来ていたようでした。

●衆・憲法審査会は、今国会の第1回目の木曜日でしたが、上述の玉木さんの指摘通り、設定されませんでした。また、きのうの参議院憲法審査会の第1回目の定例日も開催されませんでした。

【参・外交防衛委員会 同日】
 小野田紀美委員長が開催し、委員派遣をすることを決めました。

【参・経済産業委員会 同日】
 愛知県、大阪府に委員派遣で視察をすることを決めました。

【衆・懲罰委員会 同日】
 引退を決め後継者も公認された中川正春さんが、岸田さんの弄び解散先送りで、今月から懲罰委員長になり、就任あいさつと理事選任を行いました。

●あすから週明けの予定は、参議院本会議と衆議院予算委員会のいわゆるお経読みで、裏金リスト提出を受けて、週明け月曜日の朝8時55分から始まりそうな気配となりました。党内遊泳術にたけて過去11年間で9回基本的質疑に登場している岡田克也幹事長も登場する見通し。立憲は日曜日が党大会になります。同党は党員・協力党員・パートナーズ全員を対象にした電子メールでライブ配信を「ぜひご視聴いただきたくご案内申し上げます」と呼びかけました。今までなかったやり方です。自民党は「ニコニコ生放送」が公式で県連幹部の県議もそれでみますが、立憲はYouTubeのアドレスを紹介しました。

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室井邦彦さん哀悼 青木愛さん 衆議院側で「万博」で対立の維新議員を立憲議員が哀悼は初めてか

2024年02月01日 12時05分11秒 | 第213回通常国会 令和6年2024年1月召集
[写真]室井邦彦さん(赤丸)、羽田孜さん(緑丸)、青木愛さん(青丸)、筆者・宮崎信行(黄丸)、今から17年前の2007年12月、中国・北京で。

 衆議院側では、「大阪・関西万博」で立憲民主党と日本維新の会のつばぜり合いが続きますが、参議院本会議では、室井邦彦さんの哀悼演説に、青木愛・国土交通委員長がたちました。維新議員の哀悼演説を立憲議員が行ったのは、初めてと思われます。

 室井さんは衆参合わせて18年余りの間すべてで国交委員会に所属。経営者と地方議員と尼崎青年会議所会頭として阪神大震災での思いを国政に届けたとしました。能登半島地震で1月1日から猛スパートとなった2024年国政。青木愛さんの地元も「令和元年15号台風」で甚大な影響をうけました。気象庁は「房総半島台風」と命名しましたが、半島振興法では「南房総半島」。並んで指定されているのが「能登半島」になります。南房総では、青木さんは野党議員ながら駅前の商店主に引き回しをしてもらったようです。この駅は被災で利用客が100名減り、一年ごとに10名ずつ戻っていますが、先は通そう。能登半島でも高齢単身世帯の持ち家の和風住宅が放置されています。被災地域の今後を考えるとき、完全に人口が戻るのは困難でも、阪神、南房総が希望を与える国土交通行政と民間であってほしいものです。


[画像]哀悼演説する青木愛さん、参議院インターネット審議中継からスクリーンショット。

[画像]室井邦彦さんの遺影を持つ室井秀子元衆議院議員、参議院インターネット審議中継からスクリーンショットして、少しトリミング。

[写真]室井邦彦元参議院議員、今から17年前の2017年12月、中国・北京で。

[写真]室井邦彦さん(赤丸)、羽田孜さん(緑丸)、青木愛さん(青丸)、筆者・宮崎信行(黄丸)、今から17年前の2007年12月、中国・北京で。

 以下は、青木愛さんの哀悼演説の全文です。

 本日、この本会議場に室井邦彦先生のお姿を拝見できないこと、このうえなく、寂しい気持ちでいっぱいです。私が昨年12月13日の国土交通委員会の終了後、室井先生に駆け寄り、ご挨拶をさせていただい他のが最後となりました。

 年明けに届いた訃報は、あまりにも突然で、未だに信じられない思いであります。本院議員、室井邦彦先生は、去る1月3日肝細胞がんを原因とする肝不全のため、ご逝去されました。享年76歳。誠に哀悼の念にたえません。


 私はここに皆様のお許しを得て、議員一同を代表し、従三位旭日重光章。室井邦彦先生のみたまに対し、謹んで哀悼の言葉をささげます。室井邦彦先生は、昭和22年(1947年)4月10日京都府京都市にてお生まれになり、兵庫県尼崎市立王小北中学校、兵庫県立尼崎西高等学校に在学されました。その後、追手門学院大学文学部に進学された後、ご両親が経営されていた室井運輸株式会社において、社業に従事されるとともに、尼崎青年会議所に所属し、地域社会にも貢献されておられました。

 そして昭和58年4月、36歳で、尼崎市議会議員に当選。さらに平成3年4月には、兵庫県議会議員に当選され、以後、2期にわたり県政においてご活躍されました。その間、福祉政策福祉生活常任委員会副委員長。警察常任委員会委員長の要職を務められました。


 また先生は、25歳のときに入会された尼崎青年会議所において、理事長を務められた際には、幾多の困難を乗り越え、尼崎国際ハーフマラソンを実現されました。

 議員生活を通じ、一貫して国と地方との橋渡しを担われたのは、リーダーを志す青年経済人の青年経済人の社会活動を通じて得られた幅広い知見と、ご自身の強い使命感に基づくものでありました。先生はこうしたご経験を踏まえて、地域を、そしてこの国をこのままにしておくことはできないとの強い思いに駆り立てられて、国政選挙に挑戦します。

 失敗してもそれに負けず、よどみない挑戦で、平成15年の第43回衆議院
議員総選挙において当選を果たされ、国政に活動の場を移されることとなりました。衆議院議員となられた室井先生は、国土交通委員会の場でご活躍されたのであります。その後、平成17年のいわゆる郵政選挙で苦杯をなめることとなりましたが、先生は持ち前の不屈の精神で、平成19年7月の第21回参議院議員通常選挙において当選再び国政の場合と返り咲くこととなったのです。以来連続3回の当選を果たされ、両院を通算して18年5ヶ月の長きにわたり国政の舞台でご活躍されたのであります。


 室井先生は本院において、国土交通委員会、議院運営委員会、国家基本政策委員会、懲罰委員会、災害対策特別委員会、政治倫理の確立および選挙制度に関する特別委員会、国際・地球温暖化問題に関する調査会など多岐にわたる委員会調査会等に所属されました。

 懲罰委員会および国家基本政策委員会では、委員長を務められ、国会役員の要職を歴任されました。中でも国土交通委員会は、衆参両院を通じ、任期中一貫して在籍された。先生の議員活動の中心であり、平成23年9月には、野田内閣において国土交通大臣政務官に就任されました。先生は政務官として、安全危機管理、海上保安、住宅、海事、港湾、航空、観光の陸海空と多岐にわたる分野を担当されました。かねてより国土交通省の現場力の重要性を認識されていた先生は、1年間で、出先機関である北海道開発局、8つの地方整備局、9つの地方運輸局、11の管区海上保安本部の全てに足を運び、第一線の職員に対し、直接感謝と激励の言葉をかけられました。先生はご自身が阪神淡路大震災の被災者でもあることから、一貫して追求してこられたのは、国民の安全安心の確保でした。強靭な国土作りをより強力に進め、国民の皆様が安心して暮らせる社会を作りたいとの強い思いから、情熱を傾けておられました。東日本大震災の発生から、まもない時期には、災害に強い物流ネットワークの構築を目的とする日本海側拠点港の形成に関する検討委員会の座長を務められ、日本海側拠点港の選定およびフォローアップを目的とする19拠点港の視察を行い、港湾行政の充実強化にもご尽力されました。

 また室井先生は心のふるさとが、お父様のご出生地である。福島県南会津郡下郷町ということもあり、東日本大震災と原発事故で甚大な被害を受けた福島の復興再生に向けて、被災者の皆様の気持ちに寄り添い、一日も早く、かつての暮らしやなりわいを取り戻すことができるよう、国土交通大臣政務官としてはもちろん、退任されたその後も全力で取り組んでこられました。福島の心の復興再生には、観光振興による地域活性化が重要な政策課題であるとの信念のもと、広域周遊観光の促進を実現すべく、会津縦貫道を初めとした交通ネットワーク整備の推進に心血を注いでこられたのであります。

 さらに党におかれましては、日本維新の会国会議員団の参議院幹事長、参議院会長代行を務められました。先生は常々、若い議員の方々にご自身の経験を伝えたいと語っておられたそうです。私達も先生にお目にかかりますと、いつもあたたかみのある語り口で声をかけていただき、先生に見守られているように思えたものです。周りの先生方だけではなく、政府の皆さんや職員の皆さんなどにも、分け隔てることなく、ユーモアを交えた優しい語り口で話しかけられ、その場の空気を自然と和らげてくださいました。

 このように室井先生は、国会、政府および等において、政策の実現に向けて奔走されておられましたが、昨年(2023年)の1月頃から、体調が大変厳しい状況にあったと伺いました。今思えば、昨年末国土交通委員会のいつもの席に座っていらっしゃったのは、国会議員としての責務を果たそうとする1年であり、私達に国会議員としての大切なものを伝えてくださっていた、いたのではないかと、改めてそう思うのです。年初の地震により甚大な被害を受けた能登地方を初め、日本全体を元気にしていかなければならないこの時期に、参議院のみならず、国政にとって必要とされる先生が、ご逝去されたことは、誠に痛恨の極みです。室井先生が勢力を注ぎ続けた。大規模自然災害から国民の命と暮らしを守るというそのご意思は今後、国会の場において我々議員一同が引き継いでまいります。ここに謹んで、在りし日のこむろい邦彦先生の特別なお人柄と数々のご功績を偲びつつ、本委員を代表して、ご冥福をお祈り申し上げ、哀悼の言葉といたします。

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