このブログで話題としてきた美術や文学は、17世紀に関わるものが多い。その点を尋ねられた。なぜ、17世紀なのか。前回記したように、この問いは大きすぎて、とてもすぐには答えられない。気づいてみるといつの間にか、この時代へのめりこんでいた。多くの点で、現代と重なり合い共鳴する部分が多いと感じた。それらの断片をこれまで記してきたにすぎない。
ブログで話題としてきた画家たち、カラヴァッジォ、ラ・トゥール、フェルメール、カロ、レンブラントなど、気づいてみると、いずれも17世紀の画家たちである。どうして、そんなことになったのか、分からない。結果として、そうなったに過ぎない。
「不安な時代」に生きた人々
400年という時空は、ワープして理解するに程よい「距離」だ。少し努力して手を伸ばせば、なんとか分かる距離のような気がする。17世紀ヨーロッパは、さまざまな点で「危機の時代」であった。戦争が絶えることなく、悪疫が蔓延し、不安が世の中を覆い、先が見えない時代だった。不安な世の中だけに、宗教の重みは大きかった。しかし、唯一の頼りであるはずの宗教界も分裂していた。
もちろん平和で豊かな時期もあった。17世紀初めのロレーヌの町や村では10年一日のごとく、平和な日々が続いていた。しかし、突如として襲ってくる外国の軍隊や悪疫の蔓延に、逃げ惑い、恐怖の渦中に投げ込まれることもあった。魔女裁判が残っていた時代である。
16世紀から精神世界では宗教改革の衝撃が、ヨーロッパ世界に浸透し、人々の心は大きく揺れ動いていた。一見、日々平穏な生活を過ごしているかにみえて、人々の心から不安が消えることはなかった。せつな的生活に身をゆだねる人々もいた。明日はどうなるだろうか。人々は不安の中に、心のよりどころを求めてさまよっていた。
宗教は当時のヨーロッパを動かす源流でもあった。宗教と政治の世界は重なり合っていた。その後、時は流れ、宗教は緩やかではあるが公的な次元から離れ、独自の世界を形作っていった。
存在感を増す宗教
20世紀になると、宗教はさらにその影響力が薄れ、とりわけ公的な次元では、限界的、周辺的なものになると考えられていた。ところが、21世紀になると、宗教は再び存在感を取り戻したかにみえる。政治の世界でも無視できない役割を演じるまでになった。しかも、それが人々の心の支えでもあり、対立、そして「神の名において」の殺戮の根源にまでなっている。
17世紀、ヨーロッパ世界での宗教の争いはカトリック対プロテスタントという構図であった。その後、激しい抗争の時を経て、キリスト教内部の対立も収まった。今日、次元は変わり、キリスト教対イスラム教の対立、さらにイスラム教内のスンニ派対シーア派という宗派対立に一部移行もしている。
コソボ独立、トルコEU加盟、オランダでのイスラム信仰、アメリカ大統領選挙などきわめて多くの問題が、宗教を考えることなくして、ことの本質を理解できなくなっている。人種問題と結ぶとさらに難しくなる。今まであまり考えたことがなかった宗教が、大変興味深い対象に見えてきた。これも歳を加えたことの現れなのだろう。
時をワープし、17世紀の画家たちの精神世界がどんなものであったか。彼らの心の中をなんとか覗き込んでみたいというのが、こんなブログを続けているひとつの動機でもある。