過去半世紀近く、さまざまなことで中国を訪れる機会があった。色々と思い浮かぶことが多い。最近の雑誌TIMEの記事*に関連して思い起こしたことを記してみたい。
30年くらい前だったろうか。上海を訪れた時、道路わきに雑多な空き瓶が20本くらい置いてあった。そして、傍らに人が所在なげに座り込んでいる。同様な光景を何度か見かけた。不思議に思って、友人に聞いてみると、瓶を売って生計を立てているのだという。当時の日本では道端に捨てられていたような空き瓶である。およそ商品とは思えない代物だった。しかし、ここでは売る人もいれば、買う人もいるのだ。
その頃、今では巨大なコンテナー埠頭や金融、IT関連企業の高層ビルが林立する浦東新区は、葦が群生する広大な原野のようだった。しかし、上海の中心近い地域で、こうした光景とはかなり違和感を覚えるような場所ヘも案内された。そこには外見は欧米風の高級住宅を思わせる大きな家が数十戸並んでいた。それぞれの家の庭は芝が植えられ、こぎれいなプールがある家もあった。日本でもあまり見ないような豪華な邸宅もあった。3階建て、5寝室もある大きな家である。
他方、江蘇省、浙江省などの豊かな地域の農村部へ行くと、当時万元戸といわれた3階建て、4階建ての大きな家も建てられていた。今、考えると、中国における格差拡大の始まりだったのかと思う。小平の南巡講話から始まった「豊かになれるところから豊かになる」という改革・開放路線、そして格差容認の象徴的光景だった。
最近のTIME誌*が、 「短征」 (The Short March)と題して、上海など大都市の郊外に多数の中産階級が移動し、豪華な住宅を購入して、定着しつつあると伝えている。上海は人口が2千万に達し、今後20年間で倍増すると推定されている。中国で最も人口密度が高く、一人当たり8平方メートルしかない。高層ビルが林立し、その数はすでに10年くらい前に東京を追い抜いたといわれていた。大気などの環境汚染もひどい。そのためもあって、少しでもきれいな空気を求めて、郊外に今後10年間に5百万人が移住すると推測されている。ひところのアメリカでの「郊外化」現象を思い起こさせる。
彼ら中間層が競って求めるのが、一戸建ての豪壮な邸宅である。こうした豪邸が立ち並ぶ地域は、特に高い壁などがあるわけではないが、他の地域とは歴然と区分されている。格差は生活水準ばかりでなく、あらゆる面に及んでいる。ここに住む富裕層の子弟は地元の公立学校へは行かず、「貴族学校」といわれる私立学校へ通学している。周辺との落差は隔絶ともいうべき大きさだ。蛇足ながら、TIMEの表紙を飾る人々が手にしているのは「毛沢東語録」ではない。高級住宅の鍵であり、豊かな中間層への入り口を開ける鍵でもある。
格差という点で、とりわけ目立つのが、こうした豪華な住宅の建設工事に当たる労働者だ。彼らは中国各地の農村部からの出稼ぎ労働者である。建設現場近くの粗末なアパートに住み、一日12時間近く煉瓦を積み上げるようなきつい仕事をしている。上海は、夏は蒸し暑く、冬も寒さが厳しい。苛酷な労働環境だ。労働の対価は月1500人民元(約200ドル)にすぎない。結婚していれば、妻もクリーニング店などで働き、故郷に残してきた両親や子供へ仕送りをする。彼らは自分たちが建てているような家に住める可能性はほとんどありえない。
中国には8-9億人の貧困層が農村地帯に住んでいる。グローバル化の進展に伴って、1億1800万人近くが仕事を求めて国内を「漂流」している。彼らは「郊外族」とは違った意味で、各地をさまよう移動労働者である。
中国政府も格差の拡大は、最大の関心事だと認めている。中国に富裕な階層が増えていることは明らかだが、それが中間階層といわれる安定的な多数になるかは分からない。「長征」**はその後、さまざまな波乱を経て、中国の大発展へとつながった。しかし、大都市郊外へ向かう中間層の「短い行進」がいかなる結果を生むか。到着点はまったく見えていない。
折りしも、日本の経済力は急速に低下を見せ、「2流国」へと移行しつつある。かつては「一億中流」と誇らしげに語られていた国だが、急激な「格差」拡大が進行している。グローバル化の下での中国と日本。格差の現実も異なっているが、似ているところもある。その行方をもう少し見つめたい。
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”China’s Short March.” TIME, February 25, 2008.
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「長征」Long March :1934年10月、中国共産党は、国民党軍の包囲攻撃下、江西省瑞金の根拠地を放棄し、翌年峡西省北部まで約15200キロメートルの大行軍をした。