時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

イタリアの光・オランダの光(1)

2008年05月05日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

Georges de La Tour. St Sebastien Attended by St Irene c. 1649 Oil on canvas, 167 x 130 cm Musée du Louvre, Paris 

    暗い闇の中に浮かび出た、矢に貫かれた瀕死の若者と、介護する若い女性の立像。キュービズムを思わせる美しい様式で、モダーンな感じを与える大変美しい作品で何度見ても感動する。

    ルーブル美術館が所蔵する上掲の作品「イレーヌに介護される聖セバスティアヌス」(
「縦長の聖セバスティアヌス」と略称)は、真贋論争*を超えて、見る人の心に深く響くものがある。古典的な様式美を保ち、装飾的部分を最小限にとどめて描かれた素晴らしい作品だ。闇の中に映し出された悲しみの光景が見る人の胸を打つ。落ち着いた色調で描かれ、静謐な感じがする。
  
  他方、同じ主題で描かれたこの作品(下掲)を見てみる。これもごひいきの画家
テル・ブルッヘン(あるいはブルッヘン) Hendrick ter Brugghen(The Hague?1588-1629 Utrecht) の名品だ。大変好きな作品だが、ラ・トゥールの作品と対比すると、きわめてダイナミックな感じがする。一見して、その違いに瞠目する。




St Sebastian Tended by Irene and her Maid, 1625, Oil on canvas, 130.2 x 120, Allen Memorial Art Museum, Oberlin College, Ohio     

  
こちらは夕日を背景に、構図も壮大で凝りに凝っている。テル・ブルッヘンは、オランダ、ユトレヒトの画家だが、その前半の経歴はほとんど分かっていない。1588年頃、おそらくハーグに生まれ、ユトレヒトの近くに移り、地元の画家工房で修業の後、1604年頃(15歳?)からイタリア(主にローマ、ミラノ)に滞在した後、1614年秋**に故国へ戻ってきた。この時代、記録が残るわずかな数のオランダ画家の中で、ルーベンスそしてカラヴァッジォに会っていたかもしれないといわれる唯一の画家だ。しかし、テル・ブルッヘンがローマ滞在中に制作したと思われる作品は、一点も見出されていない。   

  この作品は、画家の持つ絶妙な技量と抑制された情緒の下で、制作された傑作といえる。上に掲げたラ・トゥール(工房)の場合と同様に、矢に貫かれ、瀕死の状態にある若者、聖セバスティアヌスを救おうと介護する若い女性イレーヌと召使の姿が、考え抜かれた見事な構図で画面一杯に描かれている。悲壮な場面にもかかわらず、画家は陰鬱あるいは残酷な印象を与えないよう極力配慮している(これはラ・トゥールの作品についてもあてはまる)。描かれた人物には彫刻のような立体感があり、その抑えられた色彩とともにイタリアン・バロックの華麗さが画面全体にみなぎっている。そして、ユトレヒト・カラヴァッジストと云われる躍動的な印象が伝わってくる。   

  テル・ブルッヘンがイタリアでの修業の成果を存分に発揮した作品であり、この画家の面目躍如たるところがうかがえる。(ちなみに、この作品も大西洋を渡り、1953年からアメリカのオベリン・カレッジの美術館が所蔵している。)

  ラ・トゥールのテネブリスト tenebrist ***的特長をもって、カラヴァジェスキと即決するような評価も多いが、テル・ブルッヘンのようなイタリア的バロックの影響を受け、オランダ的風土で活躍した画家との距離は、もっと立ち入って考える必要がありそうだ。
北方への旅を少し続けてみよう。



* 1972年にパリ・オランジェリーで見た最初の特別企画展では、ラ・トゥールの作品とされていた。その後、失われた真作の模作、コピーともいわれたが、2005年の東京での企画展カタログでは再び真作リストに含められている。ベルリン所蔵の作品はコピーとされているようだ。「横長」の作品はコピーが複数残るが、真作は失われたとみられている。

** 1614年夏、テル・ブレッヘンはユトレヒトの画家ファン・ガレン Thijman van Galen と連れだってミラノにいたことが判明している。その後、彼らはスイスを通り、アルプスをセント・ゴッタルド峠を通って帰国した。ユトレヒトの画家Michiel van der Zandeと彼の徒弟が同行していた。ユトレヒトではテル・ブルッヘンとファン・ガレンは、1616年に親方画家として登録された。同年10月、テル・ブルッヘンは義兄で宿屋の主人Jan Janszの義理の娘とカルヴァン派教会 Reformed Church で結婚した。 後年、彼の8人の子供のうち、少なくも4人がこの教会で洗礼を受けたことが判明している。テル・ブレッヘン自身は、この教会員ではなかったようだ。自らはプロテスタントと思っていたようだが、正統なカルヴィニストの教えは斥けていた。他方、この作品が典型的に示しているように、テル・ブルッヘンが、カトリックの主題を明白に扱っていることは、その教義に共感していないわけではなかったことを示している(この点は、ラ・トゥール研究にとっても重要な示唆を与えている。)

*** イタリア語の「暗闇」tenebraに由来。17世紀に流行した、背景を暗くし、人物など主要モティーフに強い光を当て、明暗を強調した絵画の傾向。カラヴァジォの影響を受けたいわゆるカラヴァジェスキと呼ばれる画家たちの手法を指すことが多い。


Reference
Seymour Slive. Dutch Painting: 1600-1800, Yale University Press, (1966), 1999.

George de La Tour. ORANGERIE DES TUILERIES, 12 mai - 25 septembre 1972. .

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