時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

遠くて近い響き:「ブンガワンソロ」

2008年05月31日 | 雑記帳の欄外

  このところ宵っ張り、夜更かし気味だ。別にがんばって起きている必要はないのだが。見るともなしに見たTV画面に思わず引きつけられた。どこかで聞いた懐かしい響きが伝わってきた。インドネシア、クロンチョン・モルスクといわれる民俗音楽の由来をたどる番組らしい。途中から見たので番組の全容は分からない。

  ただ、聞こえてきたのは、「ブンガワン・ソロ」だった。団塊世代以上の日本人は、おそらくどこかで耳にしたのではないか。心の琴線に触れるようなノスタルジックな響きだ。

  TVの登場人物の主役は、なんとなく西欧人の血筋を引いているような容貌だ。ポルトガルからインドネシアのジャカルタへ移住した遠い祖先の9代目とのこと。カトリック信仰を継承するポルトガル人とインドネシア人が混血して今日にいたったらしい。この人にとっては、今や祖先の国、ポルトガルは伝え聞くだけの遠い存在になっている。

  1602年、オランダ東インド会社がジャワ島に進出し、オランダによる植民地化の時代が始まる。支配者となったオランダ人たちは、前世紀にこの地域に到達していたポルトガルや競争相手のイギリスを追いやって、この地域における主導権を握る。長い時間をかけて、支配の版図をほぼ現在のインドネシア全土へと拡大していった。

  主人公の祖先は、この時代になんらかの理由で、ポルトガルへ帰国しなかったのだろう。インドネシアは、1661年ポルトガルからオランダの支配下に移った。カトリックであった祖先は、当時は住むところすら与えられず、プロテスタント改宗を条件にジャカルタの町はずれにやっと居住が認められた。

  望郷(リンドウ)の思いはつのるが、ポルトガルへ戻るすべもない。せめて、故郷への思いを鎮めようと、ブルンカ、マチナというギターの一種でクロンチョンを演奏する。クロンチョン(Kroncong)は、インドネシアを代表する大衆音楽のジャンルだ。「ブンガワン・ソロ」もそのひとつで、ソロの大河という意味らしい。ソロ河はインドネシア国内を540キロにわたって流れる大河だ。クロンチョンは、故郷へ帰ることもないクグーの人々が400年間にわたって伝えてきた響きだ。

  欧米や東アジアのポピュラー音楽が存在感を増しつつある今日のインドネシアの大衆音楽界においても、クロンチョンの人気は依然として高いようだ。

  長い間オランダの植民地となっていたインドネシアにも独立への大きなうねりが来る。 1928年10月27日に開催されたインドネシア青年会議における「青年の誓い」採択で、独立を求める人々は、オランダ領東インドの国名として、「インドネシア」の名を選んだ。

   オランダの植民地支配は、日本の侵攻で瓦解、1943年から日本の軍政が始まる。日本軍は統治政策の一環として、クロンチョンなどの民族音楽なども活用した。クロンチョンの作者であるグサン・マルトハルトノさんは、今も80歳台で生きている。ブンガワン・ソロは、オランダ占領下のインドネシアで作られた。

   1945年8月15日に日本が降伏すると、独立派は直ちにジャカルタでインドネシア独立を宣言、スカルノが大統領に選出された。しかし、日本軍の武装解除を行ったイギリス軍および植民地支配再開を願って戻って来たオランダ軍と4年にわたってインドネシア独立戦争が展開された。この戦争で疲弊したオランダ軍はようやく再植民地化をあきらめ、1949年12月国連の斡旋によるハーグ円卓会議でオランダは正式にインドネシア独立を承認した。

  ブンガワンソロに代表されるクロンチョンは、こうした歴史の激動の中で、人々のさまざまな思いをこめて歌い継がれてきた。哀愁の響きを込めながら、今も歌われているクロンチョンを聞いていると、17世紀、東インド会社設立の時代へと飛んで行きそうだ。バタヴィアへ行ったレンブラントの娘はどうしたのだろう。いつとはなしに、心はあのテル・ブルッヘンの「フルート・プレイヤー」の世界へ戻ってゆく。


BS番組 2008年5月28日

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