親しい中国人の友人が、現代中国の最大の問題は頼るべき神や仏が存在しなくなったことだと語った。生活は物質面では豊かになったが、心の喪失感も大きいという。1960年代の文化大革命当時、まだ学生であった彼は、貴川省の農場へと下放されていた。その経験は、あまり語りたがらない。世代を問わず同じ経験をした人は、ほとんど誰もがそうである。この時代に生きた中国の知識人は、文化大革命がもたらした深い闇を知っている。儒教を始めとするあらゆる宗教的拠りどころが根底から破壊された。多くの人が荒涼とした精神風土を共有することになる。そして、時代は移り、開放・改革へと大転換する。発展する沿海部の都市などを中心に、無神論、そして拝金主義が多くの人々の心に忍び込んだ。中国自体がグローバリズムの根源のひとつとなるにいたって、「皆が等しく豊かになる」考えは完全に消え失せてしまった。
他方、中国を旅してみると、宗教は少しずつその本来の力を取り戻しているのかもしれないという光景を目にする。それは、古くから伝わる民間信仰や祖先崇拝だけでなく、仏教、道教、少数民族に多いイスラム教、そしてキリスト教においても見られる。文化大革命の破壊にも耐えて永らえてきた農村の寺の実態にも接した。人々はそれぞれに線香を手にして、昔通りの礼拝をしていた。孔子廟などへ詣でる人々の姿にも認識を新たにした。
四川省大地震の救済活動が続く中で、中国政府は5月19-21日を「全国哀悼日」と定め、地震発生時刻の午後2時28分に、全国各地で国民が黙祷を捧げた。中国にとって、今年は北京五輪開催という記念の年となるはずであり、13億人を擁する中国全土が熱狂する夏となることが予想されていた。この高揚感こそ、指導者を始めとして多くの人が描いていたことではないか。日本を始めとする多くの国が、オリンピック開催を次の発展への足がかりとしたように、中国の指導者そして国民も同様な効果が生まれることを願っていたに違いない。スポーツの祭典は、経済発展への踏み台となってきた。
しかし、年の前半も過ぎていないというのに、文字通り青天の霹靂ともいうべき激変がこの国を襲った。進む環境汚染、食品問題などへの海外からの批判に加えて、チベット暴動に端を発した中央政府への反発は、世界をめぐる北京五輪聖火リレーの路程で、中国政府、そして中国国民にとって見たくない光景を生み、 ナショナリズム意識に火をつけた。 多事多難な年、息つく間もなく、まさに天変地異ともいうべき四川省大地震が発生した。「怒れる中国」*は、一瞬にして「悲しみの中国」へと転じた。北京五輪まであと120日という時点での出来事だ。
しかし、この悲劇は、広大な国土に13億という巨大な人口を擁することもあって、いまひとつ結束力を欠いた中国国民の間に、被災した同胞への同情と支援という形で精神的絆を強めているようにもみえる。これまであまり見えなかった姿だ。同胞愛そして人間愛への回帰は、悲惨な傷跡を癒すためにも喜ぶべきことだ。指導者が描いていたような理想的環境で、五輪を開催するという夢は潰えた。小国なら中止もやむないほどの大災害である。しかし、もし苦難を超えて人々の思いがまとまるならば、狭くなった地球上で共に生きねばならない人間への愛と協力を確かめる五輪大会になりうる可能性を残している。 「災いを転じて福となす」ために、なにをなすべきか。北京への道は大きく変わった。
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"Angry China." The Economist May 3rd 2008.