今回の尖閣列島問題をめぐる議論を見ていると、人口1億2千万人の日本と13億人の中国が地続きだったら、どんなことになっているだろうかと思う。アメリカとメキシコの比ではないはずだ。ある段階から「数は力となる」。管総理は「一衣帯水の国」だからと努めて冷静を装うが、完全に手の内を読まれている。
個人的に憂鬱なことは、かなりの時間をかけた後に、やっと率直に話ができるまでになった中国の友人・知人たちとの関係が、こうした事件ひとつで、堅苦しい距離を置いた関係へ逆戻りしてしまうことだ。10月にも訪中して久しぶりに歓談しようと思っていたが、出端をくじかれてしまった。
中国は70年代から何度も訪れ、限られた分野とはいえ、かなりの知人・友人も増えた。繰り返し、話を重ねる間に心のわだかまりのようなものも消えて行き、相当深くしかも冷静に、二つの国の間にある問題点も話し合えるようになった人たちもできた。中国ではお互いの間に「信頼」がなければ、本当のことはなにも話してもらえない。しかし、ひとたび人間としての信頼が生まれれば、驚くほど道は開ける。
しかし、今回のような問題が生まれると、とたんに気まずくなり、お互いに解説者のようなあたりさわりのない話に戻ってしまう。せっかく率直に話せるようになってきたと喜んでいた矢先に、吹き込んだ一陣の冷風で空気は一変してしまう。お互いにやはり信頼できない相手方なのだという冷めた次元へ転換してしまう。
中国政府も国内事情があるとはいえ、大人げない。国の権益維持と正当化のためには、通常の外交手段以外のあらゆるものを動員する。これが大国のすることかと思うが、国民の情報管理をしている国にとっては痛痒も感じないらしい。発動も早いが、國際世論の批判の前に、利われにあらずとなると、引くのも素早い。内容の当否は別として、国家戦略として運用されていることが直ちに分かる。
あの食品安全問題にしても結局どうなったのだろうか。事件の印象が遠く薄れた頃まで責任の押し付け合いをし、結論を引き延ばし、結局うやむやにされてしまう。日本はのど元過ぎれば熱さ忘れるという国だ。なんでもすぐに忘れてしまうこの国の将来が心配になってくる。国家戦略室もすっかり忘れられている。