アメリカ移民法改革を脅かす影
麻薬は人間ばかりか社会、国家を破壊する。人生のさまざまな苦しみ、苦難から逃れようと深く考えることなく、そして多くは単なるはずみで麻薬に手を伸ばし一時の快楽を得たとしても、問題はなにも解決しない。それどころか次第に深みにはまり、人間の肉体も精神も蝕まれ、挙げ句の果てに破壊される。
こうした人間の弱みにつけ込む麻薬ビジネスが次第に蔓延する。さらに暴利を求めて、麻薬シンジケート間での激しい抗争が生まれる。こうした組織犯罪集団の間での争いは、次第に激しさを増し、組織間の覇権を争って、贈収賄、殺人などの犯罪が、警察や軍隊、そして政治家、企業家など社会の上層部まで深く浸透する。行き着く先は社会の深部からの退廃、国家の崩壊・破滅へと進む。このような論理で麻薬が国家を破滅に追い込むと考える人は多くないかもしれない。しかし、アヘン戦争の歴史を顧みるまでもなく、麻薬はしばしば国家の破綻に関わってきた。そして、今でも国家崩壊の淵にさらされている国がある。
麻薬がもたらす社会への害悪は、ある段階までは善良な市民の目には見えない。しかし、次第に直接、間接に市民生活に弊害を及ぼすようになる。近年、コロンビアなどの南米諸国、メキシコ、アフガニスタンなどでみられる事態は、まさにこうした国家を破滅に導きかねない舞台の一場と考えられている。とりわけ、最近のメキシコの麻薬禍は「麻薬戦争」といわれるまでに拡大し、この国を急速に衰亡させている。
メキシコの人口は世界で11位、経済規模では14位に位置する。一時はBRICsの後を追うといわれていたが、いまやその勢いはない。そして、大麻、コカイン、LSDなどの多種、多様な麻薬の不法貿易は、メキシコの貿易収入の半分近くに達するといわれる巨額なものになっている。
長年にわたる麻薬問題の撲滅を宣言して、2006年12月カルデロン大統領が政権に就いて以来、麻薬をめぐる抗争のために、およそ2万8千人が死亡したといわれ、大統領は、事態の収拾と犯罪・暴力防止のために5万人の軍隊を展開している。
メキシコで麻薬密貿易が注目され始めたのは、かなり以前のことである。このブログでも再三にわたりその一端を記したことがあるが、1970年代にはすでに大きな問題となっていた。しばらくの間はアメリカ・メキシコ国境近辺に集中した国境密貿易に関わる犯罪と見られてきた。しかし、現実には組織犯罪は、地方政治、警察、軍隊などを蝕み、その解決を日に日に困難にしてきた。組織の魔手は中央政府にまで延びていた。そして、彼らのビジネスもグローバルな次元へと拡大した。
たとえば、カンナビス(インド大麻)といわれる麻薬の原料は、シンジケートが保有するメキシコ国内の秘密の栽培地ばかりでなく、世界の麻薬の主たる供給地のひとつコロンビアからセスナ機などで輸送され、メキシコ国境近くの砂漠の拠点に供給されたりもする。
麻薬問題がかくも拡大した背景としては、多くのことが指摘されているが、重要な問題のひとつは、麻薬犯罪を取り締まる法制度とその執行がきわめてずさんであり、銃砲などの所持についても野放し状態であったことにある。さらに、究極の問題として誰が麻薬を必要とし、その拡大に関わっているかについて探索・撲滅のメスを入れることを怠ってきたことにあるといわれる。カルデロン大統領は警察組織の中央集権化、分散した地方の裁判所の整理などをおこなっているが、さしたる効果が上がっていない。
結果として、メキシコには世界でも最も強力な麻薬のシンジケートが拡大、はびこってしまった。政治とシンジケートの関係は中央政府にまで深く潜伏して進行し、贈収賄、拉致、暴力行為などを伴い、警察、軍隊にまで影響力を持つまでになった。カルデロン大統領は、警察力では制圧不可能とみて、軍隊を投入し、撲滅作戦に当たっているが、その効果がいつ出てくるか、まったく定かではない。国内に仕事が無く、隣国へ不法移民をしなければならない若者たちが、麻薬取引を仕事としないように、教育や社会政策も根本的改善が必要だ。
そして最も重要だが困難なことは、最大の麻薬消費地であるアメリカがいかに麻薬の害悪を認識し、それから脱却できるかという点にある。ペンタゴンはメキシコが麻薬のために、「破綻国家」 failed stateとなる可能性まで示唆しているのだが、当のアメリカが全体として麻薬問題をいかに考えているかについては、メキシコとの間で距離があるようだ。不法移民問題の根は、雑草のごとく執拗に広がり、改革は先延ばしにするほど難しくなっている。移民法改革の行方は、アメリカという大国の根幹に関わっている。
References
‘Mexican waves, Californian cool: Drugs and security in North America’ The Economist. Oct 16 2010.
‘Organized Crime in Mexico Under the Volcano’ The Economist
Malcolm Beith. The Last Narco: Hunting El Chapo, the World's Most Wanted Drug Lord,
Grove and Penguin, 2010.