フランスの切手にも採用されたジャック・カロの貧民を描いた作品
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ジャック・カロの貧民シリーズには、総じてこの希有な画家が当時の貧しい人々に抱いていた同情、憐憫の思いが込められている。しかし、中には少数ながら一部の貧民あるいは貧しさを逆手にとり、善良な人々を欺瞞、詐欺的犯罪を犯す者たちへの非難、反感が感じられる作品もある。その例を見てみたい。
下に掲げた図を見てほしい。乱れた髪、破れた衣服など見るからに貧しげな一人の男が描かれている。カロの描く貧しい人々は、ほとんどはそれぞれ貧しいなりに身なりを整え、しっかりと大地に脚を踏ん張り、生きているように描かれている。容貌やまなざしも真摯なものが感じられる。しかし、この男はかなり異なるようにみえる。容貌もなんとなく卑しく、片目はフェルトの帽子に隠れているが、口はだらしなく半ば開かれている。右手は三角巾のように布で支えられている。本当に右手は動かないのだろうか。あたかも、怪我をして働けなくなったとでもいいたげである。
画家カロは、他の貧しい人たちとは別の視角でこの男を描いたようだ。描かれた男の片目は意味ありげにこちらに向けられている。そして、左手で担いでいる旗のようなものには、”Capitano de Baroni”と書かれている。この時代、17世紀初期には、baroni という言葉は「悪党、ごろつき」という意味を暗に持っていたらしい。16世紀末のローマには ”Compagnia delli Baroni”と呼ばれた、身体は別に悪いところはないが、怠け者で働くことをせずに、他人からの施し物に頼って生きている者の集団があったようだ*。
彼らは、しばしば詐欺、窃盗などの明らかな犯罪行為も犯していた。その存在は、当時大きな社会的問題になっており、町村によっては、外部からの流入者を制限するという対抗措置までとっていた。 時には、多数の放浪者が村や町へ入り込み、平和な地域の秩序を乱すという出来事があったらしい。町の中心の広場がこうした浮浪者で占拠され、住民が困惑したという出来事がヨーロッパ中で頻発していた。この時代、多くの町がそれぞれに高い城壁で外部からの侵入者を防ぎ、城門で出入りを制限していた。ナンシーなどの都市でも、外部から町へ入ってくる者を制限した時があった。カロは、善意の施しをする地域の人々を欺いて生きている、こうした狡猾な者たちへの批判と嫌悪をこの男に象徴させているようだ。
彼の持っている旗に首領 capitano という文字が記されているのは、同じような怠惰で反社会的な人間が多数いることを暗示している。そして、それを示すように、この男の背後には多くの同様なことをしている放浪者たちが描かれている。左手に見えるように、こうした放浪者たちは町に入ると、まず教会へ行き、施しを求めた。
Jacques Callot, Frontispice
カロの貧民シリーズは、貴族たちを描いたシリーズと違って、2点を除き、人物の背景が描かれていない。あたかも、彼(女)らはなにも頼るものもなく、孤独に人生を過ごしていることを暗示しているかのようだ。その点、上記のいかがわしい貧民と下に掲げる「二人の放浪者」という作品だけに背景がある。カロは背景に特別な意味を持たせたことが推定される。
17世紀のヨーロッパ社会の通念では、貧民を慈善の対象に値する者と値しない者に二分して見ることが一般的であった。カロはその点、両者を区別することなく描いているが、評価は観る者に委ねている。しかし、そのための材料は克明に描き込んでいる。
その例として、下に掲げる「二人の放浪者」は、顔つき、目つきなどがどうもうさんくさい。真面目に巡礼をしている旅の者とは違うようだ。背景には旅の者に施しをしている善良な市民らしい姿が描かれているが、この二人がそれに値するかは、観る者の判定次第ということらしい。
Jacques Callot, Les Deux pelerins
17世紀ヨーロッパには、教会の慈善を初め、少しでも良い生活をしている人たちの施しによって生きていた貧しい人々、あるいはそれに便乗して悪事を働く者など、貴族たちの優雅な世界とはまったく別世界が並存していた。ジャック・カロは鋭い観察眼を持って、その多様な断片を描いている。レンブラントがカロの作品に注目したのは、当然のことであった。
Reference
* Exhibition Catalogue, Princes & Paupers, 2013.
★しばらくの間、時間はあっても文献確認、入力などの身体的自由を制限されていたため、記憶に頼った断片的な記事になっている部分があります。幸い機会に恵まれれば不足部分を追加したい。
続く