時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

画家の見た17世紀階層社会(18):ジャック・カロの世界

2013年09月04日 | ジャック・カロの世界

 

Baltolomeo Schedoni(1578-16159, La Carita, 1611, oil, canvas, Museo di Capodimonte
バルトロメオ・スケドーニ『慈善(施し)』、1611年、油彩・カンヴァス、ナポリ、カポディモンテ美術館

 

 17世紀の貧困を画題とした画家、作品は少ない中で、このイタリア・エミリア派の巨匠といわれたバルトロメオ・スケドーニの作品は、『慈愛(施し)』の情景を描いている。恐らく、修道院などの戸口で施しを求める子供たちに修道女がわずかな食べものを与えている光景である。この作品で注目されるのは左側に描かれた子供(おそらく視力を失っている)の虚ろな表情、女性からパンのようなものを受けとる子供の幼いが感謝に充ちた表情、今後に待ち受ける世の苦難をいまだ知らない幼い裸足の子供たちのあどけなさを残した表情にある。こうした施しという形をとった慈愛の活動は当時、カトリックの世界では、推奨された行為ではあった。しかし、きわめて美しくカラヴァッジョのような劇的効果をもって描かれた現実の世界では、絵画の想像を超えた厳しさが支配していた。教会、修道院などの宗教的支援は、すさまじい現実の前に、ほとんどなすすべがなかった。飢饉の折、教会の裏側に多くの子供が遺棄されていたなどの記録は実に多い。

 

 

 17世紀、多くの宮廷画家たちは、自分の周辺のパトロンや貴族などを画題の対象とていた。当時すでに膨大な数で存在していた、貧民や貧困の実態には目をつぶり、作品の対象にとりあげることをしなかった。このことについては、ブログに多少記したことがある。宮廷人たちがひとたび華やかな宮廷を出て町中に出れば、そこにはみわたすかぎり、おびただしい数の貧窮に苦しむ人々で溢れていた。しかし、その悲惨な光景は多くの画家にとっては創作意欲をそそられる対象ではなかった。

 そうした風潮の中でジャック・カロは、かなり多くの貧民の実態を描いている。そのおかげで、写真などなかった時代、この時代の貧困の実態がいかなるものであったかを、かなり良く知ることができる。

教会の繁栄の陰に:おびただしい貧しい人々の姿
 
カロが日常目にしていた貧民の状況はきわめて多様にわたっていた。多作ではあったが、手当たり次第描いていたのでは収集がつかなくなる。カロは貴族階層のさまざまを描いたように、貧民についても、その類型化をイメージして制作していたと考えられる。当時の人口の7割以上を占めた農民まで含めると、社会階層の大半はその日暮らしに近い貧しい生活を強いられていた。彼らの日々の生活は、貧困と劣悪の限りであり、その生活様式は地域や職業ごとに多様をきわめ、すべてを描くことはもとより不可能であった。その中でカロは日常顕著に目にする人々の姿を、鋭く観察、厳選して描いたと考えられる。

お守りとなった聖人像
 
カロがイタリアからロレーヌへ戻った17世紀初め1621年頃、ロレーヌはカトリック布教の前線の砦としての戦略的位置を与えられ、カトリック布教の強力な活動が展開していた。その結果、強い宗教的精神に充ちた地域となっていた。
 
 度々記したように、この地は戦乱、動乱、悪疫、天候異変などに絶えず襲われていた。たとえばカロがナンシーへ戻ってしばらくすると、1630年代にはペストなどの悪疫が流行した。1631年にカロは『悪疫から身を守ってくれる聖人たち』Book of Saints for Plague を制作し、実に488人の聖人の姿を描いた。悪疫についての知識や医学水準が低位にあった時代、人々はひたすらそれぞれが守護聖人と仰ぐ聖人に、自分や家族の安全、不幸にして罹患した場合の早期の治癒などを祈るしかなかった。こうした折には、魔術や呪術などのいかがわしい活動も盛んになった。




ジャック・カロ 『キリストと聖母マリア』

Jacques Callot, Christ and Virgin Mary

Les Grands Apôtres(The Large Aolssstles)
Princes & Paupers, 2013,p.123.
クリックして拡大
 

 この聖人肖像集は恐らく大きな評判となったのだろう。翌年、カロは『大使徒』シリーズ、large Apostles を制作し、キリスト、聖マリアと13人の使徒の画像を描いた16枚(1枚は表紙)の肖像集を刊行した。今回は大量の印刷頒布に耐えうるよう、銅版の彫り込みも深く、図版も拡大された。恐らく、多数の需要があり、ロレーヌの多くの家々の壁にカロの聖人画が掲げられていたのだろう。

  当時のヨーロッパ各地にはおびただしい数の貧民がいた。現代の社会保障制度のようなものはなく、困窮者の最後の頼りは教会、修道院などの慈善の観点からの施しにすがることだった。しかし、ロレーヌのようにカトリックの布教が強力に勧められた地域であっても、教会の社会的な救済の力は実態を改善するにはほとんど無力に近く、多くの人たちが頼るすべもなく死んでいった。「慈善」は単なる布教上のスローガン化していた。

 最近の研究で分かったきたことだが教会内部の腐敗や堕落の陰で、想像を絶する数の貧民、窮迫民が救いや施しを求めることすら出来ず、戦火や悪疫、飢饉の中で死に絶えていた。(難民200万人を越えたといわれるシリア内戦の惨状を思うとき、管理人の心情はその解決を考えると、残暑の中でさまざまに乱れる。)

 17世紀、近世初期の時代の美しい絵画作品だけを見ていると、ともすれば、その背後に存在した膨大で計り知れない貧困の実態を知ることなしに過ごしてしまうが、それを知ることなしに、この時代を理解することはできないのだ。

続く

  

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする