しばらく旅先きで、少し離れて世の中の動きを眺めている。雪深い山中、人影も少なく、およそインターネットのことなど考えもしないような場所だが、今では都会にいるのとまったく異なることなく、ネット社会に入り込むことができてしまう。PCを開かないならば、世の中の煩わしさなどに関わることなく、ひたすら静かに時間だけが過ぎて行くのだが、時々雑念が頭をよぎる。
遠い山並みの彼方で起きていることから、まったく自分を切り離すまでにはいたらない。日に一回くらい山並みの向こう側の世界の動きを確認したくなる。周囲が静かであるだけに、多くのことがとりとめなく浮かんで来て、かえって整理に困ることがある。ウクライナ問題はどうしても帰趨が知りたい。ソチ・オリンピック前から一抹の不安があったが、やはり発火してしまった。オリンピックの閉幕を待っていたかのようだ。紛争勃発後のロシア側の対応などをみると、周到に準備されていたような感じもする。これはもうヨーロッパだけの問題ではまったくない。クリミヤ半島やセバストポリなど紛争地の地名を聞くごとに、暗いイメージが浮かび、さまざまな思いがよぎる。事態は一触即発の危機状態だ。
大戦化の危機を避けられるか
多くの日本人には、遠い国の出来事のように思えているようだ。しかし、もうそうした時代ではない。「鮫に囲まれている国」といわれるまでになった日本の現実を考える。この国の先行きも決して安心してはいられない。ウクライナ紛争は「対岸の火」などと、他人事のような楽観はできない。
ウクライナを支配下に置こうとするロシアの力の行使を、EU、アメリカはなんとか制御することはできるのだろうか。アメリカの地盤沈下が顕著な今、これも衰退の色濃い当事者ヨーロッパは、どう対応するのだろうか。かつてはヨーロッパとロシア世界の間には、温度差はあるが、緩衝地帯が介在していた。しかし、EUの拡大によって、二つの世界は直接国境を接し、対峙する関係になった。その接点における紛争と戦火の拡大は、世界をすべて巻き込んでしまう危険に満ちている。
ヨーロッパにおけるフランス、イギリスというかつての主導的大国が大きく後退した今、EUの命運は「一人勝ち」のドイツの政治・経済力に大きく依存している。そのドイツを率いるアンゲラ・メルケル首相は、あのサッチャー首相のような鮮烈な「鉄の女」の印象は与えない。ポーランド系の血筋を受け、東独育ちのこの強靱な思考力を秘めた女性首相は、かつての東西ドイツの裏表を知り尽くしている。一時期、「コールのお嬢さん」、「鉄のお嬢さん」などと呼ばれたこともあるが、彼女は、サッチャー首相のように、決して鉄のような自ら曲げることのない路線を開示しない。最近、多数のメルケル評伝が刊行されてはいるが、なかなか彼女の思想形成や推論の仕方を理解することは難しい。いかにメディアが発達しても、極東の日本などからは、彼女の公私の日常を知るに遠いこともあって、実像が十分把握しにくいところがある。
昨年2013年のドイツの選挙前に刊行された社会学者ウルリッヒ・ベック Ulrich Beck の『ドイツ化したヨーロッパ』*などを読みながら、ようやくこのしたたかな女性首相と、彼女に主導されるドイツ、そしていまやその色彩に染め変えられつつあるヨーロッパの姿が少しずつ分かってきたような気がしている。ヨーロッパは、「ヨーロッパのドイツ」から「ドイツのヨーロッパ」へと変容しているのだとベックは見る。もちろん、EUという存在はあっても、現時点ではさまざまな色合いを持った国々の集合体であり、統合体として純然たる共通経済政策を持つ段階までいたっていない。いうまでもなく、この意味は、現在の段階ではドイツの影響力のEU加盟国への強い浸透を暗示しているという内容にとどまっている。
「メルキアヴェリ」:強靱な政治家
ベックは、メルケル首相のことを15世紀から16世紀への転換期に生きたイタリアの政治思想家マキアヴェリ Niccolo Machiavelli, 1469-1527)になぞらえて、「メルキアヴェリ」 "Merkiavelli" という。元祖マキアヴェリは当時のフィレンツェにあって、混乱した時代における支配者の権力行使のあり方を論じた。彼が著した『君主論』 Il Principe は、フィレンツェの支配者メディチ家ロレンツォII世のために書かれた。この時代、政治的危機は支配者である君主にとって権力集中の源でもあったが、衰亡の要因でもあった。支配を目指す者にとって存亡の危機、カタストロフは、反面新たな機会でもあった。ベックは、メルケル首相の立場はまさにそれに近いという。さらに、ベックはこれまでの著作で展開してきたように、現代は「リスク・ソサエティ」"risk society"ともいうべき状況にあり、そこには「リスクの原理」と「民主主義の原理」という二つの原理が相反しつつ存在している。そして、「どの程度の民主主義ならば、切迫したカタストロフの下で存続を許されるのか」という問が提示される。
いまやヨーロッパの最強の指導国となったドイツだが、日本にもつながる「歴史問題」の影を引きずっている。その意味で、ベックは、ドイツは自ら望み、意図して今の地位に就いたのではなく、「思いがけなくなってしまった帝国」 accidental empire と考える。この事実は、少なくもこれまでのドイツの政治行動を規定してきた。
マキアヴェリが『君主論』で述べているように、「用心深い支配者は自分の利害に得ではないとみれば、手の内を明かさない」。それまで、示していた方向も利にあらずとなれば、まったく反対の策もとることを辞さない。福島原発問題の後のエネルギー政策の急転換などに、メルケル首相の思考様式は典型的にうかがえる。このしたたかな政治家に率いられるドイツ、そしてドイツの力なしには動けなくなっているヨーロッパが、このたびの危機にいかに対応しようとするのか。この機会に急速に大国としての復権を図ろうとするプーチンのロシアは、いかなる行動に出るか。プーチンにとっても、かねてから企図してきた時なのだ。虎視眈々と、機会を窺っている。遠く離れていても到底目は離せない。
*
Ulrich Beck, Das deutsche Europa: Neue Machtlandschaften im Zeichen der Krise, Suhrkamp Verlag, Berlin 2012
___. German Europe, Cambridge: Polity Press, 2013 (English version).
メルケル首相をめぐる最近の政治・文化的状況については、pfaelzerwein さんのブログ記事が大変参考になった。記して感謝したい。