Li-An & Laurence Croix, Georges de La Tour
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マンガにもなったラトゥール
日本のマンガの影響力は、すでに世界的規模に及んでいるが、日本に次いで最も大きなマンガ文化圏を構成するまでになっているのは、フランスかもしれない。そのフランスで、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールのマンガ(劇画)が出版された。「偉大な画家たち」 Le Grands Peintres というシリーズの1冊である。すでにヤン・ファン・アイク、ピーター・ブリューゲルなどを題材としたマンガが刊行されている。マンガにしうるほど、この画家はフランスそして英語圏でも知られており、小説や映画にもなっている。最近では研究が進み、断片的ではあるが、かなりの史実が明らかになっている。しかし、画家がいかなる容貌をしていたのか、プッサンやステラのような自画像も残っていない。したがって、マンガに出てくる画家の顔も、とりたてて根拠があるものではない。
日本では、ラトゥール(1593ー1652)という画家の名前も、作品、生涯も一部の愛好家の間でしか知られていない。今日に残る真作は50点近くにすぎないが、日本にも国立西洋美術館の『聖トマス』を含めて、2点が所蔵されている。
プッサン以上にフランス的画家
この画家については、名前が似ている18世紀の画家カンタン・ド・ラ・トゥール(1704ー1788)と取り違えている人に出会ったりして、がっかりしたことも少なくない。17世紀フランスの画家といえば、ニコラ・プッサン(1594ー1665)、クロード・ロラン(本名ジュレ、1600ー1682)などが知られているが、彼らはフランスあるいはロレーヌ生まれでありながら、その画家生活はすべてイタリア、とりわけローマであり、二人とも故国へ帰ることはなかった。
その意味ではラトゥール自身、ロレーヌ公国という小さな国で画業を続けていたが、ほとんどフランスの政治的、文化的な強い影響下にあった。ラトゥール自身、ロレーヌとフランス、とりわけパリの間を往復しながら、画業を続けた。ラ・トゥールは、ローマなどで有力なパトロンの庇護の下で、芸術的な環境にも恵まれて、豊かな画業生活を送っていた画家たちと比較して、いつ外国の軍隊が攻め入ってくるかも分からない不安に満ちた日々を過ごしながら、家族を守り、転々と避難を繰り返し、文字通り劇的な生涯を送った。パン屋の次男として生まれながら、不安定な画家への道を選び、その才能を買われて貴族の娘と結婚したり、貧困に苦しんだ農民などからはうらまれるような裕福な生活を送った。絵の才能以外にも、処世の術にもたけていた。しかし、このマンガが対象とした時期には、10人生まれた子供のうち6人は生きていなかった。
さて、このマンガ、フランス語であることは別として、大部分はフィクションである。それも画家の生涯のほんの一部に過ぎず、あらかじめ画家についてのかなりの知識がないと、最初のページからなんだか分からないという状況になるだろう。マンガの作者は、かなり工夫をして、それぞれの場面を描いているので、登場する人物が誰であるかを想像するのも楽しい。フィクションといっても、要所要所は、史実の裏付けがなされている。(文末には簡潔な画家と作品の紹介、位置づけが付されている)。
筋書きを記すわけにはゆかないが、たとえば第1ページ、最初の光景は次のような場面である。これがなにを意味しているか分かれば、お見事と申し上げたい。
そして、下記のそれぞれの人物の名前あるいは位置づけは。フランス美術史専攻の方でも難しいでしょう。ヒントは当時ラ・トゥールが生活を共にしていた家族、使用人などです。研究が進み、今では作品だけ見ていたのでは分からない、この画家の意外な側面も明らかになっています。
Reference
Li-An & Laurence Croix, Georges de La Tour, Glenoble, Clenat, 2015.