時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

戦争を記憶する:30年戦争の傷跡をたどる

2017年04月17日 | 午後のティールーム

 

北東アジアに急速に緊迫感が強まっている。火元はまたもや朝鮮半島になりそうだ。と言っても、若い世代は朝鮮戦争をほとんど知らない。1950年6月25日大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が衝突。それぞれアメリカ軍を主体とする国連軍と中国義勇軍の支援のもとに、戦争状態となった。53年7月にようやく休戦となった。敗戦後日の浅い日本はアメリカ軍の後方基地として漁夫の利を占めたような状況だった。

安易になってきた戦争認識
1960〜75年には北ベトナム・南ベトナム解放民族戦線とアメリカ・南ベトナム政府の間で戦争状態となり、今に残る深い傷跡を残した。アメリカはいずれの戦争にも加担している。20世紀以降の世界で、アメリカが関係していない戦争を探すのは難しい。あらゆる戦争に介入してきた。アメリカに頼る国もある。アメリカは今後世界の警察官であることをやめるといっても、これまで思うままに振舞ってきた武力優位の持つ魔力は捨てがたいのだ。シリアの戦争も、今や「内戦」どころか、外部から介入する大国の新兵器の試験場のごとき様相を呈してきた。核兵器ではない在来 conventional の爆弾では最も爆風が凄まじいという兵器が、トランプ政権になっていとも安易に使われている。シリアはピカソの「ゲルニカ」そのものだという見方もある。

「戦争」で区切り直す時代認識
20世紀はしばしば短い世紀であったと言われるが、「世紀」は歴史軸上の区切り(ベンチマーク)に過ぎない。歴史を真に区分してきた要因を見定める必要がある。やはり、「戦争」の持つ影響力は大きい。この点を重視する立場からは、その端緒はこの世紀の世界的悲劇、第一次大戦の開戦年の1914年に始まり、1991年の第二次世界大戦の終結で区切られるとされる。第二次大戦は、第一次大戦の結果がもたらしたものの延長線上で理解される。もちろん朝鮮戦争、ヴェトナム戦争や中東での紛争もこの流れに包括される。こうした視点からすれば、20世紀の基底を流れたのは「戦争という恐るべき怪物」であり、それが支配した世紀だったと言えよう。

 21世紀はいかなる世紀になるだろうか。この時代の始まりを画したものは、天文学上の発見でも、新大陸の発見でもなかった。それは9.11同時多発テロという世界を震撼させた出来事であり、前の世紀からのつながりが生み出したものだ。その結果はテロリストへの報復という形で直ちに中東戦争へと拡大して行った。戦争という残酷な争いがいかに悲惨で、虚しいものであることを人々が心から認めるまでは戦火は地上から絶えない。疲弊しきるまで止まらない戦争 悲惨と荒廃だけを残したともいわれる「30年戦争」だったが、人々と国土が疲弊しきって、やっと終結の時が来た。1635年に皇帝とザクセン選帝侯の間で《プラハ条約》が結ばれ、ドイツ内部の両派の間では和睦が成立したが、フランスがスウェーデンと結び、戦争に介入し、30年戦争は終わらなかった。(「フランス・ステージ」ともいわれる段階)。その後も、混迷は続き、ようやく1648年、プロテスタント側はミュンスターで、カトリック側はオスナブルックに集まり、同じ日に署名されて、「ヴェストファーレン」条約として、後世に知られることになった。

 神聖ローマ帝国は長い疲弊の時から抜け出たが、ドイツは多くの領邦(実際にはroyaumes, principautes, margraviates, landgraviats, comtes, seigneurics などの名で呼ばれた複雑な状況)に分割され、新な苦難の時代を迎えることになった。30年戦争とその後のドイツ世界がいかに荒廃し、悲惨なものであったかを知ったのは、ブログにも記したグリンメルスハウゼンの戦争小説などを読んでからであった。歴史では習ったが、それまでほとんど実感が生まれなかった。16世紀にはその美しさを誇ったドイツの国土が、その復興に100年余を必要とするまでになってしまったのか。ドイツはその後も戦争の中心となって、歴史の舞台へ登場してきた。戦争を基準として時代区分を仕切り直すならば、第一次大戦以来今日まで、地球上から戦火は絶えていない。「戦争の世紀」がこれ以上続かないよう、戦争の歴史を忘れないことが必要だ。「戦争」について真実を次世代に伝承することは「平和」について語るよりはるかに困難だ。

 30年戦争による神聖ローマ帝国の地域別人口増減
 30年戦争は時と所を変え、様々な要因で入り乱れ続いたが、地域では現在のドイツを中心とする地域が、最も過酷で悲惨な戦場となり、多数の人命が失われた。戦争の直接的結果あるいは他の地域への流出で、半数以上の人口が失われた地域もあった。

フランスに近い西部のパラティネート(プファルツ)、東北部のヴュルテンベルクなどの荒廃は、甚だしかった。下図で色の濃い地方ほど、人口減が激しく、領土も疲弊した。

C.M.N.Eire, Reformations, 2017, p.553

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