春の光は草木にとって想像がつかない力を与える。長い冬の間、厳しい雨風や雪に耐えていた種や球根が春の訪れとともに、一気に活動を始める。あたかも新たな命を得たようだ。例年秋口に植えるチューリップなどの球根の類も、時を計っていたかのように確実に芽を出し、花開く。自然の摂理の絶妙さに幾度となく感動してきた。
他方、人間の世界は近年著しく不確実性が増した。「想定外」という流行語が出現したように、思いもかけない出来事が突如として起こる。人間の予知能力は格段に低下し、神でさえ未来は分からないといわれる時代となった。
しかし、巨大コンピューターの能力とAIの発達で、ロボットが人間の能力を凌ぐような状況も出てきた。典型的には囲碁、将棋、チェスなどの分野で名人が破れるという水準まで、ロボットの予測能力が高まった分野もある。人間行動のパターンをコンピューターが読み切れるまでにプログラムの精緻化と計算能力が拡大した成果といえる。だが、コンピューターが人間に勝つような状況が生まれるのは、未だ囲碁や将棋という思考ゲームに限られている。コンピューターが棋士の対決が行われている座敷の外の世界の変化まで予測することは、現在の段階ではできない。棋士には見える室外の桜も、今の段階では、コンピューターには見えない。
経済学の推論などで、ceteris paribus (other things being equal) という前提がつけられることがある。「他の条件が一定ならば」というかなり厳しい限定である。モデルが設定した条件以外は凍結されて動かないという意味である。しかし、現実には予測値と実際の結果(実績)の間に大きな離反が生じることはしばしば起こる。例えば、投機家などはある予測の内容を知って、予測とは相反するような行動に出る。例えば、当面の株価安値が予測されれば、素早く買い入れを増やすなどの行動に出る。その結果、予測値を結果が上回るということが起こりうる。
人間社会は実験室の世界とは異なり、行動する主体が自らが置かれた状況を判断し、考え、さらに行動する。その結果、世界は変わる。激変する世界、予知能力の充実はこれからの時代を生きる人たちには欠かせない。しかし、その答えは人々が電車の中や歩きながら覗き込んでいる小さな画面の中にはないようだ。