絵の裏が面白いら・トゥール(2)
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは、史実として判明している限り、ほとんど終生ロレーヌ(現在のフランス北東部)で過ごした。画家はロレーヌ公国のみならずフランス王国ルイ13、14世の王室付き画家であったから、パリへ移住し、戦火に追われることもなく恵まれた生涯を過ごすこともできたろう。しかし、ラ・トゥールは自らが生まれ育ったロレーヌの地へ戻り、終生をロレーヌという地方の画家として過ごした。
画家の生まれた町ヴィック=シュル=セイユは、今の時代に訪れると、時の流れから取り残されたような思いがする。17世紀の古い町並みが残り、当時の城壁の一部や修復された城門を見ることができる。ロレーヌの歴史に刻まれるこの著名画家は、出自を辿れば、この地のパン屋の次男であった。今でもその後を継いでいるというパン屋もある。
戦火の絶えなかったロレーヌの町では、住民が交代で城門の見張り番に立った。ラ・トゥールがこの当番を怠り、罰金を請求された記録が残っている。パン屋の次男に生まれ、画家として天賦の才に恵まれたこの画家は、貴族で大地主となってからは、ひとたび確保した貴族特権を振りかざし、税金支払いの拒否など、剛直、粗暴な行動があったようだ。画家のこうした行動については、一部住民からそれを非難する文書も残っている。しかし、ラ・トゥールにしてみれば、ロレーヌ公から付与された貴族特権を放棄することでもあり、それを固守することに懸命だった。事実、多くの下級貴族たちはひとたび得た特権を子孫の代まで継承することに最大限の努力を払った。
ラ・トゥールの息子エティエンヌは父親が活動していた間は、画家として父親の工房を助けて、自らも画家として活動していた。父親の名声で貴族にもなっていた。しかし、画業を継ぐだけの才能はなく、父親の没後は貴族として生きる道を選び、ロレーヌ公から領主に取り立てられている。父親の画風は子孫には継承されなかった。しかし、3世紀余りの時空を超えて20世紀初めに、再発見されたラ・トゥールの名はロレーヌ、そしてヴィックの歴史に燦然と輝いている。