多文化主義の花は咲くだろうか
出入国管理法 (入管法)の審議が国会で始まっている。しかし、新聞、TVなどで議論を見ていると、この半世紀近く形は変わっても議論の内容は実質的にほとんど前に進んでいないといわざるを得ない。同じ議論が繰り返されている。この国はこれまで、その場その場で綻びをつくろうような、成り行き任せの対応をしてきた。その流れは今も変わっていない。
安倍首相が「移民政策はとらない」といかに強弁しようとも、日本はすでにれっきとした移民受け入れ國になっている。日本で働く外国人の数は、すでに130万人近い(特別永住者を除く)。とりわけ、単純労働(低熟練)の分野では、技能実習生、留学生(アルバイト)などで対応するという姑息な手段(「バックドア」からの受け入れ)で事態を繕ってきたが、2020年の五輪、各地の自然災害などへ対応する建設労働力、高齢化への看護・介護などの需要増もあって、人手不足はどうにもならなくなってきた。
1988年以降、「専門的・技術的分野では受け入れるが、単純労働者は受け入れない」とする閣議決定の方針はこれまで表向きは踏襲されてきたが、ついに単純労働者を正面から受け入れざるをえなくなり、大転換を迫られている。しかし、安倍首相は「移民」という表現を避け、「外国人材」などというあまり聞きなれない表現で、日本への外国人労働者の「定住」、「永住」を原則認めないという答弁を繰り返している。言い換えると、外国人労働者は受け入れるが、あくまで「労働力」としてであり、仕事が終われば本国へ帰ってもらうという考えのようだ。労働力の部分だけが必要で、それ以外の人間としての側面は必要ないとしているようなものだ。しかし、こうした考えはおよそ非現実的であることは、各国あるいは日本においてもすでに立証されている。期間限定の条件下に受け入れた労働者が時の経過とともに、受け入れ国に滞留し、定住、永住化への道をたどることも否定し難い事実である。
包括的差別禁止・人道的配慮
受け入れた外国人を水流のように循環(rotate)する「労働力」としてしか見ない考えは、主として非熟練労働分野へ就労する新しい在留資格「特定技能1号」の対象者には家族の帯同を認めないという考えにも反映している。他方、専門性、技能の高い「特定技能2号」の対象者は家族帯同を許容するという。こうした差別的措置は人道上、国際的にも問題となるだろう。再考すべき点である。
これまで国際的にも批判されてきた「技能実習制度」を存続させることは、制度の正当性、透明性を著しく損なう。国際貢献という目的とは著しく離反した、歪んだ制度は廃止し、誤解や批判を生むことのない新たな制度設計を行うべきだろう。移民制度設計において、制度と運用の「透明性」の維持・確保は人権侵害などを防ぐ上でも必須の条件である。
必要性の確認
さらに、政府は「外国人材」の受け入れに上限を設定するとしているが、その算出根拠も不透明である。人手不足の業種については、国内労働者の応募がないことを判定する「需給テスト」などで制度的に検証し、その上で不足する部分についての外国人労働者の受け入れを認めるという手続きが図られるべきであり、単なる業界ヒアリングなどで積算されるべきではない。その過程では賃金引き上げなど労働条件改善を行っても国内労働者の応募がないことも検討されねばならないだろう。
人手不足で外国人受け入れを要望している業界で、受け入れた外国人が働く場所は大方、日本人が就労を放棄した職場である。いかに政府が日本人と同等の労働条件を確保するといっても、これまでの経験が示すように実態は空虚であり、労働環境が劣位な職場となることは自明のことだ。不足が深刻な分野は、日本人が応募しないほど、労働環境が劣悪なことが多い。それを安易に外国人労働者で充当するという考え自体、大きな誤りだ。国内労働者の労働条件を劣化させる可能性も高い。
言葉での表現その他で不利な立場にある外国人は、失業するよりは、あるいは本国よりは高い賃金が得られると、就労に同意せざるをえない。一度祖国を離れてしまうと、そう簡単には帰国できない。かくして国内労働者の下に、さらに低い下層市場が生まれる。技能j実習生などの失踪者が多いのは、外国人労働者が配置された現実の職場が彼らが聞かされてきたイメージとは異なり、劣悪で期待を裏切ることが多いことが最大の要因となっている。
国としての魅力の不足
他方、高い専門性を求める「特定技能2号」の分野については、大学、研究所などを含め、西欧諸国などとの比較で、国として魅力に乏しいことが指摘されている。今後の高い技能を保持する潜在移民の目指す行先としては、いくつかの調査で、アメリカ、ドイツ、カナダ、UK、フランス、オーストラリア、サウジアラビア、スペイン、イタリア、スイスなどが挙げられているが、日本は国名すら挙げられず、ほとんど注目されていない。この分野では受け入れ側の環境改善が欠かせない。しかし、日本の大学の実態を見ても、留学生が限度いっぱいアルバイトしているような状況で、高度な潜在力を持つ外国人を惹きつけるような学術・研究水準の改善が見込めるだろうか。不熟練労働者と違って、こちらは優れた外国人が魅力を感じて来てくれないのだ。
今回、「移民制度改革」に政府が着手したのは、一部の産業界が労働力不足で機能しなくなったこくyとが最大の理由である。時すでに遅しの感が強いが、改革するからには世界の移民・難民の変化に配慮し、真の意味での「包括的制度改革」を構想・設計すべきである。遅れてスタートしたからには、(ブログ筆者は悲観的だが)、世界のモデルとなるような制度改革を試みるべきだろう。改革の範囲も、不熟練労働と高度な専門性や技能の保持者という熟練スケールの両極端にとどまらず、入国後の職場の移動などを考慮すると、中程度熟練を含むすべての熟練・技能段階を検討の範囲に包含するべきだろう。中程度の熟練度職種についても需給が逼迫する可能性もある。
近年、移民は西欧、北米、ECA(非EU)、MENA(高所得地域)で集中的に問題化し、受け入れ国側が制限強化へ向かっている中で、日本だけが受け入れを拡大するという今回の政策は、従来の政策失敗の補修という点とともに、評価すべき点もあるが、それだけに慎重な配慮が必要とされる。移民・難民は少しでも受け入れの可能性のある国へ殺到する。五輪開催を契機に多くの問題が急激に噴出する可能性はきわめて高い。
包括的な共生プランへ向けて
さらに、法案の名の通り、現在の議論は重点が外国人の入国と出国の2点だけに集中していて、入国した後の外国人の人間としての広い活動領域への対応が手薄で、断片的にしか取り上げられていない。人間としての行動の全域について、日本人に準じた対応が求められることに十分な認識が欠かせない。政府案では法務省の外局として「出入国在留管理庁」(仮称)を新設すると伝えられるが、独立した省庁の構想が検討されるべきだろう。アメリカ、ヨーロッパなどで問題となっているような人身売買ブローカー、テロリスト、犯罪者などの遮断など、受け入れ拡大の負の側面についても、配慮が欠かせない。日本は単なる人手不足への対応をはるかに超えた次元で、大きな決断の時を迎えているという認識が必要だ。多文化主義の開花への道は、苦難に満ちている。
References
日本弁護士連合会「出入国管理及び難民認定法および法務省設置法の一部を改正する法律案に対する意見書」2018(平成 30年) 11月13日
*「失踪実習生調査に「誤り」」『朝日新聞』2018年11月17日
失踪の理由について法務大臣の答弁では「より高い賃金を求めて」が86.9%とあるが、これは以前の職場が「低賃金」であったことを示すことに他ならないのではないか。