時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

セラピーとしてのアート

2019年02月16日 | 午後のティールーム
 

 


 人はなぜ美術館へ行くのか。美術館へ入る前と比較すると、帰りは自分の知的資産が多少なりとヴァージョン・アップ?したと思うだろうか。変な質問と思う人は多いだろう。しかし、人は何かの動機や衝動、期待にかられて、美術館の入り口をくぐるのではないだろうか。

 今,私たちが生きている世界は色々な意味でストレスを生み出す事象に満ちた社会だ。気候激変などの自然現象、戦争、災害、難民、格差、貧困、難病など天災、人災を含めて枚挙にいとまがない。しかし、それらに対処する有効な解決策はほとんど見えないことが多い。希望を失い、来るべき世界のあり方について不安を抱く人たちも少なくない。孤独や不安への救いを宗教に求める人もいる。

 そうした社会であっても、美術館や音楽会に出かける人も多い。ひと時、絵画を見たり、音楽を聴いた後の心に変化は生まれただろうか。絵画などの美術についてみると、ほとんどはなにかの具体的目的を持って制作されたわけではない。広告でない限り、作品は純粋に美的鑑賞のための作品として制作されている。
 
 しかし、近年、あまり気づかれていないが、美術・アートあるいは音楽などにセラピー (therapy: 緊張緩和、精神的安定の治療) 効果があるとして、人々の心に潜む緊張や不安を和らげ、解きほぐす効能を見出したり、期待する動きも現れている。

 人々が絵画作品を見ている時、気がつかない間に心の不安、心配ごとなどを忘れ、結果として癒され、安定感、充足感などを取り戻す。美術館で作品を鑑賞して館外へ出る時には、張りつめていた心の緊張が緩み、一種の幸福感が生まれている。作品を制作した画家たちは多くの場合、そうした効果まで意図してカンヴァスなどに対したわけではないのだが。
 
 それでも時代や環境によっては、作品を観る人たちが描かれたテーマに積極的に癒しを求めた場合も多い。宗教画は本質的にそうした要素を多分に含んでいる。

 分かりやすい例を挙げてみよう。これまで、このブログに記してきた17世紀の画家たちの作品の中でも、《イレーヌに介抱される聖セバスティアヌス》の主題は、16-17世紀に大変好まれた。そのため、多数の異なったヴァージョンがある。瀕死の重傷を負った若者が聖女イレーヌと召使いたちの献身的な介抱で生き返るというストーリーは、明日をも知れぬ不安と危機の時代に生きた人たちには、大きな心の癒しとなり、さらには当時流行した疫病などに対する護符のような意味を持った。こうした底流の下、現代では音楽療法、「臨床美術」という認知症への対応という領域も生まれている。

 これほどまでに直接的な関連を感じなくとも、作品を見てある種の安心感を抱いたり、画家の意図を考え込まされたり、時には笑ってしまうような作品に出会うことは、よくあることだ。
 
 ここに紹介するアラン・ド・ボトン の『セラピーとしてのアート』 Art as Therapy はその点に着目した好著だ。興味深いのはセラピーの対象となるアート(絵画、彫刻、陶磁器、写真、建築、都市計画などを含む) を、「愛」、「自然」、「金銭」、「政治」という四つの領域から検討していることにある。例として取り上げられている作品は古典から現代までありとあらゆるジャンルに渡り、厳粛、静寂、神秘、自然、風景などから風刺的なものまで、多岐にわたる。現代人が抱える心身の悩みが千差万別であるように、人々はそれぞれの状況で癒されるらしい。

 カラヴァッジョの《ユダの断首》など、ブログ筆者は、リアル過ぎてグロテスクな感を受け、あまり見たくはないが、その恐るべき迫真力に驚き、現実以上に恐怖を覚える人もいるだろう。アドレナリンが沢山出て元気になる人もいるのかもしれない。このように、一枚の絵画も見る人によって受け取る印象、効果は大きく異なることもある。

 シャルダンの《お茶を飲む女》、《羽根を持つ少女》などは、見ているだけで、心が和んでくる思いがする。しかし、ド・ボダんの本書は、140点近い作品を取り上げ、一般に考えられている次元を超えて、セラピーとしてのアートを論じている。大変評判になった書籍である。邦訳がないのは残念だが、関心ある方にはおすすめしたい一冊だ。

 

Alain de Botton John Armstrong, Art as Therapy, London: Phaidon, 2013(HB), 2016(PB).pp.240

 

アラン・ド・ボトンは、スイス人、1969年、チューリッヒ生まれの哲学者、エッセイスト。イギリス、ロンドンに在住。父親は、スイスの投資家で美術収集家のギルバート・ド・ボトン。父親の美術熱がアランの人格に強く影響していることが分かる。邦訳がないのが惜しまれるが、英語PB版で容易に読めるので関心ある方にはお勧めの一冊である。共著者のジョン・アームストロンがは歴史家。
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする