ヘンドリック・テル・ブルッヘン《イレーヌに介抱される聖セバスティアヌス》
Hendrick ter Brugghen, St. Sebastian Tended by Irene, 1625
Canvas, 149 x 119.4cm
Allen Memorial Art Museum, Oberlin College, Oberlin, Ohio
R.T. Muller, Jr. Fund1953 inv.53.256
このブックレットのカヴァーに使われたタイトルとイメージを見て、何を目指した企画であるかを想起される方があれば、素晴らしい。使われている作品は、この小ブログにも何度か記したことがあるオランダ、ユトレヒト出身の画家ヘンドリック・テル・ブルッヘン(Hendrick ter Brugghen)の名品《イレーヌに介抱される聖セバスティアヌス》である。なぜ、この作品がオランダではなく、アメリカにあることの意味を考えるだけで、脳細胞はかなり活発化してくる。
近年、17世紀、オランダ、ユトレヒトに生まれ、ローマでカラヴァッジョなどの作品を対象とした修業・遍歴の年を過ごし、ふたたび故郷ユトレヒトへ戻った画家たち(ユトレヒト・カラヴァジェスティ)への関心が急速に高まった。およそ20年前、1997年から1998年にかけて、アメリカ、サンフランシスコ、ボルティモア、そしてイギリス、ロンドンで、これらの画家たちの作品と生涯に関する大規模な巡回展が開催された。
この表紙に使われている作者と作品は誰でしょう(答えは文末に*)。
ブログ筆者が以前から注目してきた画家、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールもユトレヒトなど北方の都市を訪れたか、あるいはほぼ同世代の画家として、故郷に戻ってきたいわゆるカラヴァジェスティの作品・活動をどこかで見聞することを通して、カラバッジョの画風に接したのではないかという仮説にも関わっている。
里がえりしたユトレヒトの画家たち
昨年暮れから今年3月にかけて、そのユトレヒトの中央美術館で初めて、17世紀30年くらいまでの間に、ローマから帰ってきオランダ・カラヴァジェスティの展覧会が開催されている。今まで実現しなかったのが不思議なくらいだ。17世紀画壇に革新をもたらしたカラヴァッジョに代表される1600-1630年代のローマの光が、オランダ・ユトレヒト出身のカラヴァジェスティによって故郷ユトレヒトへもたらされるというテーマである。この特別展についても、いずれ記してみたい。
ローマでカラヴァッジョを見たオランダ画家たち
17世紀当時のローマは、世界の中心、永遠の都と言われていた。ヨーロッパ各地から多くの画家や画家志望者が押し寄せていた。そこに生まれたひとつの噂はカラヴァッジョというひとりの画家が、画壇に革命をもたらしているというものだった。新しいリアリズムでこれまで見たこともない劇的で迫真的な画風によって、大仰な身振りの人物たちが光の中に描かれている。時には目を背けるほど残酷なシーンもある。ローマへやってきた画家たちは皆それらの作品を自分の目で見たがった。その中にはユトレヒトからやってきたバブレン Dirck van Baburen, テル・ブルッヘン Hendrick ter Brugghen, ファン・ホントホルスト Gerard van Honthorst.の3人もいた。
ヨーロッパでカラヴァッジズムが盛期を迎えていた1600-1630年頃には、ローマにはおよそ2700人近い美術家がいたと推定されているが、実に572人は外国人であった。その中にラ・トゥールの名が見当たらないことも、ブログ筆者が推定してきたこと、すなわち、この画家は別の理由も含めてローマに行くことなく、北方カラヴァジェスティの影響を受けて制作をしていたのではないかとの仮説を側面で支持するかもしれない。
結実したユトレヒトでの企画展
3人のユトレヒト出身の画家は、ローマで修業を終えた後、それぞれ前後して故郷に戻り、制作活動を続けた。そして、ユトレヒト・カラヴァジェスティともいわれる独自の作風を生み出した。今回のユトレヒト展での呼び物は、彼らの作品に加えて、ヴァチカン絵画館が所蔵するカラヴァッジョ(1571-1610)の作品を初めてユトレヒトの中央博物館の企画展のために貸し出したことである。《キリストの埋葬》はヴァチカン博物館所蔵のカラヴァッジョ作品で最も貴重なもののひとつであり、ユトレヒトでも開催日から4週間限定で展示された。かなり特別の配慮といえるだろう。出展作品70点のうち、60点はヴァチカン博物館を含むルーヴル(パリ)、ウフィツィ(フローレンス),、ロンドン国立美術館、ワシントン国立美術館、著名な教会などを含む所蔵者からの貸し出しであった。
ユトレヒト中央博物館
かつて修道院であった建物を改造し、2016年にリニューアルされ、オープン。
このユトレヒトの企画展はユトレヒト・カラヴァジェスティと並んで、ヨーロッパで同様に影響を受けたイタリア、フレミシュ、フランス、スパインなどの画家たち、バルトロメオ・マンフレディ、セッソ・ダ・カラヴァッジョ、ジョバンニ・ガリ、ジョバンニ・セロディネ、オラツィオ・ベルギアーニ、ジュセッペ・デ・リベラ、ニコラ・レグニエ、ニコラ・トゥルニエ、シモン・ヴーエ、ヴァレンタン・ド・ブーローニュなどの作品を含んでいる。
こうした企画展は、国際カラヴァッジョ・ムーヴメントというカラヴァッジョという革新的な異才とその影響を研究する国際的な活動の中から生まれた成果の一つだ。オランダの画家というとフェルメールしか語らない日本人が多いのはなぜと、オランダの友人は尋ねる。そこから離れ、レンブランドを含む17世紀オランダの画家たちの世界に浸ることは、とても楽しく時間を忘れる。作品との対面・対話を繰り返しながら、眺めていると、時は尽きない。今日まで生きていて良かったとの思いが深まってくる。
*ゲラルド・ファン・ホントホルスト
《聖ペテロの否認》部分
Gerard van Honthorst(1592-1650)
Denial of Saint Petro, ca.1620-25
oil on canvas, 110.5 x 144.8cm
The Minneapolis Institut of Arts, The Putnam Dana McMilan Fund.
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