世界的な仕事の機会創出ブーム
The great jobs boom. The Economist May 25th-31st 2019, cover
ここに雑然と描かれた職業は、製造業からITなど最先端ワーカーまで、あらゆる分野の仕事が含まれている。今日、世界で生まれている職種は、実に多種多様で機械で容易に代替できるわけではない。職業は一定方向で淘汰、創生されているわけでもない。人間の頭脳や手足が欠かせない職業は、ディジタル時代といえども数知れない。
元号とは遠い現実
「令和」という新元号は、語感も含意も穏やかで、概して好感をもって受け取られたようだ。しかし、現実が元号を反映する形で展開する保証はどこにもない。あくまでそうあって欲しいという願望が込められたにとどまる。
これまでの記事でも記したように、世界には新たな冷戦の動きが展開しつつある。熱い戦争が勃発する可能性もないとはいえない。戦争とまでは言わずとも、今日の世界はかつてない激変と混迷が満ちている。連日のようにこれまで考えたこともないようなことが起きている。なにが起こるか分からない濃霧の立ち込めたような社会になっている。一世代前には、想像すらしなかった出来事が突如として起こる。
予想外の「仕事の増加」
そのひとつの側面は「仕事の世界」(労働市場)だ。米中対立で株価は低迷し、これまでだったら大不況の到来を思わせかねない環境の中で、先進国の雇用は多くの予想に反して「タナボタ」bonanza* とも言われる活況を呈している。資本主義の衰亡が声高に叫ばれる中で、一体これは何を意味するのだろうか。
確かにアメリカ、日本、さらにBREXITで大混乱のイギリスを含め、EUの主要国では、労働市場の逼迫度を示す失業率(15−64歳層)は記録的な低さを示している。OECD加盟国の3分の2近くがかつてなく低い失業率を享受している。他方、イタリア、スペイン、ギリシャなどの失業率は依然として高い。アフリカ、アジア、中南米などの諸国に目を転じると、良い雇用機会は少なく、他国への出稼ぎが依然として大きな比重を占めている。フィリピンのように、長年にわたり看護師、船員など多くの自国労働者を海外に出稼ぎに送り出しながら、多数のIT技術者を中国などから受け入れざるを得ない国もある。
活発な雇用が支えるトランプ政権
アメリカでも雇用は全般に好調だ。トランプ大統領が、「アメリカ・ファースト」という極端な保守主義を掲げ、今日までなんとか続いているのも、国内の不安を強力な力で押さえ込んでいることによる部分が多分にある。自国民の隠れた自尊心をくすぐるような主張なら、多くの国民は受け入れてしまうのだろうか。
トランプ大統領がこうした自国優先主義を掲げていられる背景の一つは、マスコミでもあまり指摘されていないが、推定するに雇用不安が起きていないことにあるといえるだろう。かつてのように、失業が政治論争や社会不安の種になっていないのだ。実際、最近のアメリカの失業率は約3.6%、この半世紀で最低水準だ。しかし、中国などにITなど先端分野でも、技術的に追い越されるなど、息切れ状態が目立つ。保守的政策の反動が顕在化する日も近いことが予想されている。
かつてないほどの大幅な関税引き上げ、移民・難民に対する物理的壁の建設など、政策の適否は別として一般大衆が分かりやすい対応で、不満を押さえ込んでいる。現実には鉄やコンクリートの国境壁で、不法移民の流れを抑え込める訳ではないのだが、実態を知らない人は信じ込んでしまう。関税障壁を高めれば、アメリカの巨大な国内市場を目指してきた海外の輸出拠点も壁の内側へ移転せざるを得なくなる。輸出先の市場を守ることが必要になるため、「防衛的投資」*2ともいわれる。
混乱・混迷の中の雇用増
政治的対立、混乱は世界の至る所で発生しているが、幸い「仕事の世界」は予想を裏切るほど活気を呈している。OECD加盟国の多くで、画期的ともいえる雇用の増加が起きている。日本は、オリンピック関連需要などによって雇用創出が拡大し、労働力不足が急速に進み、確たる構想がないままに外国人の受け入れを始めてしまった。さすがに世論の反対で取り下げたが、一時は原発処理の分野にまで、外国人労働者を受け入れる予定だった。
日本人が選択しなくなった低熟練労働分野に外国人労働者を充当しようとしているが、現実は劣悪な労働を彼らに押しつけることで新たな下層労働を作り出している。
遠い魅力ある国の創出
他方、AI社会の到来を目前にして、世界の主流へ対応できる高度な労働者は思ったほど増えていない。この分野ではアメリカが圧倒的な地位を占めている。AI社会への対応も手遅れで、こちらも高度な技能を持つ人材の不足が著しい。高等教育の立ち遅れで、他の先進国と比較して、AI社会に向けての人材が不足している。しかし、ここには優れた外国人は期待するほど来てくれない。大学、研究機関、企業など受け入れ環境がそうした人たちを誘引できるほどの魅力を持っていない。
技術変化=雇用減ではない
1980 年代には「ME (マイクロエレクトロニクス)革命」といわれた時代があった。労働力の質量の双方に関わる議論があったが、日本についてみると、そうした急速な技術進歩で労働力の数や質が大きく変化するようなことにはならなかった
現在進行しつつあるディジタル革命、第四次産業革命などの名で呼ばれている大きな変化でも、当時と類似した議論も行われている。ただ、今回の場合は省力化効果がきわめて広範に渡ることが予想され、自分の仕事自体が消滅してしまう可能性は極めて高い。しかし、ディジタル化が進んでもかなりの間は、新技術の進展を推進する人材は、一層必要とされるだろう。他方、複雑化する社会にはかなり高度な技術を持っても代替できない、心のこもった人間の手足や頭脳で対応することが求められる仕事は一定限度残る。看護・介護などの仕事は、ロボットが一部は代替しうるとしてもおのずと限度がある。
全体の労働力については、この高度な専門的熟練と低次の熟練の双方向へ分極化する傾向が予想しうるが、その展開の速度は人間の予測力を超え、容易にはコントロールできない。恐らく最も大きな影響を受けるのは、現在「中間的技能」分野ともいうべき、広範な技能を包含する労働者の層である。職場も製造業の工場からサービス業までありとあらゆる職種に及び、多様な形態をとって機械、ITによる代替が進むだろう。仕事の盛衰の実態は、格段に激しい様相を呈するだろう。今日あった仕事が明日はないという状況は、見慣れた光景になってゆくだろう。次の世代の直面する「仕事の世界」は、「楽園」とは程遠く、絶え間ない仕事の盛衰が支配するだろう。激動する世界を見通す「知の力」を身につけることはたやすいことではない。スマホを捨てる必要はないが、その「小さな世界」から離れ、近未来に何が起こりそうか、熟考すべき問題はきわめて多く多様だ。多くの職業は、チェスや囲碁・将棋の高段者が、スーパーコンピューターに支えられたロボットに敗北するように、瞬時に機械に代替・淘汰されるわけではない。仕事の生成・淘汰のプロセスはきわめて複雑で、かなりの時間も要する。AIの時代が多くの人々に、認識されるまでには長い時間が必要だ。
ブログ記事文頭に掲げたテーマ・カヴァーは、ヒエロニムスの《地上の楽園》(下掲、詳細はクリック)の現代版のように見えるが、現実は厳しい世界だ。と言っても、AI技術などの新技術が、人間の仕事を奪い、蹂躙するような《地獄図》とも思えない。「仕事の未来」は、未だ濃霧に包まれている部分が多い。いかなる仕事が将来を主導するか、不分明だ。「就活」は人生において大事な活動だが、それに失敗したとしても、挽回の機会は次々と現れる。重要なことは常に時代の赴く方向を考え、人生で何度か現れるチャンスを逃さないことだろう。
ヒエロニムス《地上の楽園》
* The great jobs boom. The Economist May 25th-31st 2019
*2 日本労働協会編『海外投資と雇用』1984年