時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

『老人と海』を読み直すが・・・・・。

2019年12月19日 | 午後のティールーム


大学共通テストのあり方が教育界に大きな混乱、混迷を引き起こしている。とりわけ英語教育のあり方、評価については、日本は戦後だけでも長い試行錯誤、検討の期間を過ごしているだけに、今回の対応はあまりに拙劣、無責任な思いがする。

英語自習時代を振り返る
ブログ筆者は戦後の英語教育実質ゼロのスタートライン時代から今日まで長年にわたり、研究、教育を含むさまざまな局面で英語と対峙してきた。 当初は英語教材も今のようにヴァラエティに富んだものはなく、せいぜい英会話学校の教材やNHKラジオ講座のテキスト程度(平川唯一「カム・カム・エブリボディ」)だった。その後、英日対訳のテキストなども増加してきた。しかし、かなり長い間、hearing,speakingのためのオーラル教材は少なく、読み書き中心で、学習のスタイルも自習が多かった。読み、書き、話す、聴くの全てに対応できる教師も少なかった。その後、奨学金を得てアメリカの大学院への留学に至る過程で、かなり多くの英語教材と対面した。今とは違って、学部生の留学はきわめて少なかった。ライシャワー大使夫妻が、激励のために渡米前の学生をティータイムに招待してくれた時代だった。1ドル=360円の固定レートの時代でもあった。

ヘミングウエイとの出会い
専門は全く異なるのだが、英語力を高めるための教材は文学作品が多かった。その中で印象に残る作品のひとつにヘミングウエイの『老人と海』があった。簡潔だが力強い表現で、しっかりと主題を伝えていて、愛読書のひとつとなった。今はかなり忘れてしまったが、冒頭の部分はたどたどしいがなんとか覚えている。他に覚えているのは、オスカー・ワイルド『幸福な王子の冒頭部ぐらいになってしまった。

ちなみに、『老人と海』の、冒頭部分を掲載しておこう:

He was an old man who fished alone in a skiff in the Gulf Stream and he had gone eighty-four days now without taking a fish. In the first forty days a boy had been with him. But after forty days without a fish the boy’s parents had told him that the old man was now definitely and finally salao, which is the worst form of unlucky, and the boy had gone at their orders in another boat which caught three good fish the first week. It made the boy sad to see the old man come in each day with his skiff empty and he always went down to help him carry either the coiled lines or the gaff and harpoon and the sail that was furled around the mast. The sail was patched with flour sacks and, furled, it looked like the flag of permanent defeat. 
(Earnest Miller Hemingway, The Old Man and the Sea, 1952)

このたび、新聞でヘミングウエイErnest Miller Hemingway(1899年 - 1961 年)の短編を素材に英文法を学ぶという受験参考書の刊行を見て、書店で手にしてみた。昔、読んだ英文法の参考書は、例文は文法の説明のたために作ったような味気ないものが多かったので、タイトルにつられ、手にした感もあるが、読み始めてみると従来の参考書とは一線を画す工夫がなされており、興味深く読んだ。受験生にも好評であったようで、続編が刊行され、『老人と海』も最終章だけではあるが、取り上げられていたのでこれも読んでみた。表題の目指す「英文法を学ぶ」というよりは、ヘミングウエイの短編のさわりを英文法の手助けで読み直す感じとなった。

倉林秀男・河田英介『ヘミングウエイで学ぶ英文法 1』アスク出版、2019年
倉林秀男・今村楯夫『ヘミングウエイで学ぶ英文法2』アスク出版、2019年

大学院時代の友人に英文学を専門とするアメリカ人(ポモナ・カレッジ教授)や、スペイン語を話すプエルトリコ出身のヴェテラン大学院生(帰還兵への優遇措置による)などがいたこともあって、この作家のカリブ海を舞台とした晩年の小説はかなり話題になった。ブログ筆者は、ヘミングウエイの『老人と海』を1952年に出版したチャールズ・スクリブナー書店のファンだったこともあり、一時はかなりのめり込んだ。スペンサー・トレイシー主演の映画も観たが、あまり印象に残っていない。

マノリンは少年か若者か
『老人と海』は主要な登場人物は老人とマノリンという少年だけという組み立てだが、その組み合わせが絶妙に感じられた。上掲の文法書の著者は、boyという英語を「少年」と訳することに異論をとなえ「若者」としている。ブログ筆者にはやや違和感が残る。「少年」より「若者」の方が、日本語の語感では adult な感じを受けるが、これは日本語の語感の問題のように思われる。老人とマノリンの関係を見ると、マノリンはいわば舞台回しの役割を負っている。言い換えると、この小説には欠かせない人物である。老人に私淑し、親の意思にも反して、老いた漁師を手助けし、弟子のような役割を果たしている。この関係をもし制度化すれば親方漁師と徒弟のような関係にあたる。

アメリカでは徒弟制度は広く形成されなかったが、伝統的な仕事の世界には慣行として受け継がれていた。徒弟がほぼ一人前の大人と認められるのは、徒弟修業を終えて職人としてひとり立ちができる段階に達してからであった。老人とマノリン少年の関係は、伝統的技能の習得の本質も体現していた。少年は老漁師を助けながら、老人の人生観や仕事のやり方を学んでいた。通い徒弟のような日常を過ごしていた。マノリン「22歳」説もあるようだが、ブログ筆者にはあまりしっくりこない。

ヨーロッパ社会における徒弟は親方の家に住み込み、仕事の手伝い、親方の身の回りの仕事などをしながら、熟練を体得していた。文字通り徒弟の仕事だった。彼らは職業などで異なるが、大体12-13歳から17-18歳くらいまで徒弟としての生活を過ごした。徒弟の費用は通常、親が負担した。親としては息子の将来を考え、最もふさわしいと思う親方を選ぶのが普通だった。マノリンの父親も、最も漁獲が多い、練達した漁師のボートに乗れるよう考えていたようだ。老漁師は運に見放されたのか、かなり長い間漁獲に恵まれなかった(上掲引用部分 salao)。マノリンはどこに惹かれたのか、老漁師の身の回りの世話をし、会話を楽しんでいた。マノリンは未だ大人として成人の段階に到達していない、純粋さが残る少年のイメージが浮かぶ。


ヘミングウエイ と子供たち(バンビ・パトリック・グレゴリー)
ビミニでの釣り旅行の記念写真(1935年撮影)
(倉林・今村著付録葉書)

原文と翻訳の間には、いかに優れた翻訳といえども伝達しきれない微妙なものがある。作品中の人物を全て現実に実在したモデルと重ね合わせるという研究者の努力には敬意を抱くが、フィクションと現実の距離にも注目しておきたい。

英語や英文学に関心を寄せる人には、上掲の本は受験参考書というイメージを離れて、読み物としても楽しめる好著といえる。願わくは、『老人と海』の全文を取り上げてもらえたらと思った。

コメント
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