時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

​写真を上回る絵画の力:L.S.ラウリーの世界

2020年08月09日 | L.S. ラウリーの作品とその時代



l.S.ラウリー《早朝》 1954
L.S.Lowry, Early Morning, 1954


このブログで話題としてきた画家のひとり、20世紀イギリスの画家L.S.ラウリー(L.S. Lowry, 1887~1976)の評価が急速に高まってきた。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールについてもそうだが、日本でも認知度はかなり上がったと思われ、かなり以前からこれらの画家に魅せられてきたブログ筆者としては大変嬉しい。このふたりの画家の作品は、専門書の表紙に使われることが多い。美術書ではない分野の書籍の表紙に使われることは、作品の社会における浸透度を計るバロメータかもしれない。L.S.ラウリーの作品を表紙に使った例はこのブログで以前にも紹介したことがある。

20世紀中頃のイギリス北部の産業革命発祥の地を描き続けた画家L.S.ラウリーはの知名度は、イギリスでも当初はきわめて低かった。中央画壇の地位を誇るロンドンの美術館や画商たちは概してこの画家を、北部マンチェスターの地方画家としか認めていなかった。しかし、長らく忘れられていたり、注目されなかった画家や作品がなにかのきっかけで急に発見されたり、評価が改まることはしばしばある。

テートも認める
L.S.ラウリーの評価が高まった要因のひとつは、2013年6月から10月にかけて、ロンドンのテート・ブリテンで開催された企画展だった。この時期、デートの誇る作品の多くが内外の美術館に貸し出されていて、運が良かったこともあった。いずれにせよ、この企画展を機にL.S.ラウリーへの注目度は次第に高まり、イギリス全土、そして海を越えてアメリカへも及んだ。過去100年近く、イギリスの美術でアメリカ人にアッピールした画家は数少なかった。フランス画家ピエール・ボナール Pierre Bonnard(1867–1947)の影響を受けたウォルター・シッカート Walter Sickert (1860–1942)などは、その少ないうちのひとりだろう。

筆者にとっては、このユニークな画家の作品に触れた契機となったのは、1984年北部サンダーランドでの日産自動車工場の建設当時、イギリス人研究者との現地調査を行ったことだった。現地でのインタヴューなどの合間にマンチェスターなどを訪れた時だった。ダーラムの大学に勤めていた友人の家には、この画家のコピーが掛かっていた。

L.S.ラウリーはマンチェスター西部ストレッドフォードに生まれ、生涯をその地域で過ごした。産業革命発祥の地の光景を一貫して描いたイギリスでほとんど唯一の画家であった。ラウリーは他の画家たちが制作の対象とは考えなかった煤煙に汚れた工業地帯、煙突の乱立する風景、混雑する工場街、そこに暮らす人々の日常、喜怒哀楽などを独特な画風で直截に描いた。特に1920年代、1930年代の光景は暗く、陰鬱な感じを受ける。しかし、見慣れてくると、この画家がいかに故郷、そしてその地で働く人々の生活を愛し、重視していたかがわかる。

産業地域の記録者
L.S. ラウリーは煙突からのばい煙などで汚れた工場地帯を描いたばかりでなく、そこに住む人々のあらゆる場面を画題にとりあげ、工業地域の記録者のような存在となっていた。この画家の作品、当初は稚拙な作品と受け取られる方もおられるかもしれない。しかし、見慣れてくると、写真では捉えがたい地域の人々の日常の陰影が次第に伝わってくる。時代を超えて生き残る稀有な画家のひとりであることはほぼ確かなことだろう。The Economist誌の最近の表紙( UK edition) では、逆にL.S.ラウリーの作品に発想の源を得て、コロナ問題に揺れる現代イギリスをイメージしようとする試みがなされている。イギリス国内で発展が遅れ、忘れられてきた地域の振興政策を扱う特集テーマだ。大変興味深いが、現代産業社会をL.S.ラウリーのレヴェルでイメージし、描くことは至難なようだ。この画家の作品をある程度見慣れないと、テーマのイメージが湧かないかもしれない。




画家の生涯で1945年まで3度の個展開催の機会はあったが、おおきな注目を集めるには至らなかった。しかし、その過程で1955年にロイヤル・アカデミーの準会員、そしてその後会員に選ばれたことを、画家は大きな光栄と思っていた。晩年は仕事も収入も多くなり、恵まれた生活であったが、生涯独身、外国にも旅することなく、地元のマンチェスター近傍の工業都市を描き続けた。L.S.ラウリーが残した多くの作品を改めて見ると、資本主義が生まれた地の原風景が、写真よりもはるかに深い印象をもって今に伝えてくる。


専門書表紙に使われたL.S.ラウリーの作品《早朝》Early Morning, 1954,details

Tim Rogan, The Moral Economists: R.H. Tawney, Karl Polanyi, E.P.Thompson, and the Critique of Capitalism, Princeton: Princeton University Press, 2007








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