L.S. ラウリー 《アンの肖像》
L.S. Lowry, Portrait of Ann 1957, oil on board, 35.5 x 30.5cm, The Lowry Collection, Salford
L.S.ラウリーは、アンという女性の肖像を多く残している。画家をよく知る人たちは、描かれた女性アンが実在したことをほぼ疑わないが、それが誰であったかははっきりしていない。アンの様式化された容姿は、明らかに抽象的で理想化されている。実際のところ、ラウリーの心の内はよく分からないところがある。ラファエル前派(後段NB参照)のような画面の華やかさは感じられないが、ラウリーが傾倒したロセッティの女性像への彼なりの回答なのかもしれない。実際、ラウリーが収集したラファエル前派の作品は、ロセッティを主とする画家の手になる女性像が多かった。
しかし、ラウリーは収集家である Monty Bloomに次のように語っていた。「ロセッティの描いた女性は、本当(real)の女性ではない。彼女たちは夢の産物だ。彼は多分妻の死によって頭の中に生まれた何かを絵にしただけだ。」(Rosenthal 2010, p.261)。
それにしても、華麗な作風のラファエル前派の作品と、ラウリーの画風は一見結びつき難いように思えるが、ラウリーにとっては「印象派」と並び、「ラファエル前派」が時代を革新する先駆者であるとの思いが強かったのだろう。その一つの代表例が、ラウリーの作品にたびたび描かれている謎めいたアン Ann という女性の描き方であった。ここに掲げたのは、アンを描いたラウリーの作品からの一枚である(上掲)。
画家の複雑な心理
L.S.ラウリーという画家は、作品を数点を見ただけでは、この画家の全容はよく分からないところがある。作品の数も多い上に、画家の関心もきわめて多岐にわたっているからだ。しかし、次々と作品を見ているうちに、いつとはなく引き込まれ、フリークになっていく。
ラウリーの話をイギリス人に話題にすると、自分の家にもプリントが掛かっているよと応じてくれる人は多い。それだけ、家庭にも浸透して国民との距離が近く親しみやすい画家なのだ。
印象派とラファエル前派への強い関心
ラウリーは、ともすると印象派についての理解、習得が浅いのではと批判されることもあったが、その点は前回記したように大きな誤解であることが判明した。さらに、19世紀中頃に勃興したラファエル前派*にも多大な関心を抱いていた。なかでもダンテ・ガブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti, 1828-1882)の作品に深く傾倒していたようだ。そして、生涯の後半から1970年代までは同派の作品を余裕がある限り、熱心に購入、収集していた。最も多く作品を保蔵していた頃は、ロセッティの作品だけで17点もあったといわれる。「印象派」と並び「ラファエル前派」が果たした時代における創造性、革新性に気づいていたのだろう。
ラウリーは、同派の作品、とりわけロセッティ作品を「夜寝る前に」そして「朝目覚めた時に第一番に目にしたい」と言い、自分の寝室に掲げていたらしい。昼間は不動産会社の集金人として働き、夜だけの画業しかできず、晩年まで決して裕福とはいえなかった。しかし、贅沢な生活をすることもなく、自宅には後年、画家の死後、ラウリー自身の作品と彼が所蔵していたラファエル前派の作品を併せ展示する特別展*が開催されるほどになっていた。
*『ラウリーとラファエル前派』LOWRY & THE PRE-RAPHAELITES: MAJOR EXHIBITION SET TO CELEBRATE LS LOWRY’S LOVE OF 19TH CENTURY ARTIST MOVEMENT
3 September 2018〜24 February 2019.
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N.B.
ラファエル前派(ラファエル前派、Pre-Raphaelite Brotherhood)は、1848年のイギリスにおいて3人の画家、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレイ(英語読みではミレース)を中心に、数人の画家を加え結成されたグループ。「ラファエル前派兄弟(同盟)団(Pre-Raphaelite Brotherhood)」という名前は、彼らがラファエロ(1483-1520)以前の初期ルネサンスやフランドル芸術を規範としたことに由来している。
ラファエル前派によると、彼らは初期ルネサンスやフランドル絵画に見られる豊かな色彩と精密な自然描写に理想を見出す一方で、アカデミーの規範となっているラファエル以降の16、17世紀のルネサンスおよびそれ以降の芸術を、構図、色彩など表現方法が全てにおいて規制された抑圧的で不十分なものと考えた。ラファエル前派は、ルネサンス以降のアカデミーの伝統を拒否したため厳しい非難を浴びたが、ラスキンのように擁護者もいた。彼らはラファエルの画法がアカデミックな美術の教え方に悪影響を与えたという考えの持ち主だった。彼らが自らの考えに「ラファエル前派」という旗印を掲げたのはこのためだった。
次第に彼らは社会に受け入れられるようになったが、グループ自体は長続きしなかった。それにもかかわらず、ラファエル前派がその後の世界に与えた影響は計り知れず、特に絵画においては象徴主義の最初の一派として評価されている。19世紀後半の西洋美術において、印象派とならぶ一大運動であった。
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ラウリーとラファエル前派
ラウリーはラファエル前派の画家たちの作品を積極的に収集していた。購入先は主にニューカッスルのストーン・ギャラリー Stone Gallery が多かった。彼はしばしば訪れ、その地のロセッティ協会の会長でもあった。
ラウリーのごひいきの作品をひとつ:
ダンテ・ガヴリエル・ロセッティ
《東屋のある牧草地で》油彩、カンヴァス, 1872年
マンチェスター市立美術館
Dante Gabriel Rossetti, The Bower Meadow
1850–1872s,oil on canvas,
86.3 x 68 cm
Art Renewal Center
Public Domain
ラファエル前派というと、下掲の作品を思い浮かべる方もおられるかも:
ダンテ・ガヴリエル・ロセッティ
《プロセルビナ》
Tate London 2014
「ラファエル前派展」2014年
REFERENCE
T.G.ROSENTHAL, L.S.LOWRY: THE ART AND THE ARTIST, Unicorn Press, 2010