Le Nain, L’enfant Jesus blond méditant devant une croix, 1642-43
(c) Courtesy of Rouillacs, The Art News Paper
ル・ナン兄弟《十字架を前に祈る幼きイエス》1642-43
長い白衣をまとった幼い子供が胸に手をあてて祈っている。頭上には光輪が描かれている。キリスト教についての知識があれば、ほぼ直ちに幼いイエスではないかと分かる。足下には大きな十字架が横たえられており、近くには小さな十字架も見える。あたりは薄暗く不穏な気配が漂っている。幼いイエスは自らの将来に待ち受ける運命を予知しているのだろうか、何事かを瞑想している。重く陰鬱な感じが観る人に伝わってくる。
この作品、フランスの70歳近い女性の家に所蔵されており、最近17世紀のオールド・マスター、ル・ナン兄弟の手になるものと判明した。1950年代に祖母から贈られたとのこと。この女性自身も晩年に差しかかり、資産の一部を処分しようとして作品を鑑定に出した。鑑定者は直ちにル・ナン兄弟の作品と推定し、確認のためルーヴル美術館所蔵の作品などとも、比較考察したという。その結果、ル・ナン兄弟の作品として本年6月、ニューヨークのクリスティで競売にかけられた。落札者などの詳細は不明だが、落札価格は300万ユーロから500万ユーロと推定されている。作品は現在、修復作業中であり、いずれ公開されるようだ。
《十字架を前に祈る幼きイエス》と題され、ル・ナン兄弟の手になるものと推定されている。胸に手を当て何事かを瞑想するイエスの前には、恐らくその後のキリスト磔刑の最終決定をした古代ユダヤの総督ピラトが使ったと思われる酒杯と手を洗ったタオルが置かれている。
ル・ナン兄弟 、日本では農民の家族などを描いた一部の風俗画ジャンルを別にすると、あまり知られていない。17世紀フランス、パリで活躍した3人兄弟の画家である。同時代のジョルジュ・ド・ラ・トゥールと並び、ブログ筆者ごひいきの画家たちである。ラ・トゥール同様、長らく忘れ去られていた”リアリズム”の画家のグループに入る。近年、新たな作品発見もあり、研究も進んでいる*。
筆者は、農民、鍛冶屋など、働く者たちを描いた世俗画で知られるル・ナン兄弟について、ラ・トゥールと同じ時期に格別な関心を抱き、機会があれば、できうる限り作品を見てきた。気づいてみると、半世紀近い長い付き合いとなった。
ルナン兄弟はパリに工房を構え、しばしば共同で制作活動に当たっていたようだ。そのため、署名もLe Nain として姓だけを記した作品がほとんどで、兄弟の誰が主として制作したのかは不明なことが多い。
この作品、概略を見ただけでは詳細な論及はできないが、一見してラ・トゥールの《大工聖ヨセフ》を類推させる。しかし、作品についての思索の深さ、洗練の程度においては、ラ・トゥールに一日の長がある。ラ・トゥールはが画題に必要最小限なものしか描かなかったが、ル・ナン兄弟の作品はより細部に立ち入って制作している。ル・ナン兄弟が工房を置いたパリとラ・トゥールの主たる活動地域であったロレーヌは近接していることもあり、お互いにその存在、活動は熟知していたと思われる。
* C. D. DICKERSON III AND ESTHER BELL, THE BOROTHERS LE NAIN: PAINTERS OF SEVENTEENTH-CENTURY FRANCE, New Haven and London:Yale University Press, 2016. KIMBELL ART MUSEUM, FORT WORTH, TEXAS, FINE ARTS MUSEUMS OF SAN FRANCISCO.