W.G.ゼーバルト(鈴木仁子訳)『移民たち:四つの長い物語』(白水社、2005年) W.G.Sebald.Die Ausgewanderten: vier lange Erzahlungen,Frankfurt am Main, Eichborn AG. 1992.
ゼーバルトとの出会い
ゼーハルトという作家の名前は、『アウステルリッツ』という特別な響きを持った表題の作品を読んで以来、頭のどこか片隅にいつもあった。この重い印象を残す、それでいて素晴らしい作品は、読んでいる間不思議な力で私をとらえてはなさなかった。今回、『移民たち:四つの長い物語』に接して、なにか遠い霧の中から昔の記憶が急速によみがえってきたような気がした。
作品は4人の移民の現在と過去をめぐる話から構成されているが、ストーリーのどこまでが真実で、どこが虚構なのかも分からない。ある部分はきわめて鮮明に描かれていたり、別の部分はあいまいな霧の中に隠されている。全編が語り手と聞き手の対話のような体裁をとって進行する。語り手の方は多少なりとも世の中では変人の部類であり、世俗の世界から距離を置いているようなところがある。そして、読み進めるうちに誰が話し手で、誰が聞き手であるかが混沌としてくる。
不思議な二人の人物
この両者の関係を考えていると、図らずもこのブログでも取り上げたトルコの現代作家オルハン・パムクの作品を思い浮かべてしまった。あの主人公と作者の分身ともいえる二人の人物の関係、霧の中に存在するようなイスタンブールのイメージ、そしてこのゼーバルトの『移民たち』に掲載されている多数の写真も、『イスタンブール』のそれと同様にすべてモノクロなのだ(『アウステルリッツ』に挿入されている写真も同じである)。本文といかなる関係があるのかも、分からない。実際、ほとんどなんのかかわりもないとさえ思えるのだ。なにしろ、金閣寺の写真まで出てくるのだから。といって、少し読み進めると、そこに挿入されているのも、ふさわしいかなと思わせる不思議な存在である。
移民の物語というと、ともすると旧大陸ヨーロッパから新大陸アメリカへの移民の話かと先読みをしてしまうが、そうばかりではない。大陸からイギリスなどへの移民の話が主となっている。
雲の低く垂れ込めたノリッジへの旅
『移民たち』に登場する4人の人物、医師、教師、大叔父、画家の人生は、過去と現在を行きつ戻りつして描かれている。読み進めるうちに、自分のたどった人生と重なる部分も見えてくるような気すらする。
本書に登場する最初の人物である医師ドクター・ヘンリー・セルウィンを尋ねた聞き手は、1970年9月にイギリス、イースト・アングリアの町ノリッジへの赴任を間近に、ヒンガムまで足をのばした。実はまったくの個人的経験であり、偶然なのだが、私も1995年の秋にこの地を訪れたことがあった。若い友人二人とケンブリッジから車を運転して行った。今でもはっきりと覚えているが、地平線の彼方まで重い雲が垂れ込めたような、日の光をまったく感じさせないような日であった。
事実と虚構の間
このセルウィン氏は、20世紀初頭に、リトアニアからイギリスへと移住してきたユダヤ人であった。彼は、医師であるとともに登山家でもあった。そして、最後は自分の猟銃で自殺する。
この章は、セルウィン氏の友人でもあり、1914年の夏以来、行方を絶っていたベルンの山岳ガイド、ヨハネス・ネーゲリの遺骸が72年の時を経て、オーバーアール氷河の氷上で発見されたという新聞記事で終わる。しかし、ここに挿入された新聞記事の写真が、事実か虚構かはよく分からない。こうして、過去は思わぬ形をとって今によみがえって来る。
ゼーハルトはノーベル文学賞をいずれ授与されるだろうといわれていたらしい(この点は、図らずもオルハン・パムクと似ているところがある)。しかし、住んでいたノリッジの近くで、自動車運転中に事故死する。薄暗く低く立ち込めた雲と地上との間に挟みこまれたようなイーストアングリア、ノリッジへの自動車の旅を思い出した。
自ら選んだ道なのだろうか
3番目のアンブロース・アーデルヴァルト叔父の話の部分では、ニューヨークのデパート「サックス」で困っている日本人を助けた話まで出てくる。そして、大叔父が晩年を過ごしたニューヨーク州のイサカを尋ねる旅もある。叔父は自らの意思で、この地の精神療養所で晩年を過ごした。
聞き手でもある語り手は、ヨーロッパからはるばるこの地を訪ねる。大叔父はここの精神病院(サナトリウム)でファーンストック教授という過去のある医師の下で、電気ショック療法を受け、思考の能力、想起の能力を根こそぎ、二度と戻らぬまでに消したがっていたという。
私事にわたるが、このイサカの地は図らずも私が若い頃のひと時を過ごした場所でもあった。しかし、そこにサナトリウムがあったとの話はついぞ聞いたことがなかった。先住民や移民の故郷につながる珍しい地名が多い。本書の追憶にも、オウィーゴ、ホークアイ、アディロンダックなど、なつかしい地名が各所に出てくる。なにか、遠い過去への旅をしているような思いがした。イサカ滝(正しくはトガノック・フォールズ)の轟音まで聞こえてくる。事実、この滝はアメリカの東部で最も落差があることで知られている。そして、イタカという語源となったあのギリシャの地への旅まで出てくるにいたっては、どこまでが真実なのかとさえ思ってしまう。
そして、この大叔父アンブロースの章は、彼がアメリカへ渡る前、エレサレムへの旅から帰っての備忘録で終わっている:
「記憶とは鈍磨の一種だろうかとたびたび思う。記憶をたどれば、頭は重く、目は眩むのだ」(157)
そして、ついにコンスタンチンノープルまで登場するにいたって、言葉を失った。パムクとの通奏低音のようなものが聞こえてきた。20世紀中ごろ、人類の歴史におけるあの暗い記憶が、作品を通して流れてもいる。移民は単に母国と目指す国という地理的関係ばかりでなく、過去と現在という次元を行きつ戻りつする存在なのだ。 ゼーハルトは、読者の記憶のどこかに必ずとどまっているのだ。
イースト・アングリアの町イプシイッチ出身の男が近くで働いており、やっとあの周りを知っている人に出会えたと喜んでいました。中小の町の記憶は、どこかそこの住人の生活感にも触れるようです。
つまらない景色でも、記憶と同じ様な光景が語られると時系軸を行き来できるだけでなくて、読者にも空を越えることを要求するのでしょうか。そのためにも四つの長い物語が必要だったのでしょう。
作者は故郷アルゴイのオーバースドルフを去ったとありますので、そこの風土とノリッジの地を考えると、また感慨も一入です。フライブルク大学訪問といい、作者のウェットな気質が感じられます。
天候の影響もありましたが、ノリッジの町並みは灰色でほとんど動かない光景として、記憶に残っています。作者はなぜドイツを離れ、ここに移り住んだのか、もうひとつの問いが生まれます。しかし、この小説の巻頭に置くには、最も適した舞台だったのでしょう。彼がノリッジ近郊で、不慮の自動車事故で他界したというのも、人生を先読みしていたような不思議な感じさえ受けます。
ご指摘の通り、ひとつの物語でなく、四つの物語に仕立てたのも絶妙なバランスだと思いました。