Earnest Hemingway, Islands in the Stream, cover
最近若い高校生から、比較的読みやすい英語のリーディングスのことを聞かれて、少し頭をめぐらしたことがあった。内容が子供向けではなく、大人になっても印象が残るような本をリストとして教えて欲しいとの難しいご依頼だ。冊数としては20-30冊ぐらいとのご希望だった。長い人生を過ごしてきて、相当の書籍と対面してきた筆者にとっても、かなり難しい要望だ。
『老人と海』を選ぶまで
筆者は英語や文学の専門家ではない。しばらく考える時間をもらった挙句、ヘミングエイの『老人と海』The Old Man and the Sea, 1951 を含む第一次リストを作った。リスト自体については作業途上で、語るべきことは多々あるのだが、今回はこのヘミングウエイの作品を取り上げてみた。その中でもあまり読まれることのない作品『海流のなかの島々』Islands in the Sea, 1977である。ヘミングウエイ ・マニアの間でも、あまり読まれることがないようだ。ひとつには、作者の没後に発見された遺稿が、多分作家の十分な検討なく刊行されたためかもしれない。ちなみにこの作品はリストに入れない。
『老人と海』は文体がシンプルで、しかもそれ自体大作ではないので、比較的容易に読めると思ったからであった。話の梗概も比較的知られている上に、なにしろ、ノーベル文学賞の対象に擬せられた。筆者は映画(スペンサー・トレイシー主演)も見ていて、うろ覚えながらいくつかのシーンが眼底に残っている。一時はヘミングウエイの作品には、かなりのめり込み、主要なものはあらかた読んでいた。しかし、今回改めて知らないことが、きわめて多いことに気づき、驚くとともに新たな知識を求める意欲が出てきた。
アーネスト・ヘミングウエイという世界に冠たる大作家は、若い頃からかなり好きではあるが、最も好きな作家というわけでは必ずしもない。しかし、半世紀ほど前になるが、ジャマイカ、プエルト・リコなどの地域の政治経済調査をする時に、文学好きでカリブ海プエルト・リコ出身のアメリカ人の友人ラモン・Q から、スペイン語の手ほどきを受けたことがあった。その時にヘミングウエイのいくつかの作品を読んだ。この作家は言うまでもなく英語で作品を書いているが、短いスペイン語がかなり出てくる。
余計なことだが、ラモンはとびきりの美男子で一緒に街を歩くと、女性が声をかけるほどだった。ラテン系文化の一端を感じた。残念なことに、その後筆者がアメリカでの研究生活に追われている間に音信普通になってしまった。とても残念に思った。若い頃は空軍中尉として日本に滞在した経験もあった。ヘミングウエイは、V1号戦闘機部隊で実戦訓練をしたことを、回想録に記している。彼は「空」のみならず「海」と「陸」に関わる壮大な作品構想を強く抱いでいたようだ。本書『海流のなかの島々』は言うまでもなく「海」が舞台となっている。1940年頃、英独が戦争状態にあった時代、かつてパリで活躍してしていた芸術家がとその家族をめぐるストーリーである。主人公は2度結婚したが、別れてしまい、三人の男子が残された。本書には彼ら全てが登場する。再言するまでもないが、カリブ海の描写は素晴らしい。
壮大なガルフ・ストリーム
さまざまな縁で、ブログ筆者も『老人と海』や『海流のなかの島々』Islands in the Stream を読んだ時、壮大なガルフ・ストリーム(メキシコ湾流)と、そこに散在する島々には格別の思いを抱いてきた。日本で想像するイメージとはかなり異なる激しい様相を呈する海と気象状況がそこにはある。『海流の中の島々』のタイトルが、ヘミングウエイの人生で、いかなるものを暗示しているか。謎ではあるが、なんとなく思い当たるような気がする。しかし、この作品は、構成からして他の作品とは異なっているように感じた。作品としての緊迫度が少し弱い。作家自らが最終的検討に専念する時間が足りなかったのかもしれない
『海流のなかの島々」
ヘミングウエイの作品は、テーマは鮮明で作家の意図はよく理解できた。しかし『海流の中の島々』 という作品は長い間、心の中でなんとなく落ち着かずにいた。フロリダからキューバにかけてのガルフ湾流が流れる地域は、日本から遠く離れた地域であるにも関わらず、不思議と近くに感じていた。作家はハバナ郊外の邸宅で主たる活動を行ったようだ。
この作家の作品には、ほとんど戦争や内乱がプロットとなっている。『海流のなかの島々』でも、彼自身が1942年から43年にかけて、愛するボート『ピラー』号を改装してQボート、つまり囮船にし、キューバ沿岸に出没するUボートの狼群のパトロールに従事させている。作品では主人公がキューバの警備隊との戦闘で、息子を失い、主人公も銃弾に倒れる。なんとなく、ヘミングウエイ 自身の最後の時を暗示するような作品だ。
後年ふとしたことから、この作品が作家が自決する悲劇の10年ほど前、それもほぼ1951年に書かれた作家のいわば最後の遺作であり、しかも作家の生前、唯一刊行されていなかったことを知った。さらに『海流のなかの島々』の一部に当初『老人と海』が構想されていたことも知った。
スクリブナーとの関係
ヘミングウエイはノーベル文学賞授与の対象となった『老人と海』(1954年)を取り除き、残りの部分を第I部「ビミニ」”Bimini”, 第II部「キューバ」”Cuba”, そして第III部「洋上」”At Sea”からなる構成で、現在公刊されている『海流のなかの島々』Islands in the Stream とすることをイメージしていた様だ。このことは、作家の2番目の妻メアリーが、作家の没後、発見された遺稿について、チャールズ・スクリブナー・ジュニアと話し合い、作家の残したと思われる意図を尊重し、そのままに1970年に刊行したという。
小説『海流のなかの島々』自体は、20年近く前に読んだが、この作家の他の小説の方が、構成力という点でもしっかりしていると思った。しかし、もう一度読みたいとの思いが常に残っていた。作家は「陸」「空」「海」の3次元に関わる作品の構想を抱いていたが、アフリカやスペイン、パリなどを描いた小説に比して、「陸」に関わる『河を渡って木立の中へ』(1950年)は批評家の間で、不評であった。
こうしたこともあって、作家は「海」の次元での作品として、「老人と海」を含む「海」を舞台とする大作を構想していたらしい。いかなる理由からか、作家はそこから『老人と海」だけを取り出して作品化し、生前に刊行した。なぜ、作家がそうしたのか、「海」全体としていかなる構想を持っていたのかは、今となっては全く分からない。『老人と海』はこの作家にとって、「海」に関わる作品シリーズのいわば「コーダ」(大きな作品、テーマなどを統括する結び・まとめ)のような役割を持たせようと思ったのかもしれない。
解明しきれていない謎
ヘミングウエイ の人生が、生活面で幸せであったとは言い切れない。失敗に終わった二人の前妻の間に残された3人の息子は、主人公を愛してくれた。しかし、その息子たちもいなくなった時に、真の孤独、寂寞が迫ってくる。そして、その先にあの衝動的に描かれる自決の最後があった。この事実を考えると、この遺稿作は、より深く考える必要があるように思えた。もう一度、手にとって読む時間はあるだろうか。
REFERENCES
Earnest Hemingway, Islands in the Streem, Scribner, 1970: Arrow Books (Random House Group, 2012)
日本語訳 ヘミングウエイ (沼澤洽治訳)『海流のなかの島々』上、下、昭和52年、新潮社