先日のブログでジョン・ウイルズ『1688年:バロックの世界史像』について触れたが、実はもう一冊『1688年』*がある。17世紀、そして1688年という年が歴史上いかに画期的な意味を持つものであったかを語っている。イエール大学の歴史家スティーブ・ピンカスの手になる後者の『1688年』は、イギリスの著名なジャーナル The Economist の執筆者たちが選んだ歴史部門「今年の一冊」Books of the Year になった。 今年は村上春樹の『1Q84』など年号が表題の本が話題に?
ウイルズの著作は1688年近傍に起きた世界史的出来事をグローバルな次元で展望したものだが、ピンカスの著作は、1688年に起きたイギリスの「名誉革命」Glorious Revolution に焦点を当てている。この出来事については、ウイルズも当然ながら取り上げている。
改めて説明するまでもない歴史的出来事だが、1789年のフランス革命などと比較してその世界史的意味は必ずしも正当に理解されてこなかったところがあるようだ。とりわけ日本の世界史教育は駆け足で時間軸上を走ってしまうので、深く考えることをあきらめさせ、興味を失わせてしまうことになりがちだ。歴史の真の面白さは「ゆっくりしか歩けない?年代」にならないと、分からないところがあるようだ。
この年、カトリック復興をはかったイギリス王ジェームズ二世の専断に憤慨した議会の指導者たちが、新教徒プロテスタントの王女メアリーと夫であるオランダのオレンジ公ウイレムに助けを求めた。ジェームズ二世はトーリー党の国王寄りの感情を高く評価し、トーリー党員のほとんどが信奉している英国国教会を、ローマ・カトリック教会とあまり異なることがない、儀式張った権威主義的構造であると見なし、彼らの国教会主義と激しい反カトリック主義が共存・両立していることを理解できずにいた。
こうした中で、もしジェームズ二世が王位を継承する息子がいないままに世を去れば、王位は娘であるオラニエ公ウイレムの妻メアリーが王位を継承することになっていた。当時ヨーロッパにおけるフランスの勢力に対抗するウイレムの戦略は、宗教上プロテスタントの反カトリック主義が支えることが多かった。オランダは、ホイッグ党急進派やユグノーの避難する所になっていた。 王や貴族たちがいとも簡単に処刑される時代であったから、事態の推移は当事者にとってきわめて緊張したものであった。結末にいたるまでの経緯も複雑であった。 結果として、翌1689年、メアリー二世およびウイリアム三世として王位についた。
当初ホイッグ党急進派はウイリアムを国王と宣言するつもりだった。しかし、多くの人は単に選ばれた君主という考えにがまんできず、相続権もあるメアリーが王位につくことを望んだ。そのため王位はウイリアムとメアリーに授けられた。かくして、イングランドでは王位は選ばれるものとなり、君主制は崩壊した。
そして「権利章典」Bill of Rightsが制定され、立憲政治の基礎が確立された。国王大権とされたものに数々の制約が加えられ、「古来の権利や特権」が包括的に改めて確認された。ジェームズ二世はアイルランドに逃亡し、とりたてて大きな混乱も流血の事態も起こらなかった。しかし、そのもたらした衝撃は深く大きかった。アイルランドにとっては将来を定める出来事となった。この名誉革命は、1789年のフランス革命、そして1917年のロシア革命と並んで世界史を画したものと評価され、世界史で最初の近代的革命としての位置づけが試みられている。
ピンカスの新著は、単に1688年近辺の歴史的出来事を記述したものではない。現代とのつながりと含意の探索をさまざまに試みている。 とりわけ近代西欧リベラル国家の成立にかかわる興味深い歴史書となっている。イギリスがジェームズ二世を王座から放逐することになったこの革命が、その後の外交、軍事、経済、宗教などにいかなる変化をもたらすことになったが興味深く解明されている。17世紀の面白さを一段と深めてくれる一冊だ。
Britons Never Will be Slaves. Revolution Jubile, Nov. IV 1788.
「イギリス人は決して奴隷にならない」 名誉革命記念貨幣に刻まれた文字
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Steve Pincus. 1688: The First Modern Revolution, Yale University Press, 2009, pp.664,