アフガニスタン増派についてのオバマ大統領演説を聞く。演説会場にハドソン川上流のウエストポイント陸軍士官学校を選ばれたことを知って、ある記憶がよみがえってきた。ヴェトナム戦争でアメリカの敗色が濃くなったある夏の日、ここを訪れたことがあった。ニューヨークから車で一時間くらいで到着した。ハドソン川を下方に望む風光明媚な高台の一角である。かつてハドソン川を支配する要塞が築かれた意味が説明を受けずともわかる。ハドソン川を航行する船舶の動きは、すべて掌握できる自然の要害だ。
南北戦争のグラント、リー将軍、マッカーサー、アイゼンハウワーなど、歴史に名を残すアメリカの最高司令官たちが卒業した職業軍人養成の名門校である。陸軍士官学校といっても、卒業生は各界で活躍している。アメリカ国内に高まる厭戦気分にもかかわらず、広く美しい校庭では、白い制服をまとった士官候補生(カデット)たちが、整然と行進の練習をしていた。映画の一齣のようだった。実際に、ここを舞台とする映画が何本も制作されたようだ。
オバマ大統領の演説は、アイゼンハウワーの名がつけられた講堂で行われた。かつて見物に訪れた時は女子学生は入学が認められていなかった(1976年許可)。しかし、今は女子学生の姿も見える。最前列には、クリントン国務長官の姿もあった。ワシントンからは車で五時間くらいの距離だが、ヘリコプターで飛んできたのだろうか。
ウエストポイントが選ばれたのはいかなる配慮によるものだろうか。間もなくアメリカ陸軍を中心とする国家の最高戦略を担う士官候補生たちに派兵の意味を訴えて、アメリカの世界政治に果たす役割の重要性について共感を得たいと考えたのだろうか。
サイゴン(現在のホーチミン市)陥落の映像が浮かんできた。アメリカがアフガニスタンの戦争に関わってから8年になる。来年夏までに3万人の増派を説明した大統領は「オバマのヴェトナム」にはならないと強調した。再来年7月に撤退は可能なのか。撤退とはいかなる状況がイメージされているのだろうか。来るべきその日のイメージはまったく見えない。大統領選挙戦の時にみられたあの国民的熱狂は、どこかに消え去ってしまった。アメリカは静かになっている。
アフガニスタンでは、アメリカへの不信や怒りは広がっている。今回の増派で比較的短い期間に、アメリカが彼らの信頼を回復しうるとは思えない。この派兵に伴い、テロ活動などでアメリカ軍の犠牲者が増加することも不可避だ。力による制圧以外に平和実現の道はないのか。世論調査は、アメリカ国民の大勢は今回のオバマ大統領の増派決定を支持しているとしている。ヴェトナムの苦い経験は彼らの中に生きているのだろうか。
筆者の脳裏ではヴェトナムとアフガニスタンのイメージはかなり以前から重なっている。アメリカ人ならずとも、あのサイゴン陥落のような光景は見たくない。ウエストポイント演説は重要な意味を持つ。オバマ大統領の目にはなにが映っているのだろうか。
* この大統領演説の後、案の定、さまざまな論評が怒濤のごとくメディアに流れている。ABCnews ではクリントン国務長官とゲーツ国防長官がインタービュに答えていた。ソ連のアフガニスタン侵攻とは異なると述べてはいたが、説得的ではない。さらに、アフガニスタン新戦略をめぐって円卓議論も行われていた。しかし、論者の見る角度は異なっても、誰もこの戦争の行き着く先は読めないのだ。9年目に入る戦争に関わっているアメリカでは、国民の間に次第に孤立(不干渉)主義が高まっている。アフガン介入を正当化させているのは、唯一、9.11がこの地で画策されたからということにすぎない。オバマ演説が支持を得たかに見えたのは、ひとえに彼の言葉の力だ。しかし、それも次第に空虚に響くようになってきた。ノーベル平和賞はやはり早過ぎたのでは。
オバマ大統領は弁舌爽やかでしたが、統率力に翳りが見えます。なぜ今すぐに撤退へ方向転換できないのでしょうか、犠牲が増えるばかりで、決定的な失政になると思います。どこか似ている鳩山首相も甘い言葉が先行して、ひ弱さが露呈してきているようで心配です。
ノーベル平和賞がきわめて政治的決定に基づくものであることは、かなり知られていますが、成果より期待に対して授賞したのは勇み足ですね。
アメリカは自分の姿が見えなくなっているようです。オバマ大統領は演説の力に頼りすぎ、実行が伴わない。そして、インターネットに象徴される情報の流動化は、戦争をTVゲームのように相対化してしまったように思えます。タリバンを制圧し、なんとか治安を保つには、x万人の軍隊を投入すればなんとかなるという発想が恐ろしい。「ベスト・アンド・ブライテスト」を思い出しました。「正義のための戦争」なんて存在しないし、「アメリカの時代」はすでに幕が下りているのに気がついていない。アメリカはヴェトナム戦争の教訓を忘れてしまったのでしょうか。
迷走している鳩山内閣も、今までがひどすぎたからという国民の好意はいつまでも続かないということを認識する時では。