時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

コピー文化の黄昏? 〜大芬は再生できるか〜

2022年09月07日 | グローバル化の断面

 
Henri Fantin-latour(1836~1904), Grand bouquet de chrysanthemes
アンリ・ファンタンーラ・トゥール《菊の大きな花束》1882


現代人にとって、絵画などの美術品を見ることは、疲れた心身を癒すセラピーの効果があるのだろう。コロナ禍、ウクライナ侵攻など、地球規模の大規模な激変以前から、世界各地の美術展には多くの人が集まり、入門書や画集などの美術出版物も多数、書店などで目にするようになった。美術は世界的なファッションのようだ。

本ブログでも取り上げたことがあるが、かつては ”世界の美術工場”として知られた中国の大芬 Dà fēnという村(現在は深圳に含まれる)がある。この地を訪れた観光客が驚いたのは、多数の画家たちがまさに工場のような場所で、ヴァン・ゴッホ、レンブラント、レオナルド・ダ・ヴィンチなど有名画家の名作のコピーを次々と作り出している光景だった。彼らの主たる顧客は、世界中の商店、ホテル、観光客などであった。超一流ホテルでもなければ、世界のホテルの客室や廊下の壁に架けられているのは、こうした形で製作される工業製品?のようなコピーやプリント製品だ。この地を知る人は「文化の生まれる土地」というよりは有名絵画のコピー「生産工場」をイメージしてきた。しかし、この「コピー文化」の一大産地にも黄昏が迫っているようだ。新着のThe Economist誌が、その衰退ぶりを伝えている。

大芬は再生できるか
長年の「コピー文化」から脱却し、大芬は創造的な動機に支えられ、世界から尊敬される芸術の拠点に再生できるだろうか。この地の将来に投げかけられてきた課題である。

大芬 Dafenに関わる状況に変化が現れ始めたのは、2008年の世界金融危機の勃発であり、この時が転機になり、世界中からの注文が激減した。代わって中国国内から注文が来るようになったが、彼らは中国風の絵、とりわけ山水画を好むようになっていた。これは中国の貿易がかつての輸出依存型から内需依存型に変わってきたことのひとつの反映ともいえる。

中国は金額面では世界第二の美術市場とされる。世界のオークションで、中国人の富豪などが匿名で有名作品を巨額を支払って落札する例も報じられるようになった。しかし、今日、大芬の地を訪れる美術家は、そこには美術を育む文化的素地のようなものは何もなく、単なる工場群に過ぎないと感じるようだ。さらに、この度のパンデミックの間に、多くの工房は仕事がなくなり閉鎖してしまった。

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 N.B.
絵画工場の地として大芬が知られるようになったのは、1989年に複製の工房が生まれたことに遡る。彼らは、そこでゴッホ、ダリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、レンブラント、ウオーホールなど有名画家の複製を作り始めた。1990年代にはおよそ5万点の模造品を2週間で製作していた。中国の中央政府、地方政府ともに大芬 Dà fēnを「文化産業」の地域として指定し、各種の助成を行なってきた。

2014年の時点で、7,000人の画家が居住して、「美術工場」で絵画のコピー作業などをして働いていた。毎年およそ500万点の絵がアメリカ、ヨーロッパなどに輸出されていた。画家の中には100点近い作品を12時間で仕上げていた。コピーの上に一寸だけ絵筆で手を加えるのだ。こうした作品の制作のために、同地では大規模なプリンターやテンプレート作成のための多数のタブレットやiPhonesの類を開発し、活用していた。
出所:[Dafen Village - Wikipedia その他]

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中国政府は依然として大芬を「創造の地」としているが、果たして今後生き残りうるだろうか。地元の画家たちは、自分たちには「数十年の模写の蓄積がある」としているようだが、それがどんな意味を持つだろうか。最近、大芬を訪れた客が、模写ではないオリジナルだという作品に1,000元($145)を請求され、後退りしたという。後2年もすれば大芬は失くなってしまうとみる美術家もいるという(The Economist, Sept. 3rd, 2022)。

絵画が持つ不思議な力
この事例を追いかけていると、いくつかの疑問が生まれてきた。人々は美術作品のどこに、癒しやセラピーの源を見出すのだろうか。工場であっという間に製作されたモナリザやレンブラントのコピーを自宅の壁に架ける人々は何を期待するのだろうか。あるいはオフイスの自室の壁にコピーされた有名画家の作品を掲げ、自分の趣味の良さ?を誇示する経営者などもいるようだが。

かく言うブログ筆者も、美術館ショップや専門店などで購入したご贔屓の画家の作品のポスターや精密プリントなどを、時々は物置から引っ張り出しては仕事場の壁に掛けたりしてきた。そうした作品でも見ていると、過去の思い出がよみがえり、多少は癒されるような気もする。真作は遠い外国の美術館や個人が所蔵しており、頻繁に見ることはできない。プリント・コピーの類は、かつて心に刻まれた感激や強い印象を思い起こすよすがに過ぎないのだろうか。

これまで、17世紀を中心とした美術作品の歴史を多少追いかけてきて、真作、模作(模写)、工房作、偽作などをめぐる論争の実態も知ることができた。しかし、作品が生み出す感動や癒しの源については、探索したいことが未だかなり残っている。


References
[Dafen Village - Wikipedia]
https://en.wikipedia.org/wiki/Dafen_Village#cite_note-al-5

“The painters of Dafen: An art factory in decline” The Economist September 3rd ,2022

「モナ・リザもびっくり:中国絵画市場の実態 」- 時空を超えて Beyond Time and Space, 2006年6月15日


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