ジョルジュ・ド・ラ・トゥールのデッサンではないかと推定される若い女性の顔
(個人蔵)
深刻な問題ばかり多い昨今の日本、ティールーム向けの話題をひとつ。
17世紀のヨーロッパ美術は大変素晴らしいのですが、日本での画家・作品紹介はきわめて偏っていると管理人はかねがね思ってきました。ヨーロッパの人々がこの時代について挙げる画家の名前と、日本人が好むあるいは知っている画家が大きく異なっていることにお気づきでしょうか。日本ではほとんど未紹介に近い、あるいは少数の美術愛好家しか知らない画家が多数存在します。17世紀フランスにかぎらず、18世紀でも開幕したばかりの「シャルダン展」(東京三菱1号館美術館)のシャルダンを知る日本人はどれだけいるでしょう(実は筆者はラ・トゥールと並び、シャルダン・フリークでもあります。やっと日本でもという思い!がしています)
一般のフランス人に、17世紀を代表するフランス画家はと尋ねると、プッサン、クロード(ロレーン)かな、という答えが返ってきます。しかし、奇妙なことに、この2人とも生まれは今のフランスではありますが、このブログでも記したことがあるように、画業生活の主たる部分は、ほとんどローマで過ごし、彼の地で生涯を終えています。プッサンにいたっては、ルイ13世の下、リシュリュー枢機卿に三顧の礼?で招聘されながら、2年ほどでローマへ帰ってしまい、二度とパリへ戻ることはありませんでした。日本人でフェルメールに群がる人々は多数いても、プッサンを知っている人は驚くほど少ないのです。他方、プッサン、ラ・トゥールは、フランスの国民的画家と思われるほど、多くのフランス人が知っています。
シャルル・ルブランあるいは最大のライヴァルだったピエール・ミグナールはどうでしょう。日本では、ほとんど知られていないといって良いでしょう。パリで活動したル・ナン兄弟も19世紀に浮上、注目を集めましたが、その後忘れられていました。
ブルボン朝ルイ13世、14世の時代で、宮廷画家のシモン・ヴーエ、フィリップ・シャンパーニュはどうでしょう。これも知らないという日本人があまりに多いですね。
そこで登場するのがわれらの(?)ジョルジュ・ド・ラ・トゥールです。この画家も17世紀、ルイ13世もごひいきの<有名な画家>で、自室にラ・トゥールの作品だけを掛けさせたとの話が伝えられているほどです。この画家の作品は、カラヴァッジョのようなダイナミックなところはなく、多くはクラッシクですが、難しいアトリビュートについての知識も、ほとんど必要としません。いずれも時が止まったかのように静止しています。しかし、その時間の消滅の中から、美しさが浮かびあがってきます。最近もミラノで企画展が開催されました。
しかし、その後まったく忘れ去られ、1934年までは美術史上からも消滅したような状況でした。1750年の競売で、ラ・トゥールの『辻音楽士のけんか』(ロス・アンジェルス、ポウル・ゲッティ美術館蔵)が売りに出されましたが、カラヴァッジョ派の画家とされ、28リーヴルの価格しかつきませんでした。他方、すでに著名だったプッサンの2点は、それぞれ1,122リーヴル、1,415リーヴルという高値で落札されています。
ラ・トゥールという画家を現代に生き返らせ、17世紀フランスの巨匠という認識を形成するに貢献した重要な展覧会があります。1934年、1972年、1997-98年の企画展です。いずれもパリで開催されました。1934年の「現実の画家」展は、2006/7年に当時と同じ展示で再現されました。ラ・トゥール・フリークを任じる管理人は、まだ生まれていなかった1934年展以外はすべて見ることになりました。しかし、2006/7年の「現実の画家 1934」展も見ているので、すべてを見たといえるかもしれません。1996/97年のNational Gallery of Arts/Kimbellの企画展まで見る機会に恵まれ、フリーク冥利に尽きるかもしれません。
日本で西洋美術史家と称する人の間でも、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールGeorges de La Tour(1593-1652)を、18世紀の肖像画家カンタン・ド・ラ・トゥール Maurice-Quentin de Latour(1704-88)とを取り違えている人がいるのには驚きます。この2人はまったく別人です。
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールについては、その生地ロレーヌのVic-sul-seilleに小さいながらも郷土の生んだ巨匠を称える美術館が誕生し、まずまずの観客を集めています。この画家を主題とした映画もあり、A.ハックスレーやパスカル・キニャールのように、文学者も多大な関心を寄せてきました。他方、プッサンの生地であるノルマンディーの Le Andelys に作られた美術館は、地元政治家も住民もまったく無関心で近く閉鎖されるとのことです。
最近、かつてルーヴル美術館長もつとめた17-18世紀フランス、イタリア美術の大家ピエール・ローザンベール氏*(アカデミー・フランセーズ会員)が、こうして考え直してみると、上記の問いへの答えはラ・トゥールかもしれないと記しているのも興味深いところです。さて、皆さんはどうお考えでしょう。
* Pierre Rosenberg, "Alla gloria de Georges de La Tour." L'Adorazione dei pastori San Giuseppe falegname, Milano; SKIRA, 2012