『遊牧という文化:移動の生活戦略』
松井健、2001、『遊牧という文化:移動の生活戦略』、吉川弘文館(歴史文化ライブラリー109)
本書は、世界中で現在ではまれとはなった生業形式のひとつである「遊牧」文化について、西アジア(本書で描かれるのはアフガニスタンとパキスタン)のパシュトゥーン遊牧民とバルーシュ遊牧民の民族誌を手がかりにしながら、人間にとって家畜を中心になりわいをたてる牧畜と言う生業文化のみならず、人間にとって遊動とは何かについて描こうとしている。
遊牧民が、たとえば、かつてのモンゴル帝国のような大版図をもつことになったのも、それは、かれらが、単に家畜を連れて家畜のえさの必要から移動を続けるばかりではなく、周辺の農民や商人との経済的交流(時にはそれは、略奪や侵略でもありうる)を重ねてきたことの結果である。本書で描かれる西アジアの二つの遊牧民社会は、生活環境の違いから彼らの生業のあり方や政治的経済的なあり方が違うかに見えるが、著者は、そういった環境決定論的な立場に立たない。むしろ、人間にとって遊動とは何かという根源的な問いかけにつなげようとする。
それは、エピローグの「現代社会と遊牧民」に端的に現れていて、情報化社会における情報機器のウェアラブル化とそうしたこととはまったく関係がないとみえる遊牧民社会を重ね合わせ、情報社会批判にも及ぶ。つまり、流行現象としての情報化ではなく、情報機器のウェアラブル化が人類をふたたび遊動へと駆り立てる可能性を広げるのではないかと。
情報機器に埋もれて一平方メートルの世界に閉じこもり、情報環境でのみ世界と接触するのではなく、情報機器のウェアラブル化によって、むしろ、世界に打って出て、世界を直視せよとか。うん、面白いかも。新しい現代のノマド像だ。
本書は、世界中で現在ではまれとはなった生業形式のひとつである「遊牧」文化について、西アジア(本書で描かれるのはアフガニスタンとパキスタン)のパシュトゥーン遊牧民とバルーシュ遊牧民の民族誌を手がかりにしながら、人間にとって家畜を中心になりわいをたてる牧畜と言う生業文化のみならず、人間にとって遊動とは何かについて描こうとしている。
遊牧民が、たとえば、かつてのモンゴル帝国のような大版図をもつことになったのも、それは、かれらが、単に家畜を連れて家畜のえさの必要から移動を続けるばかりではなく、周辺の農民や商人との経済的交流(時にはそれは、略奪や侵略でもありうる)を重ねてきたことの結果である。本書で描かれる西アジアの二つの遊牧民社会は、生活環境の違いから彼らの生業のあり方や政治的経済的なあり方が違うかに見えるが、著者は、そういった環境決定論的な立場に立たない。むしろ、人間にとって遊動とは何かという根源的な問いかけにつなげようとする。
それは、エピローグの「現代社会と遊牧民」に端的に現れていて、情報化社会における情報機器のウェアラブル化とそうしたこととはまったく関係がないとみえる遊牧民社会を重ね合わせ、情報社会批判にも及ぶ。つまり、流行現象としての情報化ではなく、情報機器のウェアラブル化が人類をふたたび遊動へと駆り立てる可能性を広げるのではないかと。
情報機器に埋もれて一平方メートルの世界に閉じこもり、情報環境でのみ世界と接触するのではなく、情報機器のウェアラブル化によって、むしろ、世界に打って出て、世界を直視せよとか。うん、面白いかも。新しい現代のノマド像だ。
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