いつものように、週一の池下「浅野屋」。
トマトサラダ、鴨ローストのサラダ、ローストンカツ、メンチカツ。週末は、いつもにぎわっている。
村瀬学、2006、『自閉症:これまでの見解に異議あり!』、ちくま新書
本書は、自閉症の人々を特別に位置づけるのではなく、「普通の人々」と同じ地平に位置づけようという目論見で書かれている。自閉症は発達「おくれ」や「同一性の保持」や「変化への恐れ」を特徴として捉えられてきたが、著者は、「くらし」のなかでは、そうした違いを無視しうるのではないかと言う。
著者は、人間をとりまく領域を、「文明」「社会機構」「くらし」の三つに分けて捕らえようとする。すなわち、人間を取り巻く世界を知的世界をあらわす「文明」、人間関係の総体をあらわす「社会機構」と「くらし」の三つの領域である。そして、人間を差異化しようとする「文明」や「社会機構」のなかでは「自閉症の人々」の「おくれ」が目立つが、「くらし」の中では、「共に生きる人との関係の中で「おくれ」としてみなされないでくらすことがありうる」のではないか、と指摘する。そして、医療機関や教育機関の尺度で「自閉症の人々」を観すぎてはいないかと批判するのである。
わたしは、ミクロネシアの小さなさんご礁の小島で暮らした時、さまざまな意味で「ハンディキャップ」をおった現地の人々が何の区別もなく普通に暮らしているのを観た。また、昭和40年代の日本の山村漁村でも同様のことを観たことがある。当時は「自閉症」といった言葉は存在せず、「知恵遅れ」とか「精神薄弱」とか呼ばれていたわけだが、社会システムの変化と共に一定の症状を持つ人々の様態がひとつの「兆候」(ダイアグノーズ)としてみなされ、名付けがおこなわれ、カテゴリー化されて「病」化されてきた(自閉「症」と記述される)のであろう。その意味で、現代社会が生み出した「病」と言うことができよう。
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2006-09-16 15:29:16 |
読書 |
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