すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

ツッコミをかわして進めるか道徳

2015年11月05日 | 読書
 【2015読了】111冊目 ★★
 『新しい道徳』(北野武 幻冬舎)

 表紙にある書名は、表題に加えて「『いいことをすると気持ちがいい』のはなぜか」と添えられている。ビートたけしではなく、北野武という筆者名にしたのは、副題のイメージを考えてのことだろうか。ただ、北野監督映画を観ても「いいことをする」と単純に結びつかないと感じるのは、自分だけではないだろう。


 案の定というべきか、第一章から五章までに「『いいことをすると気持ちがいい』のはなぜか」の結論は書き込まれていない。「おわりに」の冒頭がその記述となっているだけだ。それを結論のように取り扱うのはどうかと少し疑問を感じた。筆者の出した理由には納得できるが、それが全体を包括しているわけではない。


 「はじめに」に書かれている「結論」を紹介する。「道徳がどうのこうのという人間は、信用しちゃいけない」である。道徳がどうのこうのということを仕事にしている教員としては、反発を感じる。というより、そういう見方をする世間があることを背負って進めるのが仕事だと再確認できると言った方がいいか。


 参考図書として文科省の出している『わたしたちの道徳 小学校一、ニ年』が取り上げられていて、ツッコミを入れられている。曰く「人生がこれから始まるっていう子どもに、自分を見つめさせて、なんの意味があるのか」「まるでクスリの効能書きみたいに、『いいことをしたら気持ちいいぞ』って書いてある


 ツッコミやすい箇所を選んだなと微笑む。文科省のお役人だったらどんな返答をするものか聞いてみたい気もする。ただ現場に居る者とすれば、一般的な子どもがどれほど自分を見つめられるか想像がつくし、子どもが感じる気持ちよさの厚みみたいなものも把握しているのが普通だ。そこからどう進めるか、なのだ。


 この著が何か「新しさ」を提起しているかと言えば、それは当てはまらない。ただ歴史的な観点や複雑化する社会の見方を示し、道徳を俯瞰視するためには刺激になる。「自分の頭で考える」「自分で作る道徳」を強調はしているが、日本人の思想や価値観に根づいた部分もクローズアップされ、正直歯切れ悪さが残る。