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逃れられない師の声

2015年11月11日 | 雑記帳
 県の紀要への原稿提出締め切りが近付き、何を書こうかと逡巡して、決めたのがわが師と言うべきM先生のことだった。非常に限られたスペースだったのでどんなことをと考えた時、真っ先に浮かんできた一つは「道徳」のことだった。新採用当時、まったく道徳ができなかった。というより粋がって無視していたのだ。

 
 そこで、宴会時のことがつとに思い出された。今もあるM寿司が旧い店だった頃、二階のあの真ん中の座敷だ。道徳をやっていないことを広言したのだろうか(当時、校長は巡回していなかった)、何故やらないのかと訊かれた気がする。正確な言葉は失念したが「全ての教育活動でするのが道徳です」と言ったような…。


 どこかで聞きかじったような理論や文章を並べたに違いない。それに対して「なあ、一週間に1回ぐらい道徳について、子どもと考えて話し合ってみてもいいじゃないか」と言われた。その後も何度か繰り返された。ごく普通のことをシャットアウトしていたのはなぜだったのか、気づくまで結構長い時間が必要だった。


 結局、やり方がわからない。固定的な方法が嫌いだった。という我儘な感情に支配されていたのだろう。当時の道徳は「資料」一辺倒であり、様々な実践例がある程度拡がるまではそれから十年以上が必要だったことを思い出せる。では自分でも納得できる実践にあい、その後真面目に取り組んだかというと、これが…。


 身体のアレルギーが治らないのと同じか。しかしそれは言い訳で、結局、自らの不道徳や負の感情をもう一段階上で囲い切れないという構想力の欠如だと悟っている。昨日、今年度最後の指導主事訪問が道徳であった。どこまでも「お前もやれ」と故M先生が向こうから仕組んだか。逃れられない師の声が聞こえる。